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《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』によれば、
昭和4年の山梨毎日新聞に「妹尾、赤化思想」と報道さ、その頃から、日蓮主義青年団では、上田や時友との確執が起こったという。そして、同年4月12日に上田と時友は退団し、団は名実共に妹尾を中心に独立することになったのだが、それに伴って生活が不如意になった。
〈82p等〉という。そこで理崎氏は、
日生の恩と同志との団結を何より大切にしていた妹尾がなぜ訣別したのか。冷静ではできない決断である。これもまた、イデオロギーの旋風に背中を押されたものに違いない。
〈83p〉と推測していた。これが先に同氏が言っていた、
「流行」というものが妹尾を読み解くヒントになった
の一例なのかな。
また、
捨てるのは、智学以来の日蓮主義であって、日蓮信仰を捨てたわけではない。捨てたのではなく発展させるのだ、と考えたことが、決断を容易にしたに違いない。
〈83p〉と同氏は斟酌していた。併せて、妹尾の次の主張、
日蓮の頃は法華経が一番尊かったが、今日は必ずしも一切経の魂ではない。法華経第一というのは独断で、すぐれた経典でも絶対と主張するのは時代を無視したものだ、と主張している。
〈84p〉を紹介していた。妹尾の考え方が柔軟であることを私は知ったし、それもそうだなと肯った。
それでは一体どうすれば良いのかというと、理崎氏は次のように述べていた。
では、根本に置くべき釈迦の思想とは何か。それが縁起で、諸行無常、諸法無我だ、と妹尾は主張する。世に孤立して存在するものはなく、すべてが相互に依存し合っている。人だけではない、あらゆる命がそうだという。それが縁起である。宮沢賢治の「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」という思想はここから来ている。
〈85p〉こうなってしまうと、私の能力を超えて始めて理解が難しくなってしまうのだが、ここで嬉しかったことは、
「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」
となっていたことだ。
このことに関しては、先に〝「世界がぜんたい幸福に」(『兄のトランク』より)〟において少しく言及したところだが、賢治の表記
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
については、「ぜんたい幸福」の意味がはっきりしていないので、どうも私にはすっきりとはわからない。ところが、法華経に知悉している理崎氏が
「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」
と書いている訳だから、法華経の世界から見れば、
×世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
→〇世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない
と判断しているということかなということを知って、私は安堵した。後者「世界全体が」で良いのだと。そして後者であれば、少なくともその意味している内容は私のような者でも明確だ。
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