
公開初日に観てきました。行ったら偶然初日だったんだけど。今回は『ハウルの動く城』のはなし。(ネタばれあり)
脚本のはなし
カランカラン。『ハウル』はマイジプリランキング一位になりました~。ジプリで最も人気のある作品が今だに『トトロ』である状況を踏まえると、ハウル一番、ダーと言う人はそういないと思われる。そしてこの作品を気に入らない人の非難の矛先は、キムタクと言うより、ラスト急展開でジ・エンドのあの脚本のぐだぐださに集中するに違いない。戦争を盛り込んでおきながらのアンパンマン級ハッピーエンドといい、二回目の引っ越す辺りからのガッツ石松級難解さといい、文句のつけ所は確かに満載。下手したら僕も批判側に立っていたかも。だけど、一番。それでいいんです。そのぐちゃぐちゃ感が面白いんす。
現実とファンタジー
『千尋』の場合はそうはいかない。なぜなら『千尋』は、現代の日本の家族から話が展開する。ジプリがウリの不思議キャラ達のいるファンタジックな世界に、現実世界に住む千尋が迷い込んだ構図をとるので、話の構成も辻褄を合わせる必要があるし、現実とファンタジーの境界を描かなくてはいけない。しかし『ハウル』は、魔法や魔女が同居した外国が舞台だ。最初から何でもアリの、現実とは一線引かれた世界なので、話に多少無理があろうが問題ない。寧ろその方がよりファンタジー、脚本は大体の筋さえ通ってれば気にする必要ないのだ。
ストーリーとメッセージ
それから、畳掛けのパッピーエンドのせいか『ハウル』は、『もののけ姫』以来のメッセージ性をなくし原点回帰した作品だとか純粋なラブストーリー映画だとか言われるが、とんでもない。『もののけ』、『千尋』を経て始めてこの作品は生まれたわけでメッセージ性も色濃く残っている。話は単純、メッセージはある、そんなナイスなバランスにあると思うのです。

映画のテーマのはなし
では一体どんなメッセージか。『ハウル』はジブリ初のラブストーリーと騒がれるが、この映画のテーマは、タイトルの通り「城」、真の主人公は「城」である。「城」とは、ズバリ「家」のことで、つまり『ハウル』=「家の映画」と言ってよい。だから物語に並行して「家」の姿を変えていく過程が描かれる。ファーストカットは「城」(=「家」)のシーンで始まり、ソフィーは住み慣れた家をやむなく出た後、ハウルの家に住み始め、そこの住人となって家を守り、引越しを繰り返す。話が進むと家は段々と壊れ、しまいには板一枚に。そして最後新しい家が飛ぶシーンでラストを迎える。どうでしょう?こうやって見ると『ハウル』は家の視点から家族を描いた作品という気がしてきませんか。同時にハウルの同居人も、カブ、ヒン、魔女と次第に変化していく。子供のマルクル、老婆の魔女、座敷童子のような存在のカルシファー。そこにハウルとソフィーが加われば、一つの家族ができあがります。「家」は家族であり、守るべき存在。---これがこの映画のメッセージのような気がします。
ところでこの映画のキャッチコピーは「ふたりが暮らした。」。ラブストーリー感を出しつつ、「生活」や「暮らし」などの印象も与えたい。そう考えた結果できたコピーなんではないだろうか。いいコピーだと思いました。
家と記憶
ハウルのおかげで主人公ソフィーが若い頃に帽子を作っていた部屋が蘇るシーンがあるでしょ。あそこで僕はぼろぼろ泣きました。ソフィーが歳をとったり若返ったり、ドアを開ける度に別の町につながったりと、あれだけ時空間を自由に行き来する映画で、一つ重要になってくるのが「記憶」だ。その記憶を蘇らせるのもまた「家」であったりする。ソフィーの若い頃の記憶もハウルのカルシファーと契約を交わした記憶も、それぞれソフィーのいた部屋、ハウルが幼少時代によくいた家がきっかけとなって蘇る。僕は引っ越し経験がないけれど、今はもうない家や昔通ってた学校、子供の頃遊んだ公園、そういった建物が突然用意されたら、きっと一気に記憶が蘇ってくるんだろうと思う。空気というか匂いというか。建物と記憶のつながり。家は一日では築く事のできない生活の重みを持つ。
