都会の生活全部捨て、、、阿蘇の山奥暮らし

父の友達、、に、、採用された、『赤』 気ままな雄猫

子供は、『地域で守る』

2012-07-01 08:14:32 | グルメ


お好み焼き



私が始めて、大阪に来た、14歳、、、
中学3年に級友は、良くお好み焼きに誘ってくれた。
子供の小遣い{20円}で、食べられる、、、週2回は行った。
今は、関空に渡る橋の袂になるあたりだと思う。
昔からの家が立ち並ぶ一軒やの、土間に、鉄板つきのプロパンガスが引かれたテーブルが一台、と、簡素な丸椅子が、4脚、あるだけ、、もちろん看板などかかっているわけでもなく、
友達に連れて行ってもらわないと、自分では、とても、いけない、、、「知らないおばちゃん家」 だった。

そこのお母さんは、メンバーを見ただけで、材料を用意して、サッサと焼いてくれる。
そこには、たくさんのキャベツと、練った粉と、てんかす、、、一番上に、割られたタマゴが、ポンと乗っているだけだった。

カシャカシャと、スプーンで、10回ぐらいササ~と混ぜて、熱くなった鉄板の上に、ジャーと置く。
『触らないんだよ~美味しくなくなるからね~』 と毎回言われた。
適当な時間に現れては、ひっくり返し、、また、、自分の家の用事をしては、、、また現れる。
ソースを刷毛で塗って、マヨネーズを、中央にスプーン1っ杯、粉かつお、青海苔を、振りかけて、てこで、カツ、カツ、カツ、と、小口大に切り分けて、、、ガスを止めて、また、裏に引っ込んでいく。
ソースが、焦げる香ばしいにおいと、、、箸が転げてもおかしい年頃の女の子たちの顔が、今でも浮かんでくる。

20円、、というのは、破格の安さ、、、商売と言うより、近所の子供たちの、暗黙の子守役ではなかっただろうか、、、、
泉佐野は、キャベツの産地、、、、たぶん自分の家出できたキャベツ、、鶏も、その家にいた。

もちろん希望すれば、豚肉も入れてくれる、、、が、値段も当然上がる、、、
『そんなお金どうしたのか??』 と、言うことになる、、

今思うと、よき見張り役であったのだろうと思う。
子供たちには干渉しない振りで、好き勝手しゃべらせ、、別に聞き耳立てていたわけではなかろうが、
良くない情報は、それとはなしに、親に話しておく、、、
今で言う 『チクリ』 とは、違う。
子供は、『地域で守る』 と言う、、古きよく時代の考え方であったと思う。

私たち、大阪の子達は、その食べ盛りのころ、そんなおやつで、大きくなってきた。
大阪の人が、粉物にうるさいというのは、そんなところから、生まれてきているのではないだろうか、、、。


関空が出来て、街の様子はすっかり変わった、、、
私が、阿蘇から出てきて、まさに青春を過ごした、街、、、バンコクを引き上げたら、、
『思い出ワンデーツアー一人旅』 をやってみたい。
きっと、高速道路や、陸橋から見ていたらわからないが、昔の面影は、きっとあるはずだ!!





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