今のグループホームは、ベッド、布団は完備しているので、オネショで布団を汚してもちゃんと処理してくれる。でも、なるべく汚れを減らしたい。最初のグループホームは、母親が布団を汚したら、私の方で処理するようにと連絡してきた。(月1回のシーツ交換とは別に)車のない私には遠方で色々と負担が多かった。その頃、すでにオネショ対策に防水シートを使用していたが、介護用品は高く、布団の半分にも足らない防水シートだったから?とか思いあぐねていた。最近、やっとガーゼ素材のシーツタイプで安価な物を生協で購入し、今日設置してきて満足している。
母親の介護のおかげで私は強くなった気がする。自分で言うのもなんだが、体の中に芯が出来たような感じだ。結婚と同時に始まった介護。かなり進行していたアルツハイマーの症状に対応する日々。新しい問題が出ると、即断即決しなければ前進しないし、いちいち落ち込んでいられない。私の場合、一人っ子で親戚は遠方だし、あてにはならない。でも、一人で全てを抱えるのは無理だしその気もなかった。介護を続けていくには、第三者の手をバランス良く借りることだ。ディサービスの人やヘルパーさん達や手伝ってくれた私の友人らに理想的な介護だと言われたのが、私の心の芯になっている。
グループホームでは年2回、定期検診に連れて行くことになっている。母親は2月と8月だ。採血、レントゲン、心電図がいつものコース。最近、レントゲンと心電図で時間がかかるようになった。レントゲンでは、私の顔が見えると機械から離れてしまうので、私はすぐに部屋から出ている。今日は看護師さん二人がかりで付き添ってくれた。心電図でもなかなかベッドで横になってくれない。横になったら、なぜか両足を上げてみたりと落ち着かない。それでも検査を待ってる間は以前に比べ、かなり落ち着いた。ともかく、他の病気にかからず、まだまだ元気でいてほしい。
母親のグループホームは、私の家から歩いて7、8分のところにある。免許がない私にはありがたい。今の「レインボー1」は2回目。最初のところは3ヶ月いたが、遠かったのと色々細かいことが多かった。母親の在宅介護の間、ヘルパーさんの他、私の友達3人が手伝ってくれていた。現在3人ともホームヘルパーの資格を取って働いている。私の母親がきっかけだったら少しでもお役に立てたかな。最初のグループホームは、散歩の付き添いで私の友達が行くことを1ヶ月こちらで落ち着くまでとやんわりと断ってきた。こちらも初めてなので納得したが、そろそろ1ヶ月になる頃、遠回しに退所してほしい言い方をされた。母親のことを勝手に精神病もあるんじゃないかと言ってくる。私は必死で母親の事情を話し、なんとかまた様子を見てくれることになったが、なかなか契約をしてくれない。私の不安は増す一方だった。訪問する時、前もって連絡しなくちゃいけないことや、月1回シーツ交換に行くこと、グンゼの下着にすることなどまだ色々あったが、省略する。ともかく細かかった。どうもグループホーム側の都合を主張していた気がする。私はグループホームを変えることに決めて、1ケ所に申し込みをしておいた。ある日、家の近くで建築中の建物があり、グループホーム入居者募集中と看板がかかっていた。すぐさま連絡して、事情を話し無事入居出来ることになった。それが今の「レインボー1」である。ここはいつ訪ねてもいいし、私の友達が散歩の付き添いに行くのも大丈夫だった。入居したては週3回ぐらいは訪ねていたかもしれない。ともかく、在宅時の習慣をなるべく活かして、自分の家だと思えるようにしていた。それは、私の友達やグループホームの職員さん達が気長に対応してくれたおかげだと思う。もちろん、今のグループホームが万全かどうかは分からない。でも、入居して4年。お互いなんとかなるだろうって気がしている。
私が母親の髪を切ってからなかなか美容院に行く機会がなく、かなりボウボウに伸びていて早く連れて行かなきゃと焦っていた。やっと今日、友達の車で行けることに。美容師の友達は手早くきれいに可愛くカットしてくれる。母親も鏡の前に座ると大人しく終わるのを待っている。最初の頃は気分が落ち着かず、すぐにでも立ち上がりそうだった。飴やお菓子で気を引いたりしていた。時々面白いのは、私と友達と美容師の友達3人で他愛もない話をしていると、絶妙なタイミングで意味ない返事をしてくる。もちろん、私達の話を理解している訳ではないがうまく噛み合って笑えるのだ。今日はとても短くなってすっきりしたので、今度は春先にでもカットしてもらおうね。
