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ボンゴ佐々木洋平のブログ

北海道ニセコ出身、国際教養大学4年生。スキ一の新たな表現性を追求してます。

インド旅行を終えて

2011-10-17 18:58:26 | インド旅

日本に帰ってきてから4日目になる

日本の整理された道路や、どこにでもあるコンビニ

静かな夜行バス

日本に戻ってくるとあっという間に日本の生活スタイルに戻った気がした

インドのカオスとはあまりにもかけ離れており

帰ってきてすぐの時は安心感よりも

なんだが逆にさびしいとさえ感じるほどだった

インドにいるときには早く日本に戻って自販機でジュースを買って飲みたいとか

いろいろ考えていたけど

いざ戻って、自販機でコーヒーを買って飲んでもたいしたことはなかった

 

この2ヶ月間、東南アジア、インドを旅して僕は何を感じたのだろうか

日本に戻ってきてからそんなことを考えていた

インドにいた時の殺気はなくなり、野望も日本に戻ると少し落ち着いた気がする

インドやフィリピンなどの貧困が多く存在する国を見たときに

僕は日本について考え、これからの日本のために働きたいと感じた

それは、自分の日本人であることへの誇りでもあったと思うし

日本と言う国への感謝の気持ちでもあったと思う

東南アジアでは日本製の車や電化製品が数多く出回っていることを知った

その数の多さには圧倒された

台湾、フィリピン、タイ、ではトヨタやホンダの車が道路のほとんどを占めていた

日本と言う国がアジアの経済においてなんて帝国的な存在であるんだろうと感じた

それでも、こういった国の人々の日本人に対するイメージが

たんなる金持ちと言う感じで接しられた時

僕は日本の文化や思想をもっと彼らに知ってもらいたいと感じた

そして僕は日本のために働こうと決めた

 

今、日本にもどり旅の経験や思い出を回想したり

興味をもった国の歴史や経済に関する本を読んだりしているが

やっぱり一番興味を持った国はインドだった

インダス文明から始まる、古い歴史があり

その後、多くの民族によって国の誕生と崩壊

アーリア人の侵略、カースト制の誕生

イギリスの植民地化、独立

その歴史の過程で数多くの思想や哲学、宗教が生まれた

日本にある禅の思想も、もともとインドで生まれ、中国を通って日本に伝わってきた

そう考えるとインドのほうが日本よりもずっと古い歴史があり

多くの民族、言語で構成された他民族国家であることがわかる

インドの人口はロシアを抜いたヨーロッパの総人口の約2倍であると言われているし

他民族、多言語国家であり、統一されたひとつの国家であることを考えると

ある意味時代の最先端を行った国家であるとも考えられる

そういう意味で僕はこのインドと言う国から多くのことを学ぶことができるのではないかと感じた

 

しかし、インドはカースト制による差別、貧困、環境問題といった

数多くの問題を抱えていることも知った

カースト制の底辺で苦しい生活をしいられている人々を目の当たりにしたし

自分自身も盗難にあってインドの現状の悪さを感じた

それでいてもこの国には他国にはない魅力があることも感じていた

 

インドでは毎日自分自身について向きあっている気がした

だまそうとしたり、誘惑に誘ってくる人間がこの国にはたくさんいる

そうした時、本当の自分の感情や気持ちが見えてこないと

誤った選択をしてしまうことになる

だから、毎日慎重に自分自身と向きあっていた

 

インドのとある町で僕がバスの予約をしていたとき

今日のバスを予約すれば良い席は取れない

明日のバスを予約すれば良い席が取れるといわれ

僕はどっちにしたほうが良いか真剣に考えていた

すると横にいたインド人が”考えるな、考えるのは脳によくない”って言っていた

僕は直感で明日にしようと決めたが

インドでは、と言うより日々の生活でも

直感で物事を決めることが

きっと良いんだろうな~と感じた

”日本の禅の思想と武士道がうまく調和したのも

禅の思想の直観力と武士道の考えがうまく調和したからなのだろう”

新しいパスポートを作りに行った日本大使館で見た雑誌に

こんなことが書いてあるのを見て

禅の思想に興味を抱いた

 