そういえば『千尋』も引越しシーンから始まる。でもどっちかというと『千尋』は、引っ越し先のまだ何があるのかわからない不安みたいな空気が映画全体を覆い、『ハウル』では引っ越す前の淡い思い出みたいな懐かしさが漂う。気がする。そしてそれを全て消し去ってしまうのが戦争である。「私の町が!」戦争は一瞬にして思い出の場所を消す、或いは守ろうと戦う。あれくらいのハッピーエンドにしなきゃこんな悲惨なものを描けないだろうし、アニメでの限界でもあるんだろう。

追伸
細かいけど気になった事2つ。ソフィーが歳をとった事を、手の皺、老けた顔、動かない体、しゃがれた声によって表すんだけど、どうしてしゃべり方までおばあちゃん言葉にしちゃうのかな。後、ヒンていう犬は、階段も上がれない設定のくせに、途中飛行機に飛び乗ってた気が。。矛盾しててもいいとか言いながら、超細かい事が気になってしまうのでした。
キャラクター・声のはなし
声に人気俳優を起用しその人気をあやかる宣伝方法を快く思わない人は多い。最近のハリウッドアニメを見ると、『シャーク・テイル』では、キャラクター自体が、声のウィルスミスやロバートデ・ニーロなど本人そっくりだったり、『ポーラーエクスプレス』では、声のトムハンクスがそのままアニメに出演したりと、キャラクターと俳優を連動させる傾向にある。『ハウル』も同じ手法だろう。キムタクも美輪明宏もそっくりだもん。それにしても、相変わらずグッズ販売もすごい。あらゆるグッズが揃ってて、確かに観終わったらつい買いたくなっちゃうけど、そんなにジプリばっか買わされて悔しくないか?とも。逆に言えば、毎回売れるキャラクターを登場させるのも大変なんだろうけど。しかし、今回カルシファー一辺倒ね。数えたら、109個のグッズ中、カルシファー関連グッズは37個もあった。あれ?数字にしたらそうでもねーや。
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脚本のはなし
カランカラン。『ハウル』はマイジプリランキング一位になりました~。ジプリで最も人気のある作品が今だに『トトロ』である状況を踏まえると、ハウル一番、ダーと言う人はそういないと思われる。そしてこの作品を気に入らない人の非難の矛先は、キムタクと言うより、ラスト急展開でジ・エンドのあの脚本のぐだぐださに集中するに違いない。戦争を盛り込んでおきながらのアンパンマン級ハッピーエンドといい、二回目の引っ越す辺りからのガッツ石松級難解さといい、文句のつけ所は確かに満載。下手したら僕も批判側に立っていたかも。だけど、一番。それでいいんです。そのぐちゃぐちゃ感が面白いんす。
現実とファンタジー
『千尋』の場合はそうはいかない。なぜなら『千尋』は、現代の日本の家族から話が展開する。ジプリがウリの不思議キャラ達のいるファンタジックな世界に、現実世界に住む千尋が迷い込んだ構図をとるので、話の構成も辻褄を合わせる必要があるし、現実とファンタジーの境界を描かなくてはいけない。しかし『ハウル』は、魔法や魔女が同居した外国が舞台だ。最初から何でもアリの、現実とは一線引かれた世界なので、話に多少無理があろうが問題ない。寧ろその方がよりファンタジー、脚本は大体の筋さえ通ってれば気にする必要ないのだ。
ストーリーとメッセージ
それから、畳掛けのパッピーエンドのせいか『ハウル』は、『もののけ姫』以来のメッセージ性をなくし原点回帰した作品だとか純粋なラブストーリー映画だとか言われるが、とんでもない。『もののけ』、『千尋』を経て始めてこの作品は生まれたわけでメッセージ性も色濃く残っている。話は単純、メッセージはある、そんなナイスなバランスにあると思うのです。

映画のテーマのはなし
では一体どんなメッセージか。『ハウル』はジブリ初のラブストーリーと騒がれるが、この映画のテーマは、タイトルの通り「城」、真の主人公は「城」である。「城」とは、ズバリ「家」のことで、つまり『ハウル』=「家の映画」と言ってよい。だから物語に並行して「家」の姿を変えていく過程が描かれる。ファーストカットは「城」(=「家」)のシーンで始まり、ソフィーは住み慣れた家をやむなく出た後、ハウルの家に住み始め、そこの住人となって家を守り、引越しを繰り返す。話が進むと家は段々と壊れ、しまいには板一枚に。そして最後新しい家が飛ぶシーンでラストを迎える。どうでしょう?こうやって見ると『ハウル』は家の視点から家族を描いた作品という気がしてきませんか。同時にハウルの同居人も、カブ、ヒン、魔女と次第に変化していく。子供のマルクル、老婆の魔女、座敷童子のような存在のカルシファー。そこにハウルとソフィーが加われば、一つの家族ができあがります。「家」は家族であり、守るべき存在。---これがこの映画のメッセージのような気がします。
