拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  悟覚(ゴガク)における『素龍子』

2024年07月10日 | 東洋自分なり研究所

  だいぶ以前に『仏教』という名称について、馬骨論を披露した。

  『仏教』の『仏』は、人偏(亻)に『ム(無)』と書いて『仏』であるから・・・『人をして無にする教え、無から仏にする教え』である。

 

  ということで、古来より『仏教』は、『無』をベースにした教えであるが、ことに『禅』はその点について徹底している。

  ある時点で、釈尊は話すことさえ止めて『拈華微笑』の華を提示【拈(つまむ)】して、その意志を弟子に伝えた。(たった一人の弟子が微笑みで応えたのだ)

 

  それから2500年経った近年、科学もどんどんあたかも『無』に向かって学問するかの如く、素粒子レベルにまで進み、

  『量子力学』という分野ではこれまでの科学的常識では理解することができない事実が証明され始め、それに関わった科学者等が仏教への関心を強めているという。

 

  正直、量子力学については私は無知であるが、素粒子の性質は『波動』と『粒子』の重ね合わせだそうだ。

  量子力学では、観測者の意識が物質の状態に影響を与えるというが、意識を向ける事自体が『波動』による干渉だとすれば

  観音様が発する『観音』という状態も、『波動』として受動する者があれば、その人間の生き様に影響を与えるであろう。

  『観音が音を観じる』という行為は、意識が波動に影響を与え、それを通じて現実を変える力を持つという風に解することも可能だ。

 

                

                    この図は、悟覚『素龍子』を視覚化した『漢字・元素記号』である。

                  『 無になれば 観音さまの おとずれか 柏樹の庭の 蝉の鳴き声 』馬骨

 

  そんな風に妄想を膨らました時、『素粒子』というのが、我が『悟覚』では『素龍子』となり

  『龍』という目に見えない『波動パワー』の存在を、昔の祖師方は『龍』として感得し、自己の仏性(本性)が自我と無我が『慈力』によって引き合う

  ことで覚醒することを知っていたのであろう。