明日、13日(母の日)に退院が決まった。ホッとしたけれど、担当医にはギリギリのところと言われる。グループホームに戻って、また38度以上の熱が続くようなら、また看なくてはいけないそうだ。明日はダンナが仕事の用事があり、赤谷へ行かないので2人で母親を迎えに行く。ダンナが母親を抱え上げてくれるので介護タクシーは手配せず、早めにグループホームに戻れそう。これからは、母親の口腔の手入れ、食事の摂取の対応など色々職員さん達と話し合い、母親を良い環境でなんとか生かしてあげたい。明日は花屋の友達、ケイコちゃんに母の日のお花を届けてもらう。どんなのか楽しみだ。
同じ氷見市出身の鎌仲監督。こんなボンクラな私とは違い、質疑応答で政府、原子力村、官僚達をスッパスッパと斬ってゆく。気持ちいい~!途中、タイトルの「生き抜く」について質問があった。監督は、以前「ガンを生き抜く」という映画を製作していたそうだ。言い方は悪いが、病院で見捨てられてしまった患者さんが、命ある日まで生き抜く姿を追ったドキュメンタリー。この下りを監督が説明するところで、パソコンの前でオイオイと泣いてしまった。会場に行けなくてよかった。きっと大泣きしていた。1人で泣けてよかった。ずっと泣きたかった。
現在、肺炎で入院中の母親の摂食障害が悪化し、なかなか退院出来ない。おまけに脱水症状になり、床ずれまで出来ている。病院では介護はしてもらえないので、早くグループホームに戻って職員さん達に手厚い介護をしてもらいたい。もう寝返りが出来ない母親を夜中に何回も身体を動かしてくれるのだ。食事もじっくり付き添って食べさせてくれる。それにグループホームを2週間以上空室にすると出なければいけない。戻りたい時は、介護保険が適応されなくなるので実費を払う事になる。(母親は要介護5なので1日1万円くらい!)事情を担当医と電話で話し、ともかく早めに退院させてほしいと伝える。担当医から、戻ってもまた悪くなる可能性もあるという事、そして摂食障害が悪化した場合は3つ選択があると言われる。1、胃ろうをする。2、胃ろうをせず点滴が出来る施設に替わる(看護士がいないグループホームでは出来ない)。3、あきらめる。私は胃ろうは考えていないし、施設も替わらない。結果、あきらめるという事になるかもしれないが、静かに逝かせてあげたい。終の住処にしたグループホームで看取ってもらいたい。
先の映画の「生き抜く」ではなく、生かせてあげられない事になってしまうかもしれないが、このまま病院にいるよりはいい。これが私の覚悟。
先々週の土曜日、いつものように母親のグループホームに行くと、スタッフのイケダさんに「ほむこさん、ちょっと熱があるんです。」と言われる。その時は37度5分。母親は平熱が高いので、しばらく様子を見る事にした。で、この前の土曜日、そのイケダさんから連絡があり、なかなか熱が下がらないので、グループホームの主治医から一度病院で検査してはどうかと言われたそうだ。が、母親は車イスを利用しているため、車イス用の介護タクシーを手配し、私の休憩時間内に受付が出来て、私の通勤範囲内の病院でないと困る。なので、すぐに対応出来ないのを理由にもう少し様子を見る事にした。で、昨日、主任のタダくんから電話があり、熱が39度以上の時もあり、肺炎かもしれないと主治医から言われたそうなので、ネットで調べ、ちょうど今日の午後1時から内科が受診出来るA病院へ介護タクシーを手配してもらって行ってきた。採血、レントゲン、CTスキャンの検査を終えた結果、「誤嚥(ごえん)性肺炎」と診断され、1日2回通院するか入院するかと聞かれ、入院する事に決めた。(通院は見ての通り大変だし)母親を病室に入れてから、紙パンツ、パッド、口腔ケア用ウェットティッシュ、フェイスタオル、バスタオル、薬、下着などなどをグループホームまで取りに行き、それらを自転車のカゴに積み、また病院へ引き返してから、売店で豆パンなどを買って近くの公園で食べてひと休み。それから仕事に戻ったハ~~~ドな休憩時間であった。なんか書類も沢山書かなくちゃ~。へとへと...。
