すずりんの日記

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小説「雪の降る光景」第3章20

2008年07月12日 | 小説「雪の降る光景」
 総統は、知能に乏しく野卑で残忍な心の持ち主であった。利己的な誇大妄想狂な上に酷い偏執狂の彼は、ナチス最高司令部を無能呼ばわりし、自分の周囲の者を不忠だと責め立てた。周囲の者は、総統のこのような変貌ぶりに少なからず動揺し、その彼らの動揺はまた、総統の不信を買った。
 彼らは今初めて、総統が狂人であることに気づき、自分たちが狂人になり切れない偽善者に過ぎなかったことを思い知ったのだ。しかし既に時遅く、自らが狂人ではないのだと気づいて自分の懐から反発し去って行こうとしている者を、総統は容赦なく処刑していった。
 狂人として生きるか、人間として死ぬか、その二者選択をせずにいつまでもふらふらと生き抜いていけると考えていた“その他大勢”が、このナチスという組織にどれだけたくさん存在していたのだろうか。
 総統の本質は子供なのだ。彼は、思考することなしに、自分と同じにおいのする者を直感で嗅ぎ分ける。自分と同じ完璧なナチスにのみ彼は安らぎを感じ、共にしてきた歩みをほんの少しでも止めようとする者からは、一体感を感じられなくなる。そしてその時彼の知能は判断を下す。「彼は敵だ。」・・・これが彼の“思考回路”なのだ。
 私はいまや、完璧なナチスではなかった。完璧に善人になったというのでもなかった。私は、自分がその両面を等しく持ち合わせている「人間」に過ぎないことを知ったのだ。


 人の感情が、人を裁くことなどできはしない。
 たとえそれが、善と悪、強者と弱者であっても、だ、
 人の感情が、人を裁くことなどあってはいけない。
 そのことに、私は気づいたのだ。
 人が、生きる中で依りどころにするもの、
 それは、人の感情ではない。
 もっと、大きな力に支配された何か。
 私に、人を殺させた何か。
 私を、ナチスであり続けさせた何か。
 私に、彼らを出会わせた何か。
 私を、この時代に生まれさせた何か。

 そして、私に、全てを気づかせてくれた何か。

 そのことに、私は、気づいたのだ。


 総統が、私に会いたいと言ってきたのは、国内外の情勢が緊迫していた、ある午後のことであった。



(つづく)

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