ヤサシイヒカリ

藤木直人ファン歴17年目になります。藤木君話、おやこ劇場話、男闘呼組話、思う事、呟いてみたいと思います。

5年めの3.11

2016年03月11日 14時41分47秒 | 思うこと
あの日を思い起こさせるような寒い日になりました。

朝起きて、あの5年前の3月11日の朝も、いつもと何も変わらないものだと思っていた…わずか半日で、たくさんの人たちの運命が変わってしまう事や、たくさんの生命が失われる事、街が家々が大きな津波に飲み込まれてしまうと言う事、原子炉が暴走して幾つもの街に放射能を撒き散らすと言う事…こんなにもたくさんの惨劇が一度に起こることなんて、想像もしていませんでした。

あの日の事。
午前中は、毎月第2金曜日に行っている、おやこ劇場のリトミックがあった日でした。
アシストスタッフとしてお邪魔していて、リトミックに来ている子達の下のお子さんを見ていたりお手伝いをしていました。
3月11日は2010年度最後のリトミックだったので、終了後には皆で、メインスタッフのHさんの仕切りで、手作りのケーキを頂きながら、皆でおしゃべりしたり遊んだり、記念写真を撮ってその場ですぐプリントアウトして記念品にお持ち帰りして…。
とっても楽しいひと時を過ごしました。

その時の写真は、いまだにリビングの壁に貼ってあります。
地震が起きて、緊張と不安に駆られながら送迎のプチ仕事に出かける時にその写真が眼に入り、つい数時間前にはこんなに平和な、そして楽しい時間を過ごしていたのに、今や全てが変わってしまったと言う事を思い知らされたものです。
思わず、涙が出そうになりながら、まだ大きな揺れが起こるだろうと言う不安にもかられながら送迎に出かけた事を、つい昨日のことのように覚えています。
新聞も、11日からしばらく括らずにそのままとっておいて、何回も読み返したこともありました。
でも、現地の新聞に較べれば、まだまだ日常のある新聞だった事でしょうね。

こちらでは大きな被害も原発の影響も眼に見えてはありませんでした。
でも身近な人達には、家族が被災地に住んでいた人、浪江町出身で実家のお父様を亡くされた保育士さんもいます。
その方とは、数年一緒に仕事して、我が子たちもお世話になった方です。
お父様を亡くされて、しかも原発事故のためにすぐに探しに行くことができす、より大きな悲しみを経験されていました。
それだけに、原発再稼働には私も反発を覚えています。


原発問題は、いろいろと難しい問題や課題がある事だと思うのでひとくくりには思いを書けない事ではありますが、でも決してなかった事でも記憶のかなたに行った事でもないという思いだけははっきりと主張したいと思います。
安易な再稼働は、間違いなく、今でなくてもいつの日にか再び、そして三度大きな悲劇を呼び起こすでしょう。
まだ、しっかりと皆が考えていかなければならない事だと…。



この間、買い物に行ったお店で、これを見つけて購入しました。
売上の一部が義援金として寄付されるそうです。
本当にささやかな支援ですが、少しでも現地での力になりますように、心から願っています。

もう間もなく運命の時間を迎えます。
心静かに、追悼の思いを込めて黙とうしたいと思います。

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