都会の生活全部捨て、、、阿蘇の山奥暮らし

父の友達、、に、、採用された、『赤』 気ままな雄猫

墓地公園計画

2012-08-18 21:15:43 | 波野ブランド

故郷、、、


私の子どものころは、7,8軒が、使っていた記憶があるが、土葬をしなくなって、家の敷地内に、墓地を新しくする人が目立っている。

      


ここのお宅は実家と同じ墓地内にあった、、、今年に家の真横に新しく建てた、、共同墓地まで、徒歩2分なのに、、

   


もう一軒も、同じ時期に、やっぱり、家の敷地内に新しくした。


後の何軒かは、先祖も古い方が多かったこともあり、どこの方が使用していたのかもわからないが、いつの間にかなくなっていた。


火葬するようになったのは、ここ15年前ぐらいからのこと、それまでは、土葬なので、敷地も広くいるし、
お墓も、一人に、一基ずつ立てなければいけない、、不経済であることと、、朽ちてしまって、管理すること事態に、無理がある。
実家のあたりは、標高700地帯、、真冬になると,冷下10度などは、当たり前、、密度の粗い石では経年で、石も粉々になってしまうのである。

   



実家は、私が、バンコクに赴任する前に全部の墓を掘り起こし、再火葬して、新しくした。


主人の実家の墓地は、大阪堺のお寺の中にあった、、、が、、お墓を、1年10ヶ月前に、ここに移設した。
田舎から都会に移す人はたくさんいるが、、都会から、田舎に移す人は、そんなにいない、、、、
ましてこんな田舎に、、、主人の両親は、私の実家を、とても気に入ってくれていた、、きっと、すがすがしすぎる景色に、満足してくれていると思う。



都会の墓を田舎に移設すると、、、こんなにも、かわいくなってしまう、、、田舎の人たちには、信じられない小ささであろう、、、私にとっては、『身の丈』 で、ここちよい、、。


*この場所、地域の中でも一番見晴らしの良いところにある、、、
 子孫がある限り使っていくのは、「実家」、 「主人の実家」、 と 「もう一軒」、現在、建築中のお宅だ
 け!!

   





*ハウスの向うは、村民グラウンド、桜の名所にもなっている。



 

私たちは、この場所が気に入っている、家の敷地に移設など、まったく考えられない!!
時間をかけて、ここの墓地は、公園化するつもりである。
使用している家が少ない分、決定も早い!!

5,6年もしたら、桜や、つつじ、、秋には、もみじ、、、と、美しい姿が紹介できることだと思っている。




カブトムシにと続く、、、。

時代劇のような、、、田舎~~~~

2012-08-17 07:42:03 | 熊本特産

田舎~~~~なのだ!!

運転免許の更新を早々に終えて、実家に、、、。

『どうせ帰ってくるなら、熊本の墓掃除の時にして!!』 と、乞われた。




私も、同じ 『時』 を使うなら、人の望む時に、と、『墓掃除』 に、日にちをあわせた。

8月7日は、もう、、どんな昔から、墓掃除と決まっているのだろうか?。

     
  

私の実家の地域 {都会で言えば、隣組のようなもの}には、、4箇所の墓地がある。
そのうち、自分たちの知っている人たちが埋葬されているのは、3箇所、、、
一箇所は、実家の真裏の丘、、、ここは、かなる古くて、直属の子孫はもういない、、
実家の地続きになる為、{実家にとっては、裏庭のようなもの} 父と、かろうじて、遠い先祖だと言うお宅で、見苦しくない程度に、掃除をしている。


後の3箇所は、それぞれに使用しているところが、おぼんに備えて,一年に一度、さっぱりときれいに掃除する。



*90歳の父は、まだまだ元気!!

      


  


*定年退職で、実家の父と暮らす、兄、、兄嫁は、和歌山で、、、
 父も兄も、遠の眼には、どちらも 『おじいさん!!』

        







実家の墓地は、家から徒歩、6分、、、ちょうどいいお散歩ポコース。


*墓地への道も結構楽しい

          



*道すがらは、よそのお宅のお花~~~野山の花まで、、それぞれに楽しめる。




 
  

















*墓地に行くだけの道、、、雨さえふらねければ、4t車でも通行可能。





*ここは、同じ墓地内の人が管理している、もう新仏様が埋葬されることはない。

      



*ここは、いずれ、都会に持っていかれるのであろう、、誰も掃除に来ない、、、
 だか、だからといって、私達がやってはいけない!!{仏の道!?。}

 
  

墓地の総面積は約600坪、、、一度、墓地と申請されたら、その地理から、墓地である名称が消えることはない!!。
墓地以外に使用することは、不可と言ってよい!!。

   


  


公園化計画へと続く、、、。









2泊5日 運転免許更新の旅

2012-08-15 21:10:58 | 熊本特産

2泊5日 運転免許更新の旅

突然  ご無沙汰でした!!

