特別展と四階の展示品(ここは以前にも見学済みですが、今回も観ました)を2時間近くかけて見て回ったあと、エスカレーターから一階へ降りていきます・・・。
その間に、写真の祇園山笠のてっぺんが見渡せました。
一階から四階まで吹き抜けの博物館であるにもかかわらず、天井に付きそうな程、この祇園山笠、高いんですよ。
下へ降りて、見上げる人々。。。。。
みんな写真を必死になって撮影中です!
私も、そんな人たちの中の一人。
二、三枚、撮り終えたところで、保存会だったでしょうか・・・?
男性の方が、沢山入る見学者の中からわたし一人に話しかけてきました。
「下から上まで、カメラに収まらないでしょ? よく、文句を言われるんですよ。相当、高いですからね」
「ほんとですね・・・・」
天皇陛下と美智子皇后が九州博物館を見学されたそうですが、そのとき、美智子皇后が
「博多祇園山笠を見てみたい」
と、おっしゃられたそうです。
私に話しかけて下さった親切な保存会のオジサマによると・・・。
「それで、急遽、作ってここに展示した訳です。美智子皇后の為ですから。リクエストがあれば、何なりと・・・。全国に山笠を組み立てて展示してある博物館なんて、何処にもありませんよ! 皇后様が来られるとなれば、こうして展示もする訳です。これらの人形などは、毎年、人形師がテーマに沿って新たに作るんですよ。山笠が終わったら、捨てるんです。山笠自体は鎌倉時代から保存してきた歴史あるものですよ」
「へぇ・・・。美智子皇后のために・・・。それは・・・凄いことですね・・・へぇ・・・」
前記事の写真のテーマに沿って、色合いなども考慮し、人形師が作ったというから、驚きました。
オジサマの説明は続きます・・・!
「元々、博多祇園は町人のお祭りだったんですよ。当時は町人と武士と別れていたんですねぇ。博多祇園は博多のお祭りだから。福岡市内へ山笠が繰り出すようになったのは、ここ30年くらいの歴史です。それまでは、博多祇園山笠は博多の祭りで・・・」
・・・という風に、説明して下さった(何処か聞き間違えていたら、ごめんなさい)親切なオジサマ。
あんなにたくさんいた見物客もいつの間にか、居なくなり・・・私だけ?になってしまいましたが、いいのかしら?
「それに、本来、祇園と山笠は別のものだったのが、二つ一緒にくっついて 祇園山笠になったんですよ。
昔は、これを担いでいたらしいが、途中から展示用になったから、現代は、これを実際に担ぐことはしないんだけどね。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
・・・・って言うでしょ?」
「平家物語ですね」
「あなた、よく知ってるねえ~!」
「学校で習いますから・・・(しかも小6の社会って義務教育だし)」
「家に帰ったら、『祇園』ってどういう意味か、辞書を引いてみて下さい。まぁ、最近は辞書なんて引かないだろうけど・・・」
〔梵 Jetavanavihra〕須達(しゆだつ)長者が釈迦とその弟子に寄進した寺。中インドの舎衛(しやえ)城の南に旧跡がある。もと祇陀(ぎだ)太子の林園で、須達長者を給孤独(ぎつこどく)とも呼んだことから、祇樹給孤独園、略して祇園という。祇陀林。逝多林(せいたりん)。給孤独園(ぎつこどくおん)。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
今、ウェブで引きました、上記の通りです。
「今度、博多祇園山笠を見るときは、おじさんが話したことを思い出しながら、テレビとかで観てくださいね!」
・・・・と言われました。最後に。
まとめると・・・
1)疫病が鎌倉時代に流行ったことから神社で始まったお祭りであり、福岡市全体の祭りだと勘違いされているが、元は博多町人の祭りらしい。
2)最初は、「飾り山」だけだった。担いで速さを競うような山笠になったのは、後の時代のこと。
3)今回、美智子皇后のためにダシが作られたように、毎年、人形職人が新たに作る。終わったら破棄する。
これでいいのかしら。保存会のオジサマ・・・???
「大変良い勉強になりました。ありがとうございました」
私一人のために、講義をして下さって・・・独り占めしてしまったけれど、良かったのかなぁ・・・・?
それよりも、正しく理解しているかどうか・・・。
ここに書きながらも自分の記憶力が・・・心配。
明日へ続く・・・
すず