昨日は不躾にも駄洒落(だじゃれ)で『クリスマス』を『一切皆苦』と語ったけれど、その後深く考えてみると
冗談から駒(コマ)のような発見…
そもそも仏教の開祖である釈尊が『悟り』を開くことになったのも、若き日に人生における『四苦八苦』を観て、それから
なんとか逃れる方法というものがないか…というのが動機であった。つまり、『一切皆苦』こそが『悟り』の法門を開いたわけである。
それゆえに、仏教の理念『三法印』の一つに『一切皆苦』がある。
そうしてみた時、キリスト教徒(カトリック)のシンボルである『キリストの十字架』・・・というのはまさに『一切皆苦』そのもの
のように観えるのは私だけではないだろう。
私は三十数年前、2度めにヨーロッパに来たとき、スペインのある教会で観た『キリストの十字架』に衝撃を受けた。
あまりにリアルな『キリスト磔(はりつけ)』の様子に驚いたのである。
当時は円覚寺での修行直後ということもあって、私にはこの『キリスト磔』像が
観る者に対する『禅の公案』であるとすぐ直感した…
しかし、その公案の答えはその時は分からなかった。
それが、今わかった・・・ということだろうか。
『キリストの十字架』は人々に『一切皆苦』を示し、天国の扉(一切皆空)へ誘っている。
イタリア、ベルガモの教会のキリスト十字架