拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『 法華 』 という Vision

2021年02月13日 | 観自在

  今朝ツイッターで、『米下院、予算決議案可決、バイデン大統領の経済対策実現に向け前進』…という他国ながら頼もしいニュースを眼にした。

  約200兆円規模の予算案は上院では50対50で、ハリス副大統領の決定票により可決、下院が賛成219、反対209票…というギリギリの可決。

  バイデン大統領は会見で『最大のリスクは経済対策が大きすぎることではなく、小さすぎることだ…』と発言したという。

  政経音痴の私にはその予算案の規模には想像もつかないが、賛否の拮抗具合からよほど思い切った予算案であることは想像できる。

  コロナ禍による全世界的危機の中、こうした英断を下すことが出来る優れたリーダーの出現こそ、急がれるべきことで

  その手始めに米国大統領が先陣を切ったことは世界の動向に対して大いなる好影響を与えることだろう。

  それに対比して我が日本のリーダーである政治家の劣化ぶりがただただ悲しいが、そういった人格的に劣る人間をリーダーに選出する

  国民の責任も改めて問われるのだと思う。

  そういつた中、気のせいなのか或いは通信手段の拡大した時代であるからなのか、『悟り』について発言する人々が一段と多くなった

  のは、気のせいばかりではなく、私利私欲をむき出しにする世の風潮に危機感をつのらす人々が増えていること、『悟り』の正体である

  『慈悲と智慧』を土壌にしてきた日本の先人の努力の成果が、この危機をむかえた時代に覚醒を促しているのだと思う。

  例えば、私なんかが『悟り』なんぞを云々するのは、ひとえに鈴木大拙の『宝の持ち腐れじゃ困る…』と言って『悟り』が『東洋の宝』

  ではなく『世界の宝』であるという位置づけで一生涯を『禅の世界的意義』を説き続けた人格の影響を受け、実際、寺での修行で熏習

  された、『衆生無辺誓願度』の菩薩の誓願がいつのまにか私自身の誓願になったこともあるであろう。

  『悟り』は一人一人の人間の即『救済』であり、また『慈悲と智慧』の覚醒に向けての教育的側面をも持っ重要な働きがある。

  それの戦後日本に欠けていた結果が政治、経済、文化の低迷として現れているのだと思う。

  つまり長、短期的視野で『悟り』の意義について真剣に考察する人々が一人でも増えることを願う。

  この私のブログ、タイトルを『拈華微笑』…と付けた時、12年前はその真意は正直良く解らずにいたが

  釈尊が人々の前面に持ち示した一輪の『華』こそが、人が咲かすべき『法(悟り)の華』である・・・ということが

  今頃になってしんみりと解ってきた気がするのである。