拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  五分の魂

2021年02月28日 | 観自在

  一昨日、私が『レマン参道』と名付けた世界遺産登録のブドウ畑の散歩道に行った時

  私のこれまでの生涯でたぶん4番目?の『蛇』に出会った。しかも最小・・・のヘビ…

  登り階段を上がっている時、ニコルが後ろで小さく『キャー』っというので戻ってみると、ミミズ??

  と初めは思ったが、よ〜く見ると小さな頭から蛇の黒い糸状の舌を出したり引っ込めたりしている…蛇だった。

  なんと小さな蛇であろうか。体表の色もセメントと同じ色なので踏み潰されないように…と注意を与えて別れた。

    

     『一寸の虫にも五分の魂』というが、それは違う、人間以外は全て『本尊の魂』をもっている。

 

 

  帰宅しても頭にあの蛇が残っていたのだろうか…『一寸の虫にも五分の魂』・・・という言葉が思い浮かんできた。

  で、『五分の魂』とは何だろう?と考える事になり・・・、『自尊心』であろう・・・という結論が出た。

  これに関しては、幼い時の思い出が今でもありありとよみがえる。

  小学生になったか、ならんかの年頃、お客さんが来たりした時、挨拶のしない私に母は私の頭を抑えたかどうか不明であるが、

  とにかく挨拶をさせようとした。その時、幼心に思ったのは、『挨拶は互いの『タイミング』が大切だろう』…ということで

  それを理屈でなく直感していたので、させられてする挨拶は私の『自尊心』が許さず、頭を抑えられても決して下げなかった

  思い出がある。これこそ、『五分の魂』であったであろう。そしてそれを母は理解していなかったに違いない。

  如何なる場合でも、人間が怒る理由は『自尊心』が尊重されない時なのだ。

 

  『 幼子が 次第次第に 知恵つけて 仏に遠く なるぞ悲しき…』この有名な詩が私達に教えるのは、

  生まれた時、は『尊厳100%』の赤ん坊が、だんだん知恵をつけて『50%の自尊心』に成り下がってしまったという事だ。

  つまり、人間はこの残り50%を取り戻すために生きる・・・ということ。それが大人になるという事であろ。

  互いに『尊厳』を育み、子供が『それを』はっきりと自覚できるように環境をととのえる…それが大人の役割だ。

  

  よく禅僧は一般人に『悟っても何にもならない』と受売り公言しているが、それは『雲水等の後輩修行僧』に言うべき言葉であって

  一般人には『お前一人が悟ったら、世の中のいじめなんぞ一掃するぞ!』…くらいなこと言えないものだろうか。

  悲しい現実だが、愚か者は相手が『五分の魂』だとわかると、つけ込んでくる習性がある。

  自他を超越した尊心を私は今から『本尊』と名付ける。

  『本尊』に覚醒すれば、馬鹿が何を言っても相手にもしない境涯、というか慈悲の心でその人を憐れむことだろう…。

  『悟り』は『尊厳の心』を取り戻すことで、これこそが大人が子供に伝えなければいけない唯一の事なのだ。

  天上天下唯我独尊…とはそれをあらわしている。

  

  

  

 

 



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