運転免許の切り替えに2泊5日で、1年10ヶ月ぶりに日本に帰ってきた。

8月5日{日}  営業終了後、、、バンコク スワンナフーム空港 23:30発       機中泊

8月6日{月} 関空 7:00着、、、主人がピックアップしてくれて光明池免許センターに、、、
        早朝なのに長打の列!!、、その日の2回目の講習で、めでたく5年間のゴールド免許取得
        
        堺の妹の家で、昼ごはんをご馳走になって、
        PM3:00に、妹を伴って、熊本の実家に向かう為に、伊丹空港に向かう、、、
        搬送は、仕事の主人から、次男にと、バトンタッチ!!
        堺~伊丹まで、約1時間、、、次男と、車内ミーティング、、。
        私は、一応は、肩書きだけは立派だから、『報告』 は、聞いておく必要がある!!

    ANA 伊丹 17:00発、、18:05 熊本着                   熊本阿蘇泊
        父と兄が、迎えに来てくれた。

*大阪~熊本間の空








*大分の国東半島

   



*暮れ行く九州の空









*大蘇ダム{日本の無駄使いの一つと騒がれたダムの一つ}





*熊本市内上空、、、蛇行する川は、たぶん 『白川』 今回の大洪水の一つ!!。





*熊本空港付近、、、実家の波野の農業者が、このあたりの畑も、作っている。
             農業とはいえない規模の、専業農家なのである。





*確か、、ドモホルンリンクルでおなじみの 『再春館製薬』 このあたりではないかと思う、、。









      
        先だっての阿蘇の大洪水で、国道57号線は、通行止め、、開通は、10月位になるという。
        途中スーパーで晩御飯の材料を確保した。
        県道、、農道、、林道、、を、乗り継いで、実家にPM8:30分に到着
        自分の育った村とはいえ、まったく知らないところばかりで、
        よく、レンタカーで帰ってこなかったことだと、胸をなでおろした、、、
        {迷子になって帰りつかない、、。}

8月7日{火} 定例 『墓掃除』」                            熊本阿蘇泊
        永遠の昔から、実家の方では、地域で、いっせいに、おぼんに備えて、墓地の清掃を行う。
        私は、前回帰ってきたとき {1年10ヶ月前}に、主人の、実家の墓を、ここに移設した。
        当然、墓地を使用するものとしては、掃除の義務がある。
       

        久しぶりの私の帰国で、大分の、兄の家族も、昼には、来てくれた。
        
        
8月8日{水} 早朝より、『温泉』 に、出かける。
        父は、温泉好きの私をどうしても連れて行きたいと,回数券を買って待っていてくれたのだ。
        いつも、夜しか来ない温泉、早朝{7:00}は、また、違った爽快感がある。
        
        午前中に近くのハウス農家に出向いて、『一大プロジェクト』 になるかもしれない???
        懸案を、農業を継いだ、同級生の2人に委託してきた。

        買ってきた食材を使い切ってしまう為に、晩御飯の支度をして、自分たちの分も、タッパーに
        入れて、ダンボールにいれ、、『空輸』 する。

    熊本 18:35発、、、伊丹19:45着  主人がピックアップして、妹の所に、、
        みんなで、『空輸』 した、晩御飯を、食べる。
     
    関空 0:30発で、バンコクに出発                           機中泊

8月9日{木} バンコク到着 早朝、、4:20、、、、、
        無事に、その日から、WASABIを、オープンすることが出来た。


月、火曜日を、東京っ子 「RIO君」 に、営業をお任せした、、、PIO君は、しっかりと、いい営業をしていてくれた、、、、、
『ありがとう!!』   これからもよろしく!!


2泊5日運転免許更新の旅、、、は、後3回ぐらいで、ご報告!!。


*パッタイ  {砂糖と唐辛子}を、かけて食べるのかな??

2012-08-04 22:57:49 | グルメ

MAMごはん

隣のお姉さん、、名前は「MAM」{マム}

最近、日本語の腕を上げた、、

『オカサン、帰ってきた~~??ディナー、、私持って行くから,待ってて~~」

と、2日続けて、晩ご飯のデリバリー!!

*パッタイ




{砂糖と唐辛子}を、かけて食べるのかな??

