拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 一切皆苦〜その2

2020年12月25日 | 観自在

  昨日は不躾にも駄洒落(だじゃれ)で『クリスマス』を『一切皆苦』と語ったけれど、その後深く考えてみると

  冗談から駒(コマ)のような発見…

  そもそも仏教の開祖である釈尊が『悟り』を開くことになったのも、若き日に人生における『四苦八苦』を観て、それから

  なんとか逃れる方法というものがないか…というのが動機であった。つまり、『一切皆苦』こそが『悟り』の法門を開いたわけである。

  それゆえに、仏教の理念『三法印』の一つに『一切皆苦』がある。

  そうしてみた時、キリスト教徒(カトリック)のシンボルである『キリストの十字架』・・・というのはまさに『一切皆苦』そのもの

  のように観えるのは私だけではないだろう。

  私は三十数年前、2度めにヨーロッパに来たとき、スペインのある教会で観た『キリストの十字架』に衝撃を受けた。

  あまりにリアルな『キリスト磔(はりつけ)』の様子に驚いたのである。

  当時は円覚寺での修行直後ということもあって、私にはこの『キリスト磔』像が

  観る者に対する『禅の公案』であるとすぐ直感した…

  しかし、その公案の答えはその時は分からなかった。

  それが、今わかった・・・ということだろうか。 

  『キリストの十字架』は人々に『一切皆苦』を示し、天国の扉(一切皆空)へ誘っている。

            

                 イタリア、ベルガモの教会のキリスト十字架

            

  

  

 



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