久しぶりに秋らしいいい天気になった。これから秋の紅葉、行楽の秋、食欲の秋とほんとうは人の活動が活発になる季節なのだが‥‥。
この半年で停滞気味の日本の社会を立て直すためには、組織の生産性を高めることが急務なのだが、それをトップダウンシステムを強化して独裁的な仕組みにする事だと勘違いしてる人がいる。
トップダウン派の人たちは、メンバーをリクルートするときに、能力よりも「イエスマンかどうか」を優先的に見る傾向がある。
たしかにそういう人ばかり集めたら、効率よく上の意思が下に伝達される組織はできるけれど、そのような組織が生産性が高いかといったら話は違う。
上の顔を窺って、指示待ちする人間が集まるだけで、自分の頭でものを考え、判断する人間は集まらない。
上の人間が見落としたことを指摘し、上の人間が誤った判断をしたときに補正を提案するタイプの人間がいなくなる。
日本の組織を何とかしようと思ったら、まず人材登用の第一条件をイエスマンにするルールを廃止することである。そして、自分の頭で適否の判断が下せる優秀な人材を登用して、彼らに気前よく裁量権を与えることだ。
もちろん、いろいろな失敗もあるでしょうけれど、組織が活性化し、イノベーションを起こすためにはそうした方がいい。イエスマンたちの組織でイノベーションが起こるということは絶対にないから。
かつての大学はその点で今よりずっと自由だった。適当に研究費がばらまかれて、研究テーマが社会的に有用かどうかなんて、金になるかどうかなんて誰も訊きやしなかった。
だから、海のものとも山のものともつかないような研究を何年も続けることができた。そういう試行錯誤があるから、時々思いがけない学術的アウトカムが出て来た。
研究の95%はたいしたアウトカムを生み出さないものだったけれど、5%の「当たり」が出たら、研究への投資は十分に元が取れるものなのだ。
イノベーションというのはいつだって「まさか、そんなところから出て来るとは思ってもいなかったところ」から出て来るものなのだ。
今は社会的有用性があり、換金性が高いことがあらかじめ証明できる研究にしか予算がつかない。でも、先に何が出て来るかわかっている研究がイノベーディブであるということは論理的にあり得ない。
研究でも教育でも、「無駄なもの(金にならないもの)イコール価値のないもの」という考えを外さなければならない。
世の中の経済活動と研究、教育の世界は明らかに価値観が異なるが、組織の生産性や活性化を高めるには同じことが言えると思う。