拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 生死

2012年08月30日 | オレ的アングル
  これまで 考えても仕方ない・・・という理由で「死」ということを一度も考えた事がない
  ボクであるが、先日から 何故か「死」というものを 脳の片隅で考えている。

  というのは この年「アラ還の歳」になるとボクの身辺でも 死を迎える人がいて 死というものが  
  身近に感じられるのであるが その身近なものであるにも関わらず 誰も「死」とは どうゆうもの
  なのか 知っている人がいないようなのだ。
  死んだらどうなるのか?・・・・誰も知らない・・・不思議。不思議、摩訶不思議。

  むかし 釈迦にたずねた人がいたらしい 「死んだらどうなるのか?」・・・・
  それに対して 釈迦は 無記・・・つまり 答えなかった・・・というのだ。

  禅では 生と死をわけて 考えることがない・・・ いつも「生死」だ。

  わけるから 疑問をもつのか? 

  人は死を 特別視しているけれど 生と死は 分けることが出来ないほど 身近なことと
  わかれば 生から死を 剥ぎとった形で問題視することは 身体から心臓を 剥ぎとって
  心臓!といってみても なんの意味もないのと 同じ事だ。(我ながら意味不明)

  しかし、禅はダイナミックだなぁ、「父母未生、以前?」・・・つまりお前の父、母が
  生まれる以前の お前はどうなんだ?!と 問いを発してくるのだから・・・。

       

         


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