小説キャンディキャンディFinal Story上・下巻 名木田恵子 (著) 祥伝社 (2010/11/1) の考察です
注:物語に関するネタバレがあります
「あの人はどんな人」を考察している途中ではありますが、その前に、検証しておきたいことがありました。
手紙のやりとりの時期---これは、ぜひやっておかねばなりません。
まずは、キャンディとアルバートさんの手紙のやりとりから検証していきます。
エピローグにはキャンディとアルバートさんの一連の文通が収録されていて、下巻P286~P316の手紙は、それぞれが前の手紙への返事となっています。
これらの手紙の中で、キャンディはアルバートさんこそがウィリアム大おじさまであり、丘の上の王子様であったと知った時の驚きや、これまでにウィリアム大おじまさとして支えてきてくれたことへの感謝を示しています。アルバートさんは手紙の中で、自分の正体を隠さなければならなかった理由や、なぜ17歳の少年の時にポニーの丘にいたのかを説明しています。
これらの手紙が書かれた時期は、アルバートさんが正体を明かした直後のやりとりであると言って間違いないでしょう。
キャンディの誕生日に関する記述も見られるので、季節は5月前後です。
この一連の文通とは切り離された一通の手紙があります。キャンディからアルバートさんへ宛てた、(小説中での)最後の手紙です(下巻P317~P322)。アルバートさんと初めてレイクウッドを訪問した直後に、その時の興奮と感謝を記した手紙です。
この手紙の冒頭で、キャンディは"ハッピー・マーチン診療所で働いたあとに子供たちを寝かしつけた"と書いていますので、この診療所はシカゴの診療所ではなく、ポニーの家の村に新しく建てられた診療所だと推測できます。
小説の中で、キャンディはクリスマス前、マーチン先生にアルバートさんからの援助の件を打診し、マーチン先生からクリスマスに、ポニーの家の村に新しく建てるのであれば受け入れる、との返事をもらっています。
さらに、レイクウッドへアルバートさんと訪問したのは春先であることが、手紙の中の自然の描写からうかがえます。
このキャンディのアルバートさんへのお礼の手紙は、アルバートさんが正体を現し、マーチン先生に援助を申し出、翌年春に診療所が建った春頃のことであると推定できます。
エピローグ最後に収録されているアンソニーに初めて宛てた心の手紙も同じ時期に書かれたものですね。
では、次はテリィ系列のお手紙。
エレノアベーカーに宛てた「ハムレット」への招待を断る手紙。これが書かれた時期はいつでしょうか?
手紙の中で、キャンディは"ロックスタウンの町で声をかけて頂いてから、もうずいぶん時が流れたのですね"と書いています。
ずいぶん時が流れたとはどのくらいの期間をさすのでしょう?辞書によると、「ずいぶん」とは「程度が(それ相応に)著しいこと。かなり。相当」とありますから、最低でも3~4年は経っている表現ではないでしょうか。テリィは一度、劇団を捨て失踪してしまいました。一から出直して、また主役をやれるようになるまでには、それ相応の時間が必要であったろうとも推測できます。
ロックスタウンから最低3年と考えたとしても、アルバートさんの正体発覚からも2年以上の歳月が流れていることになります。
その手紙の後に収録されている、キャンディが書いたテリィへの未投函の手紙は、ハムレットの成功やロングランに次ぐロングランを受けて書かれたものですから、エレノアベーカーへの手紙からさらに時が流れています。
テリィのハムレットのイギリス公演が決定したことについてもふれられていますが、これは第一次世界大戦が終わった後、1918年以降の出来事になると思われます。アルバートさんの正体発覚が1915年として(パティがアメリカへ来たのが1914年8月のイギリス参戦直後となっているので、そこから推測しています)、やはりその位の時は経っているとみて間違いないでしょう。
手紙が書かれた時期を時系列に沿って並べてみましょう。
アルバートさんが正体を明かす
↓
キャンディとアルバートさんの文通スタート(5月前後)
↓
ハッピーマーチン診療所が翌年の春先にポニーの家の村に開業
↓
同春キャンディとアルバートさんがレイクウッドを訪問
↓
キャンディからアルバートさんへ感謝の手紙/アンソニーへの心の手紙
↓
数年後、エレノアベーカーからハムレットの招待状
↓
キャンディ、エレノアベーカーへ招待を辞退する手紙
↓
キャンディ、テリィへ手紙を書く(未投函)
↓
スザナ死亡
↓
1年半が経過
テリィから手紙が届く
こう整理してFinal Storyを読み返すと、キャンディの愛の物語がまたすっきりと見えてくるではありませんか。
いまが幸せなら、テリィの手紙が届いても、スザナが死んだからといって、連絡をとるわけにはいかないと、返事は出さないかもしれないと。
