なかなかエンジンがかからない。
TA22やTE27がそうだった。
2TGはなんでこんなに気難しいのってくらいEg始動に
神経をつかう車だった。
信号待ちで青になりアクセル踏み込んだとたんぷすぷす停止、
またプラグがかぶったと、工具箱からプラグレンチとウエスと
ワイヤーブラシを持って交差点の真ん中でフードを開ける。
今の車はヘッド周りをEgカバーで包み込み、
素人の手が入らないように設計されているが、
昔の車はむき出しヘッド+ブロック、タコ足+エキゾーストで
いかにも"メンテナンスはご自分で"の車だった。
十国峠の濃い霧の中でX1/9がオーバーヒートした。
視界ギリキリの道路に取り残されると生きた心地がしない。
たまたま通りかかった憂国のメンバーが助けてくれたから
事なきを得たけれど、今でも突然の濃霧はぶるっとする。
美ヶ原の広い駐車場で濃霧に包まれたことがあった。
あの時は2コイチだったから歓迎したけど、
走行中はおれのガチャ目と乱視がイヤだってさ。
3年前に両目とも白内障のオペを受けたら調子がよくて、
夜の雨も霧も怖れるに足らずになったから皮肉なもの、
おまけに今は安全運転の金帯だし。
皮肉といえば、
車好きが嵩じて大企業から中小の自動車業界にトラバーユしたのだが、
定年まで安泰と思われた大企業でもコケるときはコケる。
東証一部の管理ポストに入ってからは企業の存続は二転三転し、
最後は坂道を転がり落ちるようにブランドごと跡形もなく消滅した。
東京支社前にあった日本最初の喫茶店「可否茶館」の碑は何処へ。
10万人とも云われた社員はどこに散ったのだろうか。
転職しなければぼくも同じ運命をたどっていた...。
一寸先のことは分からない、まさに人間万事塞翁が馬。
車も企業も人も...栄枯盛衰は世の習い。
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