今朝は膝の痛みで目が覚めた。
膝は持病のひとつ、歩行中にカックンと膝が抜けたり
ゴキっとして痛みが走るなど一時的な痛みはあったが、
これまで慢性的な痛みはなかった。
膝は持病のひとつ、歩行中にカックンと膝が抜けたり
ゴキっとして痛みが走るなど一時的な痛みはあったが、
これまで慢性的な痛みはなかった。
じんわり痛くてときどきぼわーんと痛みが増す。
このぼわーんの時に目が覚めた。
爺婆がよく言う梅雨時は・・・とはこれのことか?
いよいよおれも年寄りの佳境に近づいたかも。
痛みは集中力を削ぐから困る。
一気呵成が得意なタイプは気が散ってしょうがない。
つい弱気になってTVのCMでお馴染みのあの薬を試して
みようかなんて思った。
みようかなんて思った。
これもあれもみんな梅雨空のせいにしておこう。
織田信長が敦盛を舞い「人生50年と」と謡ったのは安土桃山時代のこと、
それを物語るように信長は京都本能寺において49歳で没した。
近代日本の日清・日露に始まる戦争時代の寿命はいったい
「人生・・・年」だったのかな。
働き盛りの壮年男子は紙切れ一枚で戦場に送られ、
敗戦の色濃い第二次太平洋戦争末期には学徒動員の名のもとに
若者たちは無駄死にを強いられた。無能な為政者のために。
敗戦の色濃い第二次太平洋戦争末期には学徒動員の名のもとに
若者たちは無駄死にを強いられた。無能な為政者のために。
焼け跡に残された腑抜けの男どもは憲法九条を護符に自らの尻に
火をつけ、米国の庇護のもと敗戦国日本は劇的な復興を遂げた。
いまぼくのアタマに昌子の歌が流れている。
戦時中に"旅順口包囲の中に在る弟を嘆きて"を詠んだ晶子は、
「私はまことの心をまことの声に出だし候とより以外に、
歌のよみかた心得ず候。」と書いている。じつにあっぱれ。
梅雨時はタイトル画像がなくて、
かの煙突は相も変わらず霧雨にけぶる。
それで某業界の集まりで行った明治記念館にした。
空が白飛びしているように見えるのは、
夕方に篝火が燃える白い曇天だったから。
明治記念館に到着したときに、たまたま結婚式に遭遇して
純白無垢の花嫁姿を撮らせてもらった想い出、
それと千代に八千代のさざれ石。
記憶のページを開く梅雨空もいいかも。
よい一日を。
「君死にたもうことなかれ」
旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて
ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて
ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
堺(さかい)の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたもうことなかれ
旅順(りょじゅん)の城はほろぶとも
ほろびずとても 何事ぞ
君は知らじな あきびとの
家のおきてに無かりけり
君死にたもうことなかれ
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣(けもの)の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
おおみこころの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されん
ああおとうとよ 戦いに
君死にたもうことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは
なげきの中に いたましく
わが子を召され 家を守(も)り
安しと聞ける大御代(おおみよ)も
母のしら髪(が)はまさりぬる
暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にいづま)を
君わするるや 思えるや
十月(とつき)も添(そ)わでわかれたる
少女(おとめ)ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたもうことなかれ
与謝野晶子も、太平洋戦争のときは、好戦的な歌を詠んでいるのですよね。
戦争って!!!そんなもん、
と老い先短い者は、言っていられるけれど、やはり孫子には幸せな時代を残してあげたいものです。
朝令暮改は人の常と...
わが身をを振り返ってしみじみ思う(笑)