岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

時代の「流行」

2017-11-25 12:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 そして理崎氏は次のようなことを述べて「序」を閉じていた。
 「流行」というものが妹尾を読み解くヒントとなったからである。妹尾の人生には、理由のわからない転身が何度か出てくる。第一に新興同盟の結成、第二に転向、第三に死の直前の共産党入党である。それらを、当時暴風のように荒れ狂っていたイデオロギーと重ね合わせると理解が容易になるのである。
             〈17p〉
 そこで私は連想した。そう言えば、私にとっては釈然としない、賢治のよく「理由のわからない転身が何度か出てくる」なと。その一つ目は唐突な花巻農学校の依願退職であり、二つ目が「羅須地人協会」の活動を止めてしまったこと、そして三つ目は「下根子桜」からの撤退である。ということは、この理崎啓氏著『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(哲山堂)を読み進めて行けば、妹尾義郎のことはもちろんだが、賢治のこれらについても理解が深まるはずだと、私はますます興味が増してきた。賢治のことも「イデオロギーと重ね合わせると理解が容易になる」のではなかろうかと。

 続きへ
前へ 
 “『理崎 啓氏より学ぶ』の目次”へ。
岩手の野づら”のトップに戻る。
《鈴木 守著作案内》
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                  ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)          ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)

 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』        ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』      ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』

☆『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』










































 




























































最新の画像もっと見る

コメントを投稿