話は変わりますが、最近はインドでもIT産業の成長が急速であるとニュースでよく聞きます

そう、聞くとあのカオス状態のインドもいつかわ先進国みたいに

整理された規則のもとに動き

人々も今までよりは物静かに変わってしまうのかな~と感じたりします

でも、現状を目の当たりにした僕の見解としては

あのインドのカオス状態がそう簡単には変わらないであろうと言うことです

実質、IT産業が盛んなのは南部のほうだけだし

北部のほうはまだまだって感じでした

だから、今後インドが世界の経済に大きな影響を与えるようになるって良く言われますけど

貧困や犯罪はそう簡単にインドからはなくならないだろうなと感じました

 

いろんな面で今回はインドを見ることができて

また、ぜひ戻りたいと感じる国でした


日本帰国早々インド人に助けられる

2011-10-16 09:58:32 | インド旅

こんにちは

無事 インドから帰国しました

デリー空港は想像以上にきれいででかく

ここはインドなのかと思ってしまうほどでした

行きで利用したコルカタの空港がしょぼかったので

そのギャップでしょうか!?

 

なにはともあれ、中国国際航空で北京経由で羽田に到着

所持金500ルピー、500台湾ドル(コイン)、100円で日本に戻り

まずは両替所へ

しかし、窓口の人から

”もうしわけございません こちらではインドルピーの取り扱いはしていないんですよ”

”え!!!!!!!!!!!!!!!!、あ そうなんですか、わかりました”

そして 別の両替所に行くが

そちらでも断られ

旅行代理店、バス会社 などなどいろいろと相談してみましたが

どうやらうまい手口はない

ヒッチハイクをしようと思って

外に出てみたが

羽田の国際線ターミナルはなんだか

すごく隔離された感じで 周りには普通の車が走っていない

だいたいバスかタクシー

歩くといってもどっちに向かって歩いたらよいのか

とりあえずターミナルに戻って

台湾人、またはインド人を探すことに

インド人ぽい人がいたので

声をかけてみる

”すみません、インド人の方ですか?”

”はい、そうですよ”

”あの、実は今 500ルピーしかもってなくて 

両替所では受け入れてくれないんですよ

ここから横浜までの交通費が必要なので

円と交換してくれませんか?”

”何円くらいと”

”今のレートだと、大体800円ぐらいだと思います”

”わかった、じゃあこれで”といって彼は1000円札を渡してくれた

”あ、良いんですか?! ありがとうございます”

まじで感動した

インドではさんざんだまそうとしてくる人たちに会ったから

正直、インドにいるときはインドを見下したりしたこともあった

でも、実際にこういう心優しい人もいるって言うことを知ると

また、インドが好きになってしまった

そして、またインドに行こうと思った

 

 


インドでの盗難 そして帰国

2011-10-12 09:56:35 | インド旅

プシュカル、ジャイサルメール、ジョードプル、

そして10月5日僕はバラナシ行きの列車に乗っていた

行きとは違い、スリーパークラスの車内は驚くほど空いていた

全開にあいた窓からくそそぐ心地よい風

車窓の外にはインドの広大な砂漠が広がっている

それはインドにいることを忘れてしまうほど平和な時間だった

 

ジョードプルからバラナシまで

列車で20時間はかかる

あまりに暇なので

 

僕は全開にあいている列車のドアの横に座って

バックパックを横に置いて

邦楽を歌いながらインドの砂漠を眺めていた

すると僕の横の席に一人のインド人男性が来て

反対側のドアから外を眺めたり

たまにベッドで横になったりしていた

彼はピンクのTシャツを着て ブルーのジーンズをはいていた

僕は彼もこの心地よい風を楽しんでいるのかと思った

列車はしだいに駅に近づき速度を落としていた

すると僕の視界さっきのピンクのTシャツを着たインド人が入ってきた

そして、僕がはっと息を呑んだその瞬間

彼は僕のバックをつかみ

反対側のドアから飛び降りた

僕はとっさに彼の後を追ったが

彼がドアから飛び降りたので

列車に残した、もうひとつのバックと

このまま列車が止まらずに行ってしまったらどうしようと言う考えから

彼の後を追うことができなかった

ひっしに”泥棒、だれか彼を止めてくれ”

