拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 『観』という悟感をめぐって・・・

2024年08月22日 | 東洋自分なり研究所

  今年の1月、80歳の誕生日を迎えた松岡正剛氏が動画に登場し、それに触発されて、こんな記事を書いた1月26日のブログ記事〜 人"間"工学〜『瞑想』編集

  その松岡正剛氏が8月12日に逝去した・・・事をコメントで知らせていただき、その後『X』で関係者が出した訃報メッセージを読んで実感。

  1月にはあれほど、元気そうであったのに・・・残念。 娑婆はこれから益々面白くなるであろうに、松岡正剛氏のいない娑婆は非常に残念だ。

 

                

                   1971年・雑誌『遊』の創刊号表紙

 

  1971年、松岡正剛(27歳)、友人2人と工作舎を設立し、雑誌『遊』(1971年 - 1982年)を創刊する。「オブジェマガジン」と称し、

  あらゆるジャンルを融合し超越した独自のスタイルは日本のアート・思想・メディア・デザインに多大な衝撃を与えた。(ウィキペディアより)

 

  彼のその後の八面六臂の活躍は、あまりに多岐にわたり、私は知る由もなく、ただただ『凄ゲ〜(発想が)+かっこイイ・おっさん』の著書の

  何冊かを繰り返し読むたびにインスパイアされていたが、私自身が『考えるな、漢字ろ!』で『漢字方程式』に開眼したあたりより、

  彼の言う『編集工学』の一端を理解した気になり、それまで難解と思っていた彼の著書が、一段と面白さを増した・・・といういきさつがあった。

 

  今、彼が27歳のとき創刊した知る人ぞ知る、雑誌『遊』の表紙を観るに(上の写真)↑

  彼自身どれほど意識していたのか、空中に浮かぶ『目ん玉』がつまるところ、『観』であることを・・・。

 

  一度も会ったことのない彼を、『先生!』と親しみを込めて呼びかけようとする、私と彼の見つめる先には、やはり『観』があるのだろう。

 

  そして、この表紙は紛れもなく 『古池や 蛙飛び込む 水の音(ジャポン!)』と、日本文化の観えない謎を解くピクトグラムであろうか、先生?