ところでこの映画のキャッチコピーは「ふたりが暮らした。」。ラブストーリー感を出しつつ、「生活」や「暮らし」などの印象も与えたい。そう考えた結果できたコピーなんではないだろうか。いいコピーだと思いました。
家と記憶
ハウルのおかげで主人公ソフィーが若い頃に帽子を作っていた部屋が蘇るシーンがあるでしょ。あそこで僕はぼろぼろ泣きました。ソフィーが歳をとったり若返ったり、ドアを開ける度に別の町につながったりと、あれだけ時空間を自由に行き来する映画で、一つ重要になってくるのが「記憶」だ。その記憶を蘇らせるのもまた「家」であったりする。ソフィーの若い頃の記憶もハウルのカルシファーと契約を交わした記憶も、それぞれソフィーのいた部屋、ハウルが幼少時代によくいた家がきっかけとなって蘇る。僕は引っ越し経験がないけれど、今はもうない家や昔通ってた学校、子供の頃遊んだ公園、そういった建物が突然用意されたら、きっと一気に記憶が蘇ってくるんだろうと思う。空気というか匂いというか。建物と記憶のつながり。家は一日では築く事のできない生活の重みを持つ。
そういえば『千尋』も引越しシーンから始まる。でもどっちかというと『千尋』は、引っ越し先のまだ何があるのかわからない不安みたいな空気が映画全体を覆い、『ハウル』では引っ越す前の淡い思い出みたいな懐かしさが漂う。気がする。そしてそれを全て消し去ってしまうのが戦争である。「私の町が!」戦争は一瞬にして思い出の場所を消す、或いは守ろうと戦う。あれくらいのハッピーエンドにしなきゃこんな悲惨なものを描けないだろうし、アニメでの限界でもあるんだろう。

追伸
細かいけど気になった事2つ。ソフィーが歳をとった事を、手の皺、老けた顔、動かない体、しゃがれた声によって表すんだけど、どうしてしゃべり方までおばあちゃん言葉にしちゃうのかな。後、ヒンていう犬は、階段も上がれない設定のくせに、途中飛行機に飛び乗ってた気が。。矛盾しててもいいとか言いながら、超細かい事が気になってしまうのでした。
キャラクター・声のはなし
声に人気俳優を起用しその人気をあやかる宣伝方法を快く思わない人は多い。最近のハリウッドアニメを見ると、『シャーク・テイル』では、キャラクター自体が、声のウィルスミスやロバートデ・ニーロなど本人そっくりだったり、『ポーラーエクスプレス』では、声のトムハンクスがそのままアニメに出演したりと、キャラクターと俳優を連動させる傾向にある。『ハウル』も同じ手法だろう。キムタクも美輪明宏もそっくりだもん。それにしても、相変わらずグッズ販売もすごい。あらゆるグッズが揃ってて、確かに観終わったらつい買いたくなっちゃうけど、そんなにジプリばっか買わされて悔しくないか?とも。逆に言えば、毎回売れるキャラクターを登場させるのも大変なんだろうけど。しかし、今回カルシファー一辺倒ね。数えたら、109個のグッズ中、カルシファー関連グッズは37個もあった。あれ?数字にしたらそうでもねーや。
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ディズニーアニメの声優には、アニメーションの
キャラの顔と、吹替をする声優さんの骨格が似ている
人をチョイスしていたそうです。
もっとも最近は違ってきたみたいですけどね(笑)?!
『アラジン』の日本語吹替には某大物女優が吹替た
のですが、アメリカのスタジオからはNGがでた
そうです(爆)。。。
さすがです。
映画館でおっきい人が後ろからじーっとショウウィンドウを見ているのが目に浮かびます。
ストーリーがいたって単純!?
のえええ・・・私にはそうは思えませんでした(TOT)
つまり結局何に焦点をおきたかったの?
のろいは解けたの?
そもそもハウルは何と戦っていたの?
