にゃんこと黒ラブ

猫達と黒ラブラドール、チワックスとの生活、ラーメン探索、日常について語ります

コロナ後の世界

2020-06-13 18:20:00 | 日常

 コロナ禍によって、社会制度や人々の振る舞いはどう変わるのだろうか?

 日本では今のところ爆発的感染は抑えられ、第二波問題とともにコロナ後のことをいろいろと議論し始めている。

 2011年3.11の後にも「これで社会のあり方も人々の価値観も変わるだろう。変わらないはずがない」と思ったのだけれど、実際にはほとんど変わらなかった。

 環境が激変し、新しい環境への適応が求められても「変わりたくない」と強く念じれば、人間は変わらない。そして、生物の歴史が教えてくれるのは、環境の変化への適応を拒んだ生き物の運命はあまりよくないということ。

 いま日本人が直面している最も直接的な環境的問題は、人口減と高齢化である。これはコロナとは関係がない。

 年間90万人ペースで人が減り、2100年の21世紀末の80年後には7700万人も減って、日本の総人口は5000万人前後と推計されている。

 これは単なる予想ではない。いろいろな学者がまたAIがはじき出した現実的な数字だ。要するに、今の人口構成を前提に設計された社会制度は遠からず全方位的に崩れるということである。

 適応のための選択肢は二つしかないように思われる。一つは首都圏に全ての資源を集中させる「一極集中シナリオ」、もう一つは日本全土に広く分布する「地方離散シナリオ」である。

 一極集中であれば、狭い空間に人間を詰め込むので今とそれほど変わらない。人々は相変わらず満員電車で通勤して、混み合ったモールで買い物をする。首都圏以外では、幹線道路や線路から離れると廃屋と耕作放棄地が広がることになる。

 地方離散シナリオでは、明治末年程度の人口が当時の生活圏に薄く広く暮らす。たぶん人口の20%くらいが農村にすむことになるだろう。食料は自給自足できるだろうが、エネルギーの自給率を上げるテクノロジーが必要になる。

 3.11でシナリオ変更を突きつけられ時、日本は結局これまで通りの「一極集中シナリオ」を選択した。震災直後には、首都機能の分散や人口の地方移動、地方分権が提案されたがほとんど議論されないまま棄てられた。

 そこにパンデミックが来た。人口密集地で感染が拡大し、経済活動は停滞した。地方離散と地方分権が進んでいれば、感染は早期に収束し、社会活動への影響も軽く済んだかもしれない。済んだことだから検証のしようもない。

 いずれにせよ、ウィルスはこれからも間歇的に世界流行を繰り返すし、大都市への一極集中が感染症に弱いことは周知された。

 ではどうするのだろうか?

 とりあえず日本の政官財はこれからも一極集中シナリオにしがみつき、五輪だ、万博だ、カジノだ、リニアだと「昭和の夢」を語り続けるのだろう。

 だがそこにはもう未来がない。

 環境の変化に本気で対応するなら、日本国みんなの知恵を集めて、実現可能な「地方離散シナリオ」を起案すべきだろう。と考える人は少ないがいる。

 コロナ禍をきっかけに、これについて本格的に政府が議論し始めることに期待する。