睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

親父part1

2010-12-08 04:07:04 | 逝ける人々

1999/08/19

昼休みに母から電話。
父がギックリ腰で痛がっている、K診療所に行くから保険証を持ってきてくれ。
よほどの用がないと会社へ電話してこない母からの電話に胸の動悸が高鳴り、
一瞬覚悟を決めた。ギックリ腰と聞いて、安心したような、いよいよきたのかと
相反する二つの気持が揺れ動いた。

電話の側にいるであろう父のことを気遣ってギックリ腰と言ったのではないのか...。

腰から背中が痛いのは、胃癌の転移が進んだのかもしれない。
ガンの宣告から1年半、両親はお天気任せの畑仕事に精を出してきた。
それを神に感謝すればこそ、泣き言をいうのはお門違いだと思いながら
どうか転移でありませんようにと内なる神に祈った。


1999/09/05(日)

朝5時40分ごろ、実家から電話がきた。
枕元の受話器を取る前から予感があったので、深呼吸をし、気持ちを
落ちつかせてから電話に出た。

(父の状態)
・8度くらいの熱が出たり引いたりしている。
・胃痛がするのでキャベジンを買って飲ませている。
・起き上がると眩暈がする。
・食欲がなくて何も食べられない。
・氷で頭を冷やしながら様子をみている

救急車を呼んでK大学病院へ連れて行こうかどうしようかという電話だった。
ひとまず小康を保っていると言うので、K大学病院へ電話して明日の診察予約を
取るように言った。おろおろしないよう、何かあったらすぐに駈けつける旨を伝え
落ちつくように言い含めた。Tはすぐ出かける用意を整えて連絡を待つ。

午後から電話があり、K大学病院担当医師のW先生がお休みのため、
明朝8時30分に再度電話をくれとのこと。
予約が取れ次第、Tが父を病院へ連れて行くことになった。

このくらいのことで取り乱してはいけないと強く自分に言い聞かせる。
入院はさせたくない。


1999/09/06(月)

9時30分に実家へ迎えに行き、K大学病院へ向かった。
途中何度も電話が入る。10時~4時まで検査と処置。

(途中経過)
・白血球の数が異常に多い(400以上/通常100)ウイルス感染症の疑い
・脱水症状
・目に精気がなく目やにと赤く充血している
・胆嚢、肝臓、腎臓は異常なし

(今日の検査)
・血液と尿検他

(処置)
・点滴1本を3時間半かけた(負担軽減の為スピードを落す)
・薬は朝晩飲むのが1種類、食後30分が3種類処方された
 
明日も今日と同じ時間に診察予定だが、やはり1日仕事。

今日の検査結果との比較によっては入院の可能性もあり。
Tは今日に引き続き、明日も有休届けを出した。

今年の7月ころから父は再三不調を訴えていたという。
母は処置室で点滴を受ける父に「だから医者に行こうといったのに」と
涙声でなじる。頑として医者へ行くのを拒否した父の気持も分かる。
やはり、父は知っているのだと思う。心配なのは母の精神状態だ。

8月の末に猫が老衰で死んだ。
夏ヤセのようにやせ細り、何もたべなくなって、5日目の朝、
両親に慈しまれ可愛がられた18年が母の手の中で息絶えた。

オヤジの命の砂時計が逆さになった。
一日、一日を大事にするしかない。
毎日、祈る。


1999/09/07(火)

昨日と同じ時間に実家~K大学病院へ。
・白血球の数が200~300へ若干下がった。
・点滴1本

次回は9日と20日。
実家近くのN病院に主治医W先生の恩師がいると聞いた。
20日にN病院への紹介状を書いてもらおう。

Tに何日も会社を休ませるわけにはいかない。
私の仕事は客商売だから、よほどのことがない限り仕事は休めない。
顧客にも、取引先にも、会社にも、さまざまにご迷惑をかける。

今はまだ休めない。
くそおっ。




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