拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 釈迦の『悟りの日』に思う…

2020年12月08日 | 観自在

  今日、12月8日はお釈迦様が悟りを開いた日である。

  2500年前の今日、釈迦は明けの明星を観て悟った…と言われる。

  釈迦は前人未到の境地を悟って、人にその事のあることを教え広めた。

  私は以前から『釈迦の悟り』について疑問に思っていたことがあった。

  ある国の王子であった釈迦が29歳のとき出家をして、様々な修行法を試行し、6年目の35歳の12月8日に悟った。

  『前人未到の境地』であるのに、釈迦はそれに向かって『突入』したが、その心境はどんなものであったであろうか…

  という、疑問である。何故あきらめなかったのか?・・・という疑問。

  挫折、挫折の積み重ねであったろう修行の中で、『悟り』に至る『何か』を直感していたに違いないのだ。

  無師の状態で、それこそ彼自身の死に際の最期の説法、『自灯明、法灯明』を悟り以前の釈迦は直感していたのだと思う。

  馬鹿な例えだが、『ロケットの打ち上げ』のように、

  大気圏を打ち破って無重力の宇宙に飛び出れば、観自在の視点を得ることが出来る…の確信を直感していたのだと思う。

  お経によると、悟った後、釈迦はその境地の素晴らしさにボーッとしていたようだ。同時に、この心境は誰にも説明出来ない

  と思っていたらしい。つまり、人に教えようなどと考えていなかったという…、そこに梵天が出てきて釈迦を説得した。

  梵天様のおかげを持って、我々東洋の人々は仏の教えを知ることが出来たわけだ。

  しかし残念なことに、例えは悪いが、

  選挙権を持ちながら投票しない無関心派が多い如く、仏教国に生まれて仏性のあることを知らない人が多すぎる・・・。

  『宝くじの当たり券』を持っているのにドブに捨てている・・・だんだんたとえ話の質が悪化してきたので止めるか。

       

            寒く、厳しい灰色の季節に一瞬バラ色を見せる夕方