私の母親はひどい外反母趾で、そのせいで右足裏に2個、左足裏に1個、10円玉ぐらいの大きなウオノメがある。皮膚科の先生が往診で処置してくれていたが、なぜか一ヶ月ぐらい前から、往診が中止になっていた。グループホームの連絡不行き届きで、何も知らなかった私はウオノメのひどさに驚いた。グループホームの職員さん達を責めても仕方ないし...。よし!私が治してみよう!と、ウオノメに挑戦することに。とりあえず盛り上がってる部分を削ってみる。最初は硬くてうまくいかず、私の指を少し切ってしまった。ひぇ~!痛みはなかったが、結構出血してしまい、母親も分からないなりに少し怖がっているようだ。あせりながらキズバンで応急処置をして削っていると、段々コツがつかめてきて盛り上がってた部分が少しずつきれいになってくる。そうなるとついつい熱が入ってしまい、母親が何度となく足を引っ込めようとするのを無理矢理押さえて、削り続けていた。もうこれでいいかな?と気がゆるんだところで、今度は母親の指をほんの少し切ってしまった。ひゃ~!私の傷ほどではなかったが、一応キズバンを貼って職員さんに報告。は~。久しぶりに頑張ってしまった...。ま、今度はあせらずきれいに削ることにしよう。
アルツハイマーは人によっていろんな症状がある。母親は急に手拍子を打ったり、物の数を繰り返し数えたりする。(畳や手すりを数えたり、散歩に行くと車や自転車を数える)母親の手拍子を嫌がる入所者もいて、一時問題になったことがある。職員さんや私がまだ頭はしっかりしているその人に母親のことを説明しても、今だにその人は納得していないようだ。というか家族の方はどう思っているのだろう。私はちゃんと話し合ってみることも必要だと思うが、家族の方がしょっちゅう来られる事は少ない。とてもむずかしいことかもしれないが、家族の接し方で頑なな気持ちが変ることはあるのだから。
母親はまず絵本の動物や木々などを数えていた。たまに私が付いて絵本の文を読んだりもしていた。症状が進んだ今は、「本読んで」と言っても、4冊ある絵本を数えるだけだ。絵本を開いてみるように進めても、最初のページをちょっと数えるだけでパタンと閉じてしまう。そこであれこれと物色して、幼児用のオモチャを探してきた。チョウチョやアヒルなど12種類の動物などがフェルトで出来ていて、裏にマジックテープが付いて、大きな一枚の布にそれぞれくっつけたりはずしたりして数を数えるオモチャだ。色合いがビビットで形も可愛いので、職員さんたちにも好評だ。最近、それらが母親の部屋のキャビネットの上に置いてある。きっとご飯や散歩以外はここでオモチャの数を数えているんだろう。並べてあると結構可愛くて、おままごとのあとのようだ。よく見るとアヒルの中に一羽、形がゆがんで潰れているのがある。もしかして食べ物と思って噛んだのでは?アヒル君は災難だったが、仕方ないもんね。
母親はまず絵本の動物や木々などを数えていた。たまに私が付いて絵本の文を読んだりもしていた。症状が進んだ今は、「本読んで」と言っても、4冊ある絵本を数えるだけだ。絵本を開いてみるように進めても、最初のページをちょっと数えるだけでパタンと閉じてしまう。そこであれこれと物色して、幼児用のオモチャを探してきた。チョウチョやアヒルなど12種類の動物などがフェルトで出来ていて、裏にマジックテープが付いて、大きな一枚の布にそれぞれくっつけたりはずしたりして数を数えるオモチャだ。色合いがビビットで形も可愛いので、職員さんたちにも好評だ。最近、それらが母親の部屋のキャビネットの上に置いてある。きっとご飯や散歩以外はここでオモチャの数を数えているんだろう。並べてあると結構可愛くて、おままごとのあとのようだ。よく見るとアヒルの中に一羽、形がゆがんで潰れているのがある。もしかして食べ物と思って噛んだのでは?アヒル君は災難だったが、仕方ないもんね。
なんんとか母親の熱もひいて、今日は寒いけど時々お日様も出るので、久しぶりにお散歩する。いつもは近くの神社までその日の気分でコースを変える。ちょっと思ったより風が強いので最短コースにした。急に寒くなったので、フード付コートとカーディガンを2枚持ってきた。コートに手袋でこれからの散歩は大丈夫だ。畑や田んぼを見ながら、「いい畑やね。いい田んぼやね。」を繰り返す。見えるものはなんでも「いいもの」になっている。家もバイクも車も。最近は少し症状が進んだようで、前はきちんと言えた畑の作物がでたらめになっている。刈り取った後の稲を見て「いいネギやね。」と言ったり、思いつくまま?の畑にない野菜の名前を言ったりしている。でも、結構面白い。先月の終わり頃だったろうか、在宅介護の時はよく歌っていたのに、ここ数年ぴたっと歌わなくなっていたのが、散歩中に急に歌い出した。♪緑の丘の赤い屋根、とんがり帽子の時計台♪って私も少し知ってる懐メロだ。私はとてもうれしくなった。母親は昔から歌を唄うのが好きだから。この前、髪を切った後も♪とんとんとんからりのとなりぐみ~♪って唄ってた。どうも全部は唄えないらしい。仕方ないけど。他の入所者の人たちは高齢者が多く、ほとんどが80歳を過ぎている。歌を唄うなんて人はいない。(別の階で詩吟を唄ってる人がいるようだ)だから、母親のハンパな歌でも少しは明るい雰囲気になるんじゃないかな。