それらのテーマがあまりにも掘り下げ不足で
見ていてちょこっと消化不良。
ううーむ、と唸りながら帰ってきてしまいました。
でも魔法使いというのは
宮崎ワールドでも新しい世界だし、
音楽は美しいし、
ソフィは前向きでひたむきで可愛いし、で
結果オーライなんですけどね(笑
とにもかくにも大画面で家が見れてよかったよかった。
骨格ですかー。すげー。
でもそれより気になるのはNG女優です。
そんなハリウッドからNGって、よっぽどNGで大物なんしょうね。
>kazuさん
映画館の中でグッズが売ってたんですけど、
それはもう込み込みでした。
かわいいのも沢山あって、その時の印象は
カルシファーだらけだったのですが。。
いざ数えてみたらそうでもなかったです。
カブやヒンにも気を使ってるみたいです。
>しまりす
もちろん解らないことだらけでした。。
その辺はもう一回見ないとわかんないので
とりあえずふれずに。。
話の展開がわかりやすいということです。
それにしても、この難解さがリピーターを
増やすんでしょうね。
そしてなるほど~って思いました(笑)
私はそんなことなど全然想像もせず、ただ単純に小作品っぽいな~と思いつつ楽しんだ人間です。
超オススメ!と友達にススメはしないのだけど、
多分もう一度は自分で観に行こうと思っている気分が不思議だな~と思います(笑)
さて実は、今この映画についてアンケートをとっています。
もしよろしかったら…お願いします♪
http://blog.goo.ne.jp/chishi-senhon/e/9a1b51fd4e217041649f18c2e0a1de00
きっと忘れ得ぬ憧憬が自分にあるのでしょう。葛藤しながら取り組んだ自らの歴史と、そこにまつわる情緒にリンクしているのだと思っています。普段、日常を過ごすなかで置き忘れられた自分が、かろうじて蘇った瞬間を、自分の情緒が見逃さなかった。そんな感じがします。
おんなじ所でぼろぼろって、すごいですね。
『スラムダンク』でミッチーが「バスケがしたいです」みたいな、皆が感動するようなシーンとは違って、まさか同じ所で泣く人がいるとは思ってもいなかったものですから。
帽子屋のシーンなんて最初の一瞬しか描かれていないから思い入れなんてないはずなのに、グっときましたよね。本当にどうしてなんでしょうね。ホントどろさんの通りだと思います。毎日毎日同じような暮らしをしていても、気づかない間に自分の中で忘れ去られたものが少しずつ出来ていて、それを目の当たりにしてしまった感覚です。
すばらしかった!
この作品にテーマが見えないというヒト、多いようですが、
ニュートラルなキモチで作品をそのまんま受け取ると、
おっしゃる通り、「家」もしくは「HOME」がテーマとして
浮き上がってくると思いました。
板きれ一枚になっても、みんなと一緒にいたいから、と思える「HOME」。
ソフィーがお城に転がり込んで、掃除夫として勝手に生活しはじめるところ、ハウルへの恋心、みんなと一緒の暮らし、
これって、なんとなく成田美名子「エイリアン通り」を思い出しちゃいました。
そうだ。ソフィーの年齢によって、声が変わることについて。
見た目の年齢の変化の中にいるソフィーは、ずっと18歳の娘じゃないですよね。ヒトって歳を重ねることで、そうそう本質は変わらないけど、立場や環境・経験から言動は変化していくものだと実感しています。その年齢に応じた心のありかたを描くために、声の変化は必要だったと思います。
花にあふれた村で、すっかり少女になったソフィーは、キモチをハウルに伝えたいと思っている時まで娘なのに、「あきらめ」が現れたとたん老婆の姿に変わってしまう、あのシーンに象徴されていると思います。
ボクなりの感じ方ですけど。
@TBありがとうございました!
こちらからも送らせていただきました。
むむむさんのレビュー、わかりやすくて的確で。
感動してしまいました。
というわたしは「あれれ?」な感想ですみません。
ハウルよかったですねー
私は「ヒン」が好きです。
確かに「ヒン」は階段も登れなかったくせに、
飛行機に飛び乗ってましたね。。
やっぱ人間も犬も切羽詰るとどこからともなく力が湧いて出てくるんですね。
私はちょっとソフィーの声に違和感を感じましたが、
作品全体的にはすごい素敵でした。
また遊びにきてくださいね♪