と叫んだが

誰も助けようとはしてくれなかった

バックには全財産、パスポート、カメラ、などが入っていた

頭はパニック状態だった

そして列車は駅に止まった

そこはジャイプル駅だった

まえに詐欺師に会った思い出のある町

なんでまたこの町なんだよという感じだった

そして警察に行き

事情を話した

彼らは近くにいるであろう犯人を捜そうともしないし

僕に対しても同情をちっとも見せてくれなかった

インドの警察は最悪だなと感じた

このときばかりは本気でインドに対して腹が立った

一応、ポリスレポートは書いてくれたので

これをもってデリーの日本大使館に行けと言う

マジかよ、それだけかよって思った

その後、一文無しだった僕は

しょうがないので

列車にただ乗りしたが

スリーパークラスの席は全部埋まっていた

だから列車のトイレ横にある

スペースにバックを置き

その上に座って

ただ列車がデリーに着くのを待っていた

時々、外から難民がかってに列車に乗ってきた

トイレの横のスペースに8人ぐらいの人がいたときもあった

でも、列車の中を循環している乗組員から

彼らは追い出されていた

僕はポリスレポートを見せてなんとか乗らせてもらった

難民の先の見えない生活を見て

僕には大使館に行けば何とかなるという思いから

彼らの生活の過酷さが伝わってきた

そして列車はなんとかデリー駅に着いた

駅を出ると早朝だと言うのにめちゃめちゃ人がいる

何人ものリキシャドライバーがどこに行くんだ?と聞いてくる

彼らは僕の行く手を阻もうとする

あまりにもじゃまなので腕で

彼らを押しのけながら前に進む

とりあえず大使館のありそうな方向へ進もうとするが

道がぜんぜんわからない

また一人のリキシャードライバーが声をかけてきた

どこに行くんだ??

日本大使館だよ、ここから歩いてどのくらい??

ここから!!!!15キロはあるぜ、ほらリキシャーに乗りな

悪いけど僕、盗難にあって金がないんだ 歩いていくしかないよ

なに!!!! 金がない わかったこっちに来いといわれて

彼の後についていった

すまないが彼、盗難にあって金がないらしい

地下鉄代を出してやってくれないか??と言って

近くの少年が僕に20ルピーをくれた

僕はその金で地下鉄に乗り

彼の教えてくれた駅で降りた

そこは芝生が生えていて

きれいに整理された場所だった

インドにもこんな場所があるのかと感動した

そして今度は近くの警察に日本大使館の行き方を教えてもらった

ここからだと大体5キロはある

リキシャーを呼ぶかい??

すみません、お金がないので歩いていくしかありません

すると今度はこの警察官がリキシャー代金を出してくれた

インド人がお金を出してくれたことに僕はものすごく感動した

そして何とか僕はデリーの日本大使館に行き着くことができた

 

 


