拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  もう一人の自分・・・

2024年08月03日 | 東洋自分なり研究所

  前回ブログで『人間の単位』・・・を書いたが、Facebookの友人の一人に、『読んだけど、むずい・・・』と言われてしまった。

 

  まぁ…ね、わけわかんない、ぶっ飛んだいい加減を書いているのだから・・・無理ないかなぁ〜と思いつつ、Youtube画面に行くと

  ときどき拝聴する、円覚寺南嶺老師のラジオ風『管長日記』と称するお話、タイトルが『もう一人の自分』という、私にとって

  馴染み深い…というか、私にとってもテーマのようなタイトルに早速、老師のお話を聞くと、なんとなんと!私が書いた『人間の単位』

  そのものを、中学生でもよく分かる話として通山宗鶴老師の書いた手紙のエピソード、また、『坐』の字について私と全く同じセンスで説いている

  松山泰道師の話などが、13分の動画の中で説いていて、そのタイミングの良さに驚いた・・・まさに『引き寄せ』の法則というやつであろうか!

 

               

               『もう一人の自分』・・・というやつは、私が禅と出会う以前、写真で『自写像 Self−Portrait』をせっせと

                撮りためていた時分(二十歳代の頃)に、対面していたテーマであった。(写真は我がHome‐Page)より

 

  で、自分のブログで『もう一人の自分』で検索すると、この記事が出てきた 2013年12月29日のブログ記事〜自撮(鏡〜同行二人)

  この中で、私は松原泰道師の著書『般若心経入門』から『同行二人』の話を紹介しているが、それがまさに私の言う『坐』の自我と無我の話であったが

  今朝8月3日の円覚寺老師の話が、この松原泰道師の命日(7月29日)にちなんだ話であったので、その仏縁の力(ちから)に私は驚きながら

  もし、この動画を見ていただければ、私のFacebook友人にも、私の説く『坐』の事もよくわかっていただける・・・のではないかと思った次第。

 

                              第1305回「もう一人の自分」2024/8/3【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師 

 

  この動画の中、6分30秒のところで『坐』の字について松原泰道師は説いておられる・・・禅者であれば皆こう読むだろうよ・・・の図