先月開催された「100の愛」を観に来てくれた友達との話。彼女も一人っ子で、90才の母親がグループホームに入所している。私の母親があまり食べられなくなり、食事はミンチ状にしてもらっているという話から、「胃ろう」をするかしないかに移り、私はダンナとも話していて、食べ物を受け付けなくなったら自然に任せる事にしたと友達に言うと、少し複雑な表情になった。でも、彼女の母親はまだ摂食障害はなく要介護度も低いので、そんなに切実な問題ではないが、そういう話題に触れる機会が多いらしい。なにより彼女の寝たきりの義母に胃ろうをすると宣言しているご主人や彼女の友達とお兄さんのやりとり(お兄さんは胃ろうをする方)など。どうも男性は生かしてあげたいという思いが強いのかもしれない。私も以前は胃ろうを考えていたが、週に1回、夕ご飯の介助をしていると、自然に逝かせてあげるのが良いのではなかろうかと思うようになってきた。なんとか箸で摘めるご飯とスプーンですくった、どろっとしたおかずをなかなか開けてくれない口元に運ぶ時に、母親の虚ろな目を見ながら語りかけている。(痛いことや辛いのイヤやろ? 無理して長生きしたくないやろ?)などと、勝手に私の思いを伝えている。そして、静かに逝けるようにと母親の中にあるであろう想いと寄り添っている。
認知症に罹った妻と支える夫の物語。「君に読む物語」のようにドラマチックではなく、淡々として現実的。ついつい観てしまった。
私は母親の成年後見人をしている。昨日、その事務報告の一区切りが尽いたと案内が届き、ダンナと一安心。少し気が楽になって嬉しい。今日は何かお祝いしようかな~。
先週の土曜日は母親のグループホームで年忘れ会のイベントに参加。入所者&その家族&スタッフみんなでお餅作り。お餅屋さんで搗いてもらったお餅(半殺しもあった)を小さく丸め、きな粉をまぶしたりあんこでくるんだり。お雑煮とぜんざいも用意されていて、昼ご飯抜きの私は手伝いもそこそこにパクパク食べてしまった。
仕切っているのは輪島出身のオカダさん。横の可愛いボクちゃん(小3)は、新しい入所者イケガミさんのお孫さん。親子で参加してくれた。イケガミさんは上手く話せないが、私が母親の食事の介助をしている時に「よおぐぎじんとしであげどるね~。」(よくきちんとしてあげとるね)と言ってくれる。(多分そうだろうと思う)母親はお餅、ぜんざい大好きで、あんまり口を開けてくれなくなったけど、小さなお餅を入れたぜんざいを完食してくれた。オカダさんは小3のボクに、「可愛いね~。何年生?」を何度も聞いていた。ボクもその都度元気に答えていた。オカダさんが「いいね~。今は戦争もないし平和や。私らん時はいつ死ぬか分からんかった...。」と、軍歌を口ずさむと、他の人達もつられて唄いだしていた。こんな軍歌ばかり頭に叩き込まれていたのかと思うと切ない...。しみじみしていたところに、新しい入所者のシミズさん(ボクちゃんの後ろで背後霊みたく帽子が見える)が、お餅を食べ終えて「あ~おいしかった~うままけた~。」なんて言うので、みんなでずっこけてしまった。入所者の家族参加は少なかったけど、楽しい年忘れ会だった。
母親よりちょっと若く要介護2くらいで、冗談をよく言っていたヨネムラさんが入院してから月日が経った。先々月からお義父さんが暑さで体調を崩して入院していたので、お見舞いに行った時、ある病室の前を通ると、ベッドに腰掛けている患者さんに見覚えが...。しばらくしてからヨネムラさんだと分かり、帰り際に寄ってみるが、以前のような会話も出来ず、かなり痩せて鼻に管を通しているのが痛ましかった...。お義父さんが退院の時に、また寄ってみたが「元気や...。」を繰り返すだけ。そうこうしているうちに、今度は同じ入所者のジョウコシさんが具合が悪くなり、入院して手術までしたが亡くなってしまう。そしてこの前、ヨネムラさんも亡くなったのを職員さんから聞いた...。今やこのグループホームが開所当時からのメンバーは、私の母親(76歳)とアヤちゃん(91歳?)だけ。(2人とも要介護5)そして新たに93歳と75歳のお仲間が加わった。母親がいる2階のユニットは女性オンリー。アヤちゃん以外の90代は4人で、3人はなかなか元気。自分の事は自分で出来る。この3人、野々市の「じょんがら祭り」に連れてってもらい、かなり楽しんできたらしい。出来るだけ毎年行けますように。