    


これ一人で食べるの??多い!!
お姉さんは、お料理は、とても上手、、おせいじではない本当に上手、、、だけど、一ヶ月に2回ぐらいしか作らない、、、。
食材を選ぶセンスも良い、、、気前も良すぎる、、、たぶん3人分ぐらいある。
当然私は、3日に分けて、保存した、、、、「生」 の 「もやしとニラ」 だけ別管理をした。




*蒸し魚の、野菜あんかけ??




直径30cmの皿に、てんこ盛り!!
試作品??のようである、、、インターネットで、作り方を見ながら作ったらしい、、、、
『オカサン、、美味しかったか?!~~』

私だって、時には、おせいじだっていう!!
ちょっと、、、何を作りたかったかわからない??
針しょうが、、梅干、、セロリ、、唐辛子、、、個性の強いものばかりで殺しあってしまっている。

   

   

   



お姉さんの従姉妹が、出産を終えて、最近日本のご主人の元に、帰国していった。

日本に住むタイの人に、一番大変なことの一つが、毎日の食事の支度、、、。

お姉さんも、10月のはじめに、隣のお兄さんとゆうきくんとともに、日本に帰国する。

お互いに、競争して、早く日本の味を作りたい、、と、言う、、、。
『オカサン、勉強しているから、、食べて、、、美味しい??聞きたい!!』
{美味しかったよ!!がんばれ~~}
と、言ったけど、、、、この後、作った様子がない、、、、。


こちらは、生物がないので、、4日分に分けて、冷凍した。
パッタイと蒸し魚、、、私の、1週間分のディナーが確保できた。









Thai・Villge

2012-08-04 00:05:07 | バンコク日記

Thai・Villge




超、厳重なセキュリティーなのだ、、、。
バンコク病院の敷地内に、何気にある、、シンプルな、ゲート。
当然クローズしたままではない、、が、、さすがの私も、開いている瞬間、、中にカメラを向けるのは、気が引けた。

見た限りでは、家一軒、見当たらない、、シンプルな公園にように、整然とした普通の道と、みどりが広がっているだけだった、、。

ビレッジというぐらいだから、『村』 『村落』、、
だけど、ひろ~~い、、遠~~い だけ。

翌日、フミさんが来店、、フミさんは、駐在員の奥様、、、もう赴任して27年になる。
{昨日、バンコク病院に、ランチに行ったんですよ!!、、エチオピア料理!!}
「相変わらず、好奇心旺盛ね、、ふふふぅ」

「タイ・ビレッジ、みた~~?」
{そうそう、、あそこはなんなんですか??}
「タイの古典的な雰囲気の高級コンドミニアムが、あるらしいの、、欧米人の大金持ちが、好んで住んでいるそうなの、、。」
「ジムトンプソンの家、知っているよね、、あんな感じなのだそうよ!。」
{でもゲート前からは何も見えませんでした、、}
「物凄~~く、広~~~い!!」
{見た~~い、フミさんみたいな人でも見たことがないのですか?}
「私もあそこにはいったことがないのよね、私だって見たいわ~~。」
{あの様子では、ちょっと見学させてくれませんか、、とも言えませんしね。}
「あそこに、住んでいる人に、招待してもらわないと、はいれないわよね。」

こんな感じで、病気もしない私は、まったく違うところで、このバンコク病院の敷地の奥に広がっているだろう、、、
『Thai・Villge』 に、興味深々なのだ。


   

   


フミさんは、日本人でも、超エリート、、

「SUMIKOさん、私も誰か住んでいないか、探してみるわ~~」 、、と、興味をあらわしてくれた。
私は、客商売、これぞと思う人たちに、こつこつと、話をして、ここに住んでいる人を、探すつもりである。


このあたり一帯の土地は、ワンオーナーの持ち物らしい、、
フミさんが来たころはバンコクのいたるところが、とても寂しいところで、おかかえの運転手ですら、「夜は恐い」 と、言っていたそうなのである。

バンコク都が、こんな風に大都市化したのはまだ歴史も浅く、1975~1980年ぐらいより後のことらしい、、
35年ぐらいの目ざましい発展だということ、になる。
アユタヤ王朝時代は、バンコクは沼地であったという、、、、
大阪から、江戸に、中心が、移っタころのようなものだろう、、江戸も、結構な沼地であったと歴史は語っていた??。


当時の、バンコクの沼地は、1㎡、50Bでも、買う人はなかったらしい、と、フミさんは話していた。

『先見の目を持った人たちが、いたのよね~~』 
『そんなに昔のことではないわよ~~』   と、フミさんはさらに言う!。





{私の好きな、グラス、、は、タイ・ビレッジ、ゲート前のバンコク病院の敷地内で、そよいでいた。}