潮の干満がつくる造形は儚い
2018/03/06 5:42pm
EOS 6DmarkⅡ 24-105mm
(105mm F10 1/10秒 ISO400 EV-1.0 AE)
「心因性遊び心欠乏症」の右腕が動かなくなることに
思い当たる原因はペン字の練習だと思う。
痛みがでる前の3日間は朝から晩まで水性ボールペンを
握りしめ、ごりごり夢中で練習帳を埋めていた。
力を入れすぎるのか、中庸を知らない熱中癖のせいか
1ヶ月1冊(A4/87頁)の工程を1日でやってしまった。
2冊目(A4/92頁)の半ばごろになると右腕の上腕部が重く
頸椎から肩にぴりぴりと電気が走るような痛みが出た。
右肩真ん中のちょい背中側を押すと飛び上がるほど痛い
弁慶の泣き所みたいなポイントを発見。
なんとなくヤバげ。
3日目、ぴりぴりとびりびりの電気系痛みが交互にきた。
夕方までに2冊目を完了し、3冊目はしばら休もうと
思っていたら、時すでに遅し。
3日目には釘を刺すようなズキズキの激痛に変わっていた。
瞬間的な痛みは我慢できても朝まで続く痛みはつらい。
それから3日間は鎮痛剤を飲んでは吐きを繰り返しながら
痛みが引くのをひたすら待った。
そして大晦日の夜、突然右腕が動かなくなった。
だらんと落ちた右腕は上にあがらず前後左右にも振れない。
自分の意志ではコントロールできない木偶の棒になった。
これを見たツレは、
「いくら病院ぎらいでもほっとくとかたわになるよ!!!!」
その剣幕に怖れをなして夜間救救急に行くことを決めた。
手伝ってもらわないと着替えすらできない不便さと、
もしもの介護の大変さを想像すると"ごもっとも"と思った。
仕事を休業し、すべての制約を排除し、のんべんだらりん
のほほんと過ごしていたら右手が徐々に動くようになった。
左手で自模っていた麻雀牌もいつのまにか右手に戻り、
キーボードも人並に打てるまで回復した。
自主的リハビリの丸1年が過ぎ、若干の後遺症はあるものの、
ムリをしなければ仕事を再開しても大丈夫だと自己判断した。
今年から復帰した仕事を順調にこなし、ブログとTwitterも
復帰できた。人付き合いの輪も少しづつ回復中。
2月の中頃から右肩が時々ぴりぴりする。
カメラのシャッター300回押したくらいで?と思ったけど、
手ぶれ防止に両脇を締め両手でがしっとカメラをつかみ、
息を止めてシャッターを押す。その緊張感が原因かも。
昨日の金田湾と三崎港はよかった。
冷たい風に凍えながらシャッターを押す快感は
まさに"スーダラ節のこころ"
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