けれども、こうして時系列に並べてくださると、テリィからの手紙以降の心境は語られておらず、30代のいまのキャンディの独白まで飛んでいることがわかるんですね。
それで、なんだか安心して、納得できました。
自分では、このように並べてみるという発想がありませんでした。
そして、長いストーリーが必要になる。
想像になりますが、二次ストーリーのように、テリィを慰めようと、鈍感なお返事から始まったのかしら~。
そして、ロックスタウンで見たのはまぼろしではなかったこと、どんなにキャンディが悲しんでいたか、等を知り、お互いの気持ちを知り合っていくなかで、愛は成就していくのかしら~、と妄想するのです。
ありがとうございました。
ブログ主も手紙をこうして時系列に並べたことで、物語がよくクリアに見えました。
特に、アンソニーへの手紙が書かれた時期を特定することで、「生きていても、会うことがかなわない運命があることも知ったのです」というキャンディがアンソニーに伝えた思いの後にこそ長い物語(そこには当然テリィからの手紙の物語も含まれています)があって、そしてキャンディは「生きいればまた巡り合うことができる。もう別れを怖れない」という境地に達したのだと理解できました。
キャンディ妄想……いろいろ楽しめますよね
2次小説「水仙の咲く頃」の素晴らしい翻訳をありがとうございました。愛蔵版の「キャンディ・キャンディ」を愛読してはいたものの、テリィとの別れのシーンが長年トラウマになっていました。そして最近になって、何度目かのキャンディブームがやってきて、こちらのサイトにたどり着きました。そして、ファイナルストーリーの「あのひと=テリィ」という考察が素晴らしすぎて、ただただ感動しました。テリィにはどうしても幸せになってほしかったので、キャンディとテリィが結ばれて本当に嬉しいです。(アルバートさんも大好きですが。)
手紙のやりとりの時期に関する考察で、1つ伺わせてください。テリィからの手紙で「……あれから一年たった。」とありますが、私は小説を読んだ際、「あれから」はスザナが亡くなってから、という意味でとらえていました。しかし、ネット上では「あれから=ヤコブ病院の階段での別れから」という解釈をしている方がいらっしゃることを知りました。理由として「スザナの死をキャンディとテリィは共有していないから、二人が共有している階段での別れと捉えるべき」とのことでした。
ブログ主様は、「あれから=スザナの死後」という意味でとらえていらっしゃると思いますが、テリィからの手紙の配置がスザナの死亡記事の後だから、その流れで自然に「あれから=スザナの死後」という解釈になるのでしょうか?それとも、もっと明確な根拠などはありますでしょうか?「あれから」が気になりますので、教えていただけますと幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
二次小説の翻訳と、あのひと考察を楽しんでいただけて何よりです
テリィからの手紙の「あれから」はスザナが亡くなってからで間違いないと思いますよ。
まず、キャンディはテリィから別れて何年も経ってからエレノアから手紙を受け取って返事を書いたり、テリィ宛の(結局投函しなかった)手紙を書いたりしていますが、手紙の内容含めその描写の中で「別れてから1年後にテリィから手紙が届いた」というようなことは一切書かれていません。別れてから1年後にこれだけテリィの思いを吐露する手紙を受け取って、そのことが一切出てこないのは不自然すぎますから、病院での別れから1年後のことだというのは考えられないです。
スザナの死に関しては、報道でその事実が知らされていることをキャンディもテリィもお互いに了解しているはずでずから(キャンディはテリィの記事の切り抜きを大事にしてますし)、スザナの死はテリィとキャンディが情報として共有していることであり、「あれから」でキャンディには理解できることをテリィはわかってそう表現したという解釈で問題ないと思います。
あのひとはテリィがファイナルアンサーです
「あれから」は、「スザナが亡くなってから」と解釈してよいのですね。その根拠が大変わかりやすく、納得いたしました!テリィはスザナを看取ったでしょうし、キャンディはその場にいなくても新聞で死亡記事を見たということは、情報を共有しているとみなしてよいわけですね。
仮に病院での別れから1年半後にテリィが手紙を投函した場合、その手紙が小説の中で言及されないのはたしかに不自然ですね。しかも、もし病院での別れから1年半後にテリィが手紙を送った場合、スザナが存命中に書いたことになり、いくらスザナを愛することはできないとはいえ、スザナのそばにいることを選んだ、本来誠実なテリィにはふさわしくない行動のような気がします。やはり「あれから」はスザナの死後、ということが明確になりすっきりしました。本当にありがとうございます!
