拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

アルバイト人生考

2020年12月01日 | 還暦録

これまでの68年間の人生で、どれほどの職種・・・というより、バイト的シチュエーションを経験してきたかを数えてみた。

例えば、レストランでウエイターを2回、皿洗いを一回とすると、3回のバイト数とし、正社員として雇われたものもバイトとして

数えると全部で21のバイトとなった。自分的には50ぐらい…と思っていたが、案外少なかった。

最初が小6の時で、クラスの友達が新聞配達を始めたのをみて、『カッコいい…』と刺激されたのが、キッカケで新聞配達

を皮切りに、中学、高校と牛乳配達、高卒で正社員として有名なホテルに就職したが3ヶ月で辞職、その後神戸で住み込み

で再び牛乳配達をして写真専門学校を卒業した。

アルバイトのおかげで写真専門学校と鍼灸専門学校、それと学校ではないが、禅の修行4年半を実行することができた。

私が盛んにバイトをした1970〜1990年代は今から思うと、アルバイターにはほんとうに恵まれた時代だった。

私の人生は結果的にバイト人生と言えると思うが、ガキの頃に培った『思想』が強く影響していたのだと、わかる。

ガキの頃に観た沢山の東映映画の勧善懲悪ストーリーに学んだことは、『金や権力』からの距離を置く…ということだった。

自分では『思想』なんて高尚なモノは全くなし、と思っていたが案外、人格形成に強い影響をおよぼしていたのだろうか。

仕事と自分のやりたい事のあいだに『間』を置く…かといって仕事に手を抜くということではなく、仕事は仕事でプロフェッショナル

の意識をもって当たる事を色々な職場、職種を通して学んだものだ。

貧しくて、大学進学という選択肢はなかったがアルバイトのおかげで、その時々出来る範囲で自由を得ることができた。

それは、映画から学んだ『金や権力に無縁になる』=『自分の面倒は自分でみる』という社会での責任を果たす事は自己に課していた

信念であったと思う。

人生には忍耐と理不尽なことの見極めが要求される。その中で最善の道を選ぶ…にしてもやはり運不運があるに違いない。

           

            専門学校の助手を辞めて、英語を勉強するために始めた『トラック運転手』のバイトをする一撮27歳の頃

写真学校時代、今で言うセルフィ(自写像)を作品として撮り始めたが、それは自分自身の中に『間』を探る行為であったと思う。

それがのちに、『禅修行』につながることになった。人間にとって『間』は伊達ではないのだ。