プシュカル最終日

2011-10-01 18:58:22 | インド旅

今日はプシュカルに来て3日目で町のほとんどみたので

スクーターをレンタルして町の周りを散策してみようと思った

街中で見かけた旅行者に”このスクーターどこでかりたんですか?”と聞くと

この道をまっすぐ行った場所にあるよと言われた

そしたらその場にいあわせたインド人の少年が僕が案内するよと言って近づいてきた

僕は大丈夫だよ自分で行けるからと言って

一人で行こうとしたが、彼はしつこくついてくる

まあ後で金くれなんて言っても君がかってについてきただけだからあげないからな

という気持ちでしょうがないから彼がついてくるのを許してあげた

すると途中で僕の”演奏を聞かないかい?”と言ってきた

僕は別にいいよと言ったが

彼は強引にちょっとだけだからと言って

”僕は何ももとめないよ”よ言って

演奏を始めやがった><

1分ぐらい演奏して僕がもういいよと言うと

演奏をやめ、また歩き出した

そして彼は演奏をしたから見返りに何かくれと言う

さっきと話が違うだろといらだちながらも

荷物を減らしたかったので

”じゃあ、俺の靴をあげるとよ”言う

彼は”わかった、じゃあ君が持っていて必要のないものをくれ”と言う

そしてその後も彼は僕の横でずっとスクーターを借りたら僕がガイドするよと言い続ける

僕は一人で行きたいからいいよと言っても

”大丈夫、大丈夫、と言って同じことを言い続ける

僕はだんだんいらだってくる

そしてスクーターを借りたのだが

実はスクーターに乗ったことがなかったので

きごちなく運転し始めると

店のおじさんが君はスクーターを運転したことがないなと言って来て

危ないからスクーターは貸せない

君のためにも、バイクのためにもだといわれて

スクーターを返すことに

そして代わりに自転車を借りた

そして、僕は宿にもどってNIKEの靴を取ってきて彼にあげた

すると彼は”じゃあ僕も自分で自転車を借りるから

君をガイドする、良い?”と言う

僕は靴をあげたので代わりにフリーのガイドサービスをしてくれるのかと思って

”じゃあお願いするよ”と言ってしまった

そして彼の後をついて行った

プシュカルの町を出て

何もない砂漠地帯に行く

そして彼はいきなり道をそれ自転車を止めた!!

僕はどこに行くんだいと聞いた

するとこっちだよと言って彼の家に連れて行かれた

それはお粗末なテントだった

ただ屋根があるだけのテントで

床に布が一枚あるだけでその上で寝るようだ

テントの中に入ると

そこには彼の友達がいた

そしてアルバムを取り出し

外国から来た旅行者の写真を見せてきた

この人たちは僕の友達さ

彼はフランス人、彼女は韓国人、こっちは日本人、こっちはスロベニア人

みんなとても親切な人たちだった

この韓国人は新品のテントを買ってくれた

このフランス人は僕の音楽をレコーディングしてくれてCDを作ってくれた

などなど、いかに彼らが親切で、彼らによくしてあげたのだと言い聞かされました

そして僕たちはお金をもとめない”

”だけど僕たちはとても貧乏でちゃんと飯を食うこともできない”

だけど君が僕たちに少なからずの助けをくれるととてもありがたいと言う

僕はじゃあ畑はある、畑があったら草むしりでもなんでもやるし

洗濯物もあれば手伝うよ、家の掃除だって手伝うしと言うと

いやそれは必要ない僕たちは自分たちの土地をもっていないから畑は持っていないんだという

僕は”じゃあ、君の仕事は”というと

”仕事はない”と言う

”なぜだい?、なんで仕事をしようとしないんだ”と聞くと

”僕たちにはできない、仕事を始めるためのお金がないんだ”と言う

”どれくらい必要?’

”資格を取るのに、まず〇〇〇〇〇ルピー(ちょっとわすれてしまったが、結構な額だった)必要”だと言う

”金さえあれば仕事をしているさ

でも僕には金がないんだ、だから助けてくれ”

”悪いが僕はお金をあげることはできない、君の友達には靴をあげたし

もしよかったら僕のズボンやシャツをあげることはできる、それか掃除とか洗濯の手伝い”

そっかじゃあ分かったと言って彼の家を出ることに

その後、最初に会った少年と共にプシュカルに戻ることになったのだが

彼は500ルピーだしてくれ

そのお金で小麦を買うんだと言う

僕は”さっきと話が違うだろ

それにいつまでもこうやって旅行者にお金をねだっているようでは

君の人生はいっこうに改善されない

もっと挑戦したらどうだ”と言う

”今までにも何度も仕事をしようとしてきたさ”

”なんでできないんだい”

”わからないよ、お金が必要なのさ”

”だけど、君がそんなに貧しくて、がんばっているなら理解してくれる人はいるだろ?”と言っても

”インド人はだれも理解してくれない、理解してくれるのは旅行者だけだよと”言う

僕はあまりにひどい世界だと感じた

なんでこうした弱者をこの国は見捨てているんだ

どんな仕事でもいいから働きたいというのに、お金がなくては何もすることができない

僕は”君にただでお金をあげることはできない、一緒に町に行って君に仕事を与えてくれそうな人を一緒に探すよ”と言った

そして彼と一緒にプシュカルの町に行き

バザールを歩きながら、いくつかの店に行って話をしてみた

”彼にはお金がないんだ、だけど仕事をしたがっている、兄弟もいてみんな飢えで苦しんでいる、

彼に仕事を与えてくれないか?”

