拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 ビッグバンから施無畏(せむい)へ

2016年04月24日 | 観自在
 映画『Hawking(ホーキング)』を見て、仏教についていろいろ閃いた! 
 映画をサラーッと流して見ただけなのでホーキングの宇宙理論とボクの仏教が合致するかどうか?知らないが
 
 まず、『君が東に物凄いスピードで行けば行くほど君の時間は遅くなって、ボクの時間とは違う』・・・というような
 事を、女性を口説くセリフのところで閃いた!
 ボクは、アインシュタインの相対性理論というのがどんなものか全くしらないが・・・。
 
 坐禅はおそらく、精神を物凄いスピードで無に向かう『行』ではないだろうか?
 だから、坐禅が『禅』になるとき、その禅者には時間は無くなる。 

 そして、この映画で最も面白いのは、ストーリーの所々で二人の学者(ノーベル賞受賞)がモノクロ画面で現れては
 『雑音』が録音されているテープについて解説しているカットが挿入されていて、これがビッグバンを証明する宇宙の始まり
 を証明する放射熱(3℃)の宇宙音(とは映画では言ってないが)・・・これが、ボクが聞いている『観音』でなくて何だ?

 そして、この映画のおかげでもう一つ気が付いたことは
 仏像の代表的『印相』について 右手の『施無畏印』と左手の『与願印』のこと。
 
 道元の言葉を借りると『坐禅は安楽の法門』・・・。(道元の話は言葉が難しくて好きではないが)

 与願印、それはひとえに『安楽』で、それは『畏れ(おそれ)』を無くすことにほかならない。
 だからこの二つの印は表裏一体をなしているにすぎないことがわかった。
 
 仏教では人間の愚かな事を『無明』というが、その全ては『怖れる気持』から発していることがわかる。
 全ての無明から開放される事を願うのが『与願印』であり、怖れから逃げずに対峙することで『施無畏』がわかる。

 怖れ・・・ということで、ボク自身の体験談を思い出した。
 今から7,8年前に体中に発疹ができ、医者もどうにもならないようなので、当たらずも八卦というか、スイスにも非科学的な方法で『癒やす』
 人々が結構いて、相方の調べで田舎にある女性を訪ねた時、その女性はボクの足の裏をよくよく見て『貴方は小さい時、とてつもない恐怖に
 であったでしょう?』・・・と言われたことであった。そう言われてもどの『恐怖』なのか?ボクには全く検討がつかず返答に困った・・・
 という話である。結局、その女性の手当?による効果は全くなかったけれど、彼女の言った事には『深い』意味合いがあったのか?と今は思うのだ。

 人々は毎日、様々な『恐怖』にさらされている。それを正しく?受け止めなければ決して『安楽』は得られないだろう。

         
 


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