岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

羽山神社(石塔群、10/26)

2017-10-30 18:00:00 | 花巻周辺
《1 山岳信仰等の石塔群》(平成29年10月26日撮影)

《2 》(平成29年10月26日撮影)

《3 岩手山、早池峰もあり》(平成29年10月26日撮影)

《4 》(平成29年10月26日撮影)

《5 》(平成29年10月26日撮影)

《6 羽山の「一合目」の石標》(平成29年10月26日撮影)

《7 庚申塔もあり》(平成29年10月26日撮影)

《8 》(平成29年10月26日撮影)

《9 田神など》(平成29年10月26日撮影)

《10 田神の側面には「明治十十六年 田植連中造立」とある》(平成29年10月26日撮影)

《11 七庚申塔等》(平成29年10月26日撮影)

《12 五庚申もあり珍しい(この日まで、ここに五庚申塔があるといことに全く気づかずにいた)》(平成29年10月26日撮影)

《13 明治丗十五年とある》(平成29年10月26日撮影)

 ちなみに、以前〝庚申塔について(考察9)〟において報告したように、
    △明治35(1902)年=『五庚申』(賢治6歳):冷害(作況指数39)
であり、明治35年はたしかに庚申年であり、しかも花巻の古老等は
    五庚申の年は凶作、七庚申の年は豊作
という言い伝えを私に教えてくれたことがあったのだが、まさにこの年はその言い伝えどおり、
    明治35年は作況指数が39のとんでもない大冷害の年であり、五庚申年
であったということが判る。

《14 》(平成29年10月26日撮影)

《15 》(平成29年10月26日撮影)

《16 黄金》(平成29年10月26日撮影)


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 なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
   ・「聖女の如き高瀬露」
   ・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
   ・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。



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