ここ数日、ファイナルストーリーにはまりすぎて、ネットで色々と検索しました。以下の内容は、ブログ主さんはご存知かと思いますが、書かせていただきます。日本語版のウィキベディアによると、『なかよし』での連載が開始するにあたり、講談社の編集者が少女名作漫画を企画し、水木先生が『赤毛のアン』、担当編集者が『あしながおじさん』、いがらし先生が『ローズの季節』の話を持ち出して、コンセプトが作られたそうです。この情報が正しいとすると、連載当時は主に『あしながおじさん』をベースにして物語を予定調和で終わらせたのだと思いますが、水木先生が『赤毛のアン』をお好きなようなので、アンとギルバートが仲直りしてハッピーエンドになったように、ファイナルストーリーではキャンディとテリーが結ばれるのも自然であるように思えました。ポニー先生の「曲がり角を曲がったところには何が待っているかはわからない。」という言葉は、『赤毛のアン』に出てくる「道にはいつも曲がり角があり、その先には新しい世界が広がっている」という文から影響を受けたのでしょうね。
また、テリィは名木田(水木)先生お一人で作ったキャラクターらしいので、その分思い入れもあるでしょうし、テリィの幸せを願っているはずですよね。2019年にフランスのイベントでは、ファンからの「テリィは幸せですか?」という質問に対し、名木田先生は「テリィも幸せ、みんなも幸せ」と答えていらっしゃるようです。まさにハッピーエンドですね。
https://candycandyfinalstory.com/livre-paris/nagita-revelations/
さらに、海外サイトで、テリィは「光」を放つ存在であることが記されていました。(テリィは俳優なので、舞台でスポットライトが当たっていることも意味していると個人的には思いました。)ブルーリバー動物園でキラキラ輝いて見えたテリィ、セントポール学院を退学後、アメリカへ向かうテリィが乗っている船の輝き、そして、ファイナルストーリーの最後のページで、暗がりの部屋の灯りを灯したのは・・・ハッとしました。灯りをつけてくれたのは、光そのものであるあのひと、テリィなんですね。「そのとき、突然、部屋の灯りがともった。」この一文で、あのひとがテリィであることがより明確になったと思いました。
ところで、アルバートさんのキャンディに対する思いについて、伺わせてください。ファイナルストーリーでは、あくまでも養父としての態度を貫いているようですが、漫画では、記憶喪失中にキャンディと同居していた際、キャンディに対して特別な感情を抱いていたのだろうか、とふと思いました。(テリィに会いにニューヨークへ行ったキャンディが早く帰ってくることを願っていたり、いいお嫁さんになれると思っていましたね。)記憶が戻ってからも、キャンディをしあわせにしたい、という気持ちを持ってキャンディに接していたと思います。アルバートさんが記憶喪失中のキャンディに対する思いについて、ブログ主様のお考えをお聞かせいただけたら嬉しいです。長々と失礼しました。どうぞよろしくお願いします。
「あれから」の件、すっきりしていただけてよかったです。
ファイナルストーリーをもう一度確認してみたところ、テリィの手紙の前のページに「スザナ・マーロウの死亡記事を見たのは、もう、何年も前のことになる」と「スザナはテリュースと婚約したまま結婚することはなかった」とわざわざ記述までされているので、読者にも「あれから=スザナの死から」「テリィは結婚しないままスザナを支えていた=キャンディへの思いが残っていた」と自然な流れで理解できるようになっていますね。これを「あれから=病院での別れから」と読むのは、国語の読解授業でも正解にならないかと…。
漫画ではアルバートさんが記憶喪失中にキャンディに特別な感情を抱いたのでは…というささまま様の考察にはブログ主も同意します。キャンディの初恋はアンソニーだったはずが、同居中には丘の上の王子様に変更されたりして、そちらの方向へ話を無理やり動かしているのが今ではよくわかります。漫画連載時は、アルバートさんとの未来を予感させて終わらせざるを得なかったというのが実際だったのだと思います。それが原作者さんがファイナルストーリーの後書きでも言及されていた当時の事情であり、心残りだったのではないでしょうか。テリィの人気が制作サイドの想定を超えて爆発してしまい、多くのファンの心残りにもなってしまいましたね。
だからファイナルストーリーではアルバートさんとの同居のくだりがばっさりカットされているのは、原作者さんの本音(自分が本当に書きたかった内容ではなかった)の現れだと思いますし、漫画を読まないでファイナルストーリーだけを読んだ長年の夢をあたためてない読者の頭の中に、不要な情報を入れずに、あのひと=テリィという愛の物語をそのまま伝えていると解釈しています。