前々から気になっていたが、なかなか美容院に連れて行けずにいた。それにこの前から熱が出て、なかなか下がらないので、念のため病院で胸のレントゲンを撮ることになり、私が病院に連れていくことに。グループホームでは基本的に外出は家族が連れ出すことになっている。緊急時や家族が遠方にいる場合などは、グループホームの職員さんが連れてってくれる。でも、ドクターに熱のことを聞かれても詳しいことが分からず、看護士さんがグループホームに連絡して確認していた。前もって詳しい状況をグループホームの方から伝えてもらうべきだったし、外来の担当医がグループホームに往診に来てくれたドクターと違っていたようで、またややこしかった。ともかく、今日訪ねたら、熱は落ち着いたとのこと。今日も神社への散歩は止めて、気になっていた髪を切ることにした。実はこの前、私が自分で切ってみようと、バリカンタイプのものを購入して母親の部屋に置いてあった。こんな風に髪を切るのは初めてなので、母親には悪いけど全然きれいに揃わない。当たり前だわ。左右の長さも違うし、後ろなんかダゴダゴになってしまった。でも、ま、いいか。ボウボウになってるよりは・・・。と、言い訳をする。母親だって髪を切ったなんてこともすぐ忘れてるし。カットしてる間中、「神社に散歩いこう。」と10秒間隔で言ってくるので、いちいち返事するのが、カットするより大変だった。出来上がりは後姿だけど、ちょっと可愛いかも。なんて。
以前に書いたが、私の母親は認知症(アルツハイマー)で、うちの近くのグループホームに入所している。現在は要介護4と認定されている。介護保健が導入された頃は、認知症(当時は痴呆)は軽く扱われていた。ドクターの診断で要介護3と言われても介護認定の結果は要介護1だった。
私の結婚とほぼ同時に在宅介護が始まり、晩婚だけど新妻の私は、毎日母親の所と新居を往復し、デザインとイラストの仕事もしていたので、母親が週3回ディサービスに行く前日は母親の所に泊まっていた。でも、ケアマネージャーの方やホームヘルパーの方々、私の友人達(後にホームヘルパーになった)とダンナのおかげで、とてもいいチームワークで14ヶ月ほどの在宅介護が出来た。介護保健もめいっぱい利用したし、ともかく周りのみんなにお願いして助けてもらった。身内は私一人だし、がんばろうにも限界がある。(もともとがんばらない性格だし)母親は市営住宅に住んでいたので、すぐ向かいの保育園に子供達を見たいがために入り込んでしまい、不審者と思われて保護者の一人が市の児童福祉課に通報したこともある。私はその保育園に事情を話し、回りの市営住宅の入居者の人たちにも理解をしてもらった。まだまだヘルパーさんを家に入れることに抵抗のある家庭が多いと聞く。ディサービスやショートスティなどを利用するにも近親者にいらぬひと言を言われる人も多い。回りの協力が得られずどうしても一人だけにかかってしまう現実。私のように誰かを介護している人たちは、もっと楽してがんばらなくたっていい。私の短所であるこのアバウトな性格が役立つこともあるのね。と、時々思う。ある程度、自分の時間を確保することはとても大事だし必要だと思う。これからも元気で楽しくいられるようにしなくちゃね。母親も私も。
私の結婚とほぼ同時に在宅介護が始まり、晩婚だけど新妻の私は、毎日母親の所と新居を往復し、デザインとイラストの仕事もしていたので、母親が週3回ディサービスに行く前日は母親の所に泊まっていた。でも、ケアマネージャーの方やホームヘルパーの方々、私の友人達(後にホームヘルパーになった)とダンナのおかげで、とてもいいチームワークで14ヶ月ほどの在宅介護が出来た。介護保健もめいっぱい利用したし、ともかく周りのみんなにお願いして助けてもらった。身内は私一人だし、がんばろうにも限界がある。(もともとがんばらない性格だし)母親は市営住宅に住んでいたので、すぐ向かいの保育園に子供達を見たいがために入り込んでしまい、不審者と思われて保護者の一人が市の児童福祉課に通報したこともある。私はその保育園に事情を話し、回りの市営住宅の入居者の人たちにも理解をしてもらった。まだまだヘルパーさんを家に入れることに抵抗のある家庭が多いと聞く。ディサービスやショートスティなどを利用するにも近親者にいらぬひと言を言われる人も多い。回りの協力が得られずどうしても一人だけにかかってしまう現実。私のように誰かを介護している人たちは、もっと楽してがんばらなくたっていい。私の短所であるこのアバウトな性格が役立つこともあるのね。と、時々思う。ある程度、自分の時間を確保することはとても大事だし必要だと思う。これからも元気で楽しくいられるようにしなくちゃね。母親も私も。