だけどやっぱり”まず最初にお金が必要だよ、君が〇〇〇〇ルピー(こちらも忘れてしまった)だしたら僕が残りを払う”と

と言われたのでまた歩き出す

”僕は君にただでお金をあげることはできないから

ズボンとシャツをあげる、それで良いかい?”と聞いて

彼も納得したようだったので

宿に戻って、ズボンとシャツを持ってきて彼にあげた

”洗濯すればきれいになるからね、それじゃがんばって”といって

彼と別れた

ちょっと複雑な感情だった

だけど彼にお金をあげたところで僕はハッピーには感じる気がしなかったので

彼にお金をあげなかったことには後悔はしていない

ズボンとシャツをあげたとき彼は満足そうに笑っていたし

それで僕もなんだかうれしい気分になれた

今回の経験はずっと僕の記憶に残るだろう

すごいスピードで変化している社会の中で

いまだに飢えに苦しんでいるひとたちがいることをまじかで感じた日だった

今まで以上に世界が近くなり、簡単に世界中の人々と連絡が取れるようになった現代のテクノロジーを

僕は利用しながら

彼らのような人々に出会ったときに

彼らとはあまりに違う世界に生きているんだと感じた

そして20,30年後

僕らの世代が社会一番で力を持った時代に

このような貧困は減っているのだろうかと思った

僕らの世代は幼少期から情報化社会の中で育ってきた

そしてfacebook,Iphone,skype,wifiを利用して、どこにいても

友達と連絡が取れて、音楽が聴けて、情報を集めれる

僕らの世代は今まで以上に人との繋がりや、人生の質、社会貢献に敏感になっていると思う

だから将来はこうした貧困に背中を向けるような人々は少なくなっていくんじゃないかと思います

この現状をなんとかしたいと強く感じた一日だった

 

 

 

 


プシュカー

2011-09-30 18:14:49 | インド旅

Pushcarは他の都市とは違ってゆったりしていて

とてもいごごちが良いです

それでも詐欺師はいます><

今日も昼ごはんを食べていると

3人のインド人女性がやってきて

写真を撮らないかといってきました

僕はすぐに詐欺だとわかったので、カメラがないからいいよと言うと

いきなり僕の手をとって手のひらに

模様を描き始めました

あまりにあっというまだったので

なにもできずに模様を描かれました

そして、私たちに花を買ってくださいといわれました

ちょっとならいいかと思って

店までついていくと

めちゃめちゃでかい袋をだされたので

ふざけるなと言ってその場を去りました

インドではいろんな詐欺があるので気をつけてください

 


でも、町の真ん中にある湖では

沐浴をする人々がいて

こころを落ち着かせてくれます

なにもせずにただまったりしている感じが

この町の過ごし方のようです

外国人旅行者も多く

観光地化されているので

とてもすごしやすいです

インドのラジャスタン州は

インドの砂漠地帯なので

この辺は乾燥していて

昼間は熱く、夜は若干肌寒いです

山にも木が生い茂ってなく

ぽつんぽつんと小さい木がある感じです

まだ腹痛も完全に治ったわけではないので

もう一泊して完全に治してから

次の目的地のジャイサルメールに移動しようと思います

インドでもっとも西にある町で

周りは砂漠、パキスタンの国境まで100キロほどの距離にある

この町ではラクダに乗って砂漠をまわる

キャメルサファリツアーが人気のようです

僕も別の旅行者を探して

一緒に参加してみようと考えています

以前に参加したことのある友達から聞いたのですが

夜には星空がすごく綺麗だったそうです

そう、ラクダと一緒に夜は砂漠に野宿をするようです

僕の友達は5日間参加したようですが

僕は1、2泊で良いかなと考えています

その後、アグラー、バラナシに行って

そこからネパールに移動しようかなと考えています

時間があったらリシュケシュにも行ってみたいです

そしてネパールのカトマンズから7泊8日間のツアーを利用して

チベットに行く予定です

途中でエベレストを見ることもできるようなのでとても楽しみです