久しぶりに鬼ノ城(きのじょう)に向かいました。道路の先に見える山の上です。7世紀に大和政権が西日本に築城した古代山城の一つと考えられています。平成18年からの発掘調査の成果が公開されているので参加しました。
「鬼ノ城は吉備高原の南端に位置し、標高400mの鬼城山(きのじょうざん)に築かれています。眼下には古代吉備の中心地であった総社平野や児島半島、そして四国山脈も遠望できます・・・」(案内リーフレットより)
以前は山道がぐるりとめぐっているだけの場所でしたが、城門が復元されたり、敷石がきれいに並んでいる様子が見えるようになっていました。建物の礎石や、鍛冶工房の跡などの説明を受けると、ますます、その昔の人の姿が感じられました。どんな言葉を話し、どんな姿で何を食べていたのでしょう・・・・
初冬とはいえ、見下ろす森はまだ黄葉をたくさん残していました。低い山なのに周囲が見渡せる素晴らしいロケーションです。この地方は古代から暮らしやすく豊かな土地柄だったことでしょう。
やはり、桃太郎さんのターゲットだったのでしょうか
パノラマ写真、圧巻ですね
大昔に、一度行ったような気がするんですが
どうも記憶と結びつきません。
白村江の闘いで日本軍が惨敗し、国の防備のためにつくられた山城の一つらしいとか。それこそ大変な事業だったのでしょうね。そのとき(吉備の)歴史が動いた、のでしょうか。
ちょうど鬼が出そうな名前のお城ですね。
そもそもなぜ鬼ノ城と呼ばれるのか、
今度尋ねてみたいと思います。
高い山がないこういう風景の土地は、
山地を仰ぎ見る場所と全く違って、
のどかさを感じます。
原始時代はきっとこういうところに人が住んだと思いますから、その記憶がよみがえるのでは?