退院されたばかりのヨネムラさんが退所されていた。人工透析を受ける事になったと聞く。代わりに新しい方が入所されて、そろそろ一ヶ月になるのかな?でも、まだ落ち着かないようで、家に帰ると言って、ふらつく足でオロオロと玄関へ行こうとする。職員さん達は目が離せない状態。早く安心して暮らせるといいのに。反対にいつも途切れなく大声で歌っているイワモトさんは絶好調。正直、少しの間でもいいから黙っててほしいと思うが、仕方がない。慣れるしかない。他の入所者の方々も顔をしかめたりするけど、割り切っておられる。が、3、4ヶ月前に入られた、あまり喋らない大人しい方が、さすがに自分の前の席でず~っと歌っているイワモトさんがうっとうしかったようで、静かな口調で「うるさいから部屋行って。」と言っていた...。これには職員さん達もびっくり。う~ん。イワモトさん対策はなかなか難しい...。私の母親は、せっかく食べやすいスプーンを用意したのに、最近はそのスプーンをガシガシ噛んでうまく食べてくれない。食べ終わるのに1時間くらいかかってしまう。おかずをもっと細かくするなど、職員さんと考えねばね。
ヨネムラさんは母親より2つほど若く、要介護度も低い(多分1か2)。母親の夕飯の介助に行くと、横に坐っているので色々話したりする。息子さんに美容院に連れてってもらい、髪を染めてきたとか、お寿司屋さんに行ったとか。なかなかマメな長男さんだ。鯖が好きでうどんはあまり食べない事も教えてくれた。よく面白い冗談を言って皆で笑っていた。そのヨネムラさんが年末から体調が悪くなり、入院してもう3週間近くになる。この前の土曜日にそれとなく職員さんに聞いてみると、今週には退院してくるそうでちょっと安心。今週の土曜日には久しぶりに会えるかな?いつも「ほむちゃん、ほむちゃん」と気にかけてくれるのでありがたい。当の母親は、箸を持つのもおぼつかなくなってきて、スプーンで食べさせると、ガシッと噛むし、嚥下もかなり困難。今日の中日新聞に「胃ろうを作りますか?」という記事があり、いずれは母親に対処しなければいけない事なので、じっくりと読んでしまう。胃ろうを作る事を拒否する家族が増えていて、胃ろう=末期という悪いイメージがあるらしい。しかし、胃ろうを作ってから回復して口で食べられるようになった方達の紹介もあり、すぐに拒否せず一考してみても良いのでは?でも、難しい選択ではある。 私は母親が食べられなくなったら、胃ろうを作ってもらおうと思っている。
※「胃ろう」皮膚と胃にろう孔を作成し、チューブを留置して、水分・栄養を流入させるための処置(ウィキペディアより抜粋)
母親はオウム返しすら全く言葉を発しなくなり、ちょっとさみしいけれど、ともかく夕ご飯を食べさせながら母親に話しかける。「昔はいっぱい話してくれたのにね~。」と職員さんとしみじみ...。母親が入所している2階のユニットは現在9名で女性オンリー。他の要介護度が低い5人はとっても優しい人ばかり。母親はずっと可愛がってもらってるし、要介護度が少し高く、少々手のかかる2人のお世話も進んでする。中でも若いヨネムラさんはムードメーカー。夕ご飯後の苦~い薬を顔をしかめて飲むサカネさんを見て、「皆さん!サカネさんの顔にちゅうも~く!」と、からかってみたり、「タダさん(若き男性主任)私の事面倒見てね♪」「モチヅキさん(年配の職員さん)も面倒見てね♪」と明るくお願いしていて笑ってしまう。もちろん、こんな楽しい事ばかりではなくて、色々と大変な事も多々あるだろうが、母親の世話をしながら他のみんなとワイワイ語らっている時はついリラックスしてしまう。そしてみんなで気遣い支え合っているのがなんとも素敵だ。これからも出来るだけ元気に長生きして欲しい。