睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

夏の弱虫の遠吠え:同じ束なら札束がいい・・・効き目倍増!

2019-08-01 07:32:40 | 散文うたかたの記


画像は昨日の夕焼け
暑くなるにつれ空も赤く焼けてくる

最近忘れっぽいなと思うのは、
あしあとを追いながら同じサイトを何度も訪問してしまうこと
あれっ、さっき見たなこれで3回目とか、
そんなんが多い。

ぼくは自分から検索してブログを探すタイプじゃない
めんどくさー、ここに来る人のブログだけでいい
それにけっこう傲慢だし、イヤなら来るなと思ってる。

嫌われることを厭わないから何でも書ける
たとえ読者が1人でもいい
君のために書く・・・なんて舌の根が浮くようなことをしてみたい。

小さい部屋に円卓は好きだけど
大きな講堂にすきま風は好まない
だからといって同じ方向を向くのとは違う
それぞれが好き勝手にやるのがベスト。

ぼくは友人が少ない
遊び友達、サークル関係、仕事繋がりを除くと
数えるほどしかいない
それも近くにいないからおいそれと会えない。

無性に逢いたいときは
車を飛ばし国道45号線をさすらい
飛行機に乗って広島や大分に行く
だが、これからはそれが難しくなる
病とはせつないものだ。


あれは中坊のときかな
うろおぼえだけど
ペンフレンドが流行っていたころ、
ぼくはある雑誌にペンフレンド求むのメッセージを投稿した。

何を書いたか覚えてないけど
ケツの青さもろ出しの本心を書いたような気がする
2か月後のある日、(母がぼくだけの母のころ)
母が怪訝そうな顔をして手紙の束を渡してくれた。

それからしばらくのあいだ毎日手紙が来た
返事を書いても書いても追いつかない
どの手紙にも定型文の返事を書くようになった
はたと思った
これは手紙じゃない、レポートだ。

ペンフレンド募集はこれ一度きりで懲りた
その手紙の束は今でも山の家にある
いまら全員の方にこころのこもった手紙を
書けるものを、中坊では50年早かった
歳月にムダはないんだね。


ブログを書いてて思うのは、
共感するポイントはひとそれぞれということ
クソ記事とおもったのが意外に評判よかったり、
またその逆もある。
同じシンパシーにもいろんな色があるようだ。

一日の終わりにPCスリープのときに見る
あしあとのほとんどはフォロワーさん
いつもありがとう。


夏がくると弱い虫になる
陽光に照らされ干からびて
カラダに力がはいらない
よろけながら部屋をあるき
こうまんちきのハナがおれ
よわねをぺっと吐く。


齢の重ねと守備範囲の広さがぼくの取柄らしい
ジャンル問わず使えると旧友に重宝がられてる
病の身なのにFAXが溜まる。

これは逆療法的見舞いの束と思っているが、
同じ束なら札束がいい・・・効き目倍増!





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