拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 風呂と禅

2020年12月28日 | 観自在

  レマン湖の水面もその上の空も灰色一色、そのうえ北風ぴゅーぴゅー吹きすさび、湖の向こうのアルプスは吹雪いているようだ。

  本日より我が街ローザンヌでは、約一ヶ月間レストラン、カフェが閉鎖・・・となると、まさに身も心も芯から寒さを感じる2020年コロナの冬を迎える。

  しかしだ… 我々日本人にはこんな時、強い味方があることを、つい忘れそうになるが夕方になると、ああ!っと手を打って『ひとっ風呂浴びなきゃ』…と、

  思い出した! 『べらんめぇ・・・風呂を忘れるんじゃねえ!』・・・と、つくづく日本人に生まれた幸運を感謝して長細の西洋湯船に体を横たえた。

     

                                       

  そういえば、このように2017、2018年と12月のブログに『お風呂礼賛」のブログを書いていた。  さすが俺!ちゃんと礼賛していた〜

  というのも、Youtubeで禅僧が『喫茶去』の公案の話をしていたが、それを聞いた時、我々日本人にとって『風呂』こそは『喫茶去』=『お茶を召し上がれ』だよな…と

  物凄く自分的に納得したのだ。

  かの有名な禅僧『一休さん』が悟った時の一句、 『 有漏地(うろじ)より 無漏地(むろじ)へ帰る 一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け 』であった。

  その心境というのは、たとえ一瞬であったとしても、芯から一休できるのは『湯船で全身の力を抜いて湯に浸っている』時ではなかろうか。

  それを習慣として大いに取り入れている日本人は、日毎『公案』に浸っているようなものなのだ。

  (ちなみに、ヨーロッパ人はせっかく湯船があっても湯につかっている人は少ない、だいたいシャワーで済ませている、我が相方もそう…)

  禅の公案『喫茶去』なんかより、私だったら『ひと風呂浴びてゆけ!』・・・が、最高じゃと思うが。