「あしながおじさん」ではなくて「赤毛のアン」がメインコンセプトと考えると、テリィは明らかにギルバートだし、アルバートさんはマシュー・カスバートですよね。ブログ主はアンとマシューの関係性が大好物で、キャンディにとってアルバートさんはマシューのようにただひたすら親としての愛情を注いでほしいと思ってます。
ささまま様のテリィと光の考察もとても素敵ですね。テリィがキャンディにとっての光であるというのは、ファイナルストーリーで明確に描かれていますよね。漫画以上にキャンディの中でのテリィの存在の大きさがわかる物語になっていました。
それにしても、もしスザナが生きていたら、キャンディとテリィは永遠に結ばれることはなかったのだろうか、いや、スザナが生きていてもテリィはいずれ別れることを選んだのだろうか、仮にスザナとテリィが別れても、同業者なので顔を合わすことは多いだろうからお互い気まずいのでは、などと色々考えてしまいました。スザナが生きてテリィと別れたとしても、スザナの存在自体が重くのしかかって、テリィとキャンディは一緒になれなかったのではないかとも思えてしまい、やはり、スザナが亡くなったことで、キャンディとテリィが結ばれたので、ファイナルストーリーの果たした役割の大きさに、ただただ驚くばかりです。
キャンディに対してアルバートさんが特別な感情を抱いていたのでは、という点について、ブログ主様も同意してくださって嬉しいです。当時の事情と、ファイナルストーリーではアルバートさんとの同居のくだりがカットされている理由についても、なるほどと思いました。ブログ主様の深い考察に感動を覚えます。
『赤毛のアン』のアンとマシューの関係性、私も大好きです。アルバートさんには、たっぷりの愛情をキャンディに注いで、キャンディを見守っていてほしいですね。テリィがキャンディを「ターザンそばかす」と、ギルバートがアンを「にんじん」とからかっていましたが、いつの時代も、男子は好きな女子をからかうことが多いのでしょうか。私の中でのキャンディブームが落ち着いたら、また『赤毛のアン』を読み直してみたいです。
キャンディにはまりすぎて検索しているうちに、『まんだらけZENBU』という本があることを知り、早速購入してみました。キャンディ特集で、昔のグッズ(人形やミシン、雑貨など)が写真で掲載されていて、実物を1つも見たことのない私にとっては、漫画や小説と同様に手元に置いておきたい1冊となりました。
キャンディのファイナルストーリーは、読めば読むほど新たな発見がありますね。これからもブログ主様の考察を参考にさせていただきながら、楽しく読み続けたいと思います。色々とありがとうございました。また疑問が生じたら伺わせてください。よろしくお願いします!
ブログ主的には、恐らくスザナが生きていたらテリィはずっと側にいたでしょうし、そういうテリィだからキャンディは思い続けたんじゃないかなと思います。だからテリィとキャンディが結ばれるにはスザナが亡くなるしかなかったので、本当にファイナルストーリーは事件だったのですよね!!
「赤毛のアン」の再読も楽しそうですね。シリーズのどこまで読むかでいつも悩みます。
このようなブログでよければ、またぜひコメントお寄せください。皆さんとやりとりする中で、ブログ主もキャンディワールドに浸って楽ませていただいてます
ご返事をありがとうございました。
スザナが生きていたら、テリィはずっと側にいただろうと私も思えます。もしスザナが亡くならなかったら、キャンディは独身を選んで、ポニーの家や、診療所で看護師として働き続けたかもしれません。他の男性にすぐ心変わりするようなキャンディではないし、テリィを愛してやまなかったんですものね。10年ほど離れ離れになっていたキャンディとテリィの愛が試されていたのでしょうか。神様が救いの手を差し伸べてくれたとしか思えません。スザナの死は、本当に大事件だったわけですね。
スザナが亡くなってから1年半後にテリィが手紙を投函しましたが、キャンディから書くことはなかったかもしれないと思いました。二人が別れてから、テリィが最初にアクションを起こしてくれて、個人的には嬉しいです。キャンディに一途なテリィがとても魅力的!です。
私は今、キャンディ&テリィ中毒です。実は、小説は発売当時にしっかり購入していたにもかかわらず、さらっと読んで保管していただけでした。数週間前に偶然小説を出して読み、ネットで調べたところ「あのひと」のことがあちこちで書かれていて、本当に驚きました。ブログ主様のブログも10年ほど前から色々な方が書き込まれている中、遅ればせながら参加させていただいています。
今のような時代こそ、キャンディのアニメが再放送されれば、勇気づけられる人たちも多いのではないかと思ったこともあるのですが、おそらく再放送の可能性はゼロに近いでしょうね。でも、40年以上も昔の物語が、今もなお世界中のファンたちの間で語り継がれていて、この物語は日本一、いや世界一の名作なのではないかと思っています!
ファイナルストーリー発売から10年を経てささまま様に到来しているキャンディ&テリィ中毒期、心ゆくまで楽しまれるよう祈っております