前回の平昌オリンピックで『そーだね〜』で有名になったカーリングの『ロコ・ソラーレ北見』が、北京オリンピックで銀メダルになった。
メンバーの4人が4人皆、北見市出身・・・ということで、北見市出身の私は、想定外の郷愁を思いっきり誘われるのだった。
『ロコ・ソラーレ』・・・というのは、地名からくる『常呂っ子』とイタリア語の『太陽』の掛け合わせで『太陽の常呂っ子』なる意味で
美しく、聡明な本橋麻里氏によるチーム結成の際に名付けられたチーム名だ。
このチーム名が、私にとって一層眩しく輝いて思えるのは、約50年ほど前地元の高校を卒業して東京に向けて旅立っときの私の内心は
周囲を低い山でかこまれた盆地の玉ねぎ畑以外は何もない田舎・・・からやっと解放されるという思いであり、故郷に対する劣等感であった。
『何もない町』…というのが私の『道産子』としての感想で、当時自家用車が普及していない時代では、30kmも行けば海が見られたであろうに
なかなかそうゆう手段もなく、それこそ蒸気機関車の汽車ポッポにゆられ、車窓から頭を出して風景をみれば汽車の吐く石炭の燃えカスが眼に
入って痛かった時代であったのだ。
それがどうだろう、カーリングで北見のチームが世界に名を馳せる・・・日が来るとは!
ウィキペディアでチームの一人ひとりの経歴を見ると、それぞれにドラマが観えて一長一短にここまでこれたわけではないのがわかる。
それこそ何もない所に町おこしの如く始めたカーリングにそれぞれが幼少の頃から関わって、積み上げてきた修練の賜物だといえる。
私の故郷に対する劣等感…というのは、幼少期の私を鍛えてくれなかった環境への『恨み節』なのではなかったか・・・と今は思う。
しかし、実際にはそれは事実ではなく、『何もない』所にこそ『緩やかに』私を育んでくれていた故郷であり、時代であったのだと思う。
思えば、カーリングも『ハウス』という『円』の中心に向けて石(意思)を投石するゲームで禅修行に通ずる、やはりこれも『道』なのであろう。
ロコ・ソラーレのメンバーにはなれそうもない、『二コ・ソラーレ』。最初の滑り出しが案外難しい・・・図
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