水滸聚義

中国古典『水滸伝』の紹介や考察を行っています

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好漢紹介 呉用

2010-09-18 | 好漢紹介 天罡星1
  てんきせい ちたせい ごよう
 天機星 智多星 呉用


 済州鄆城県東渓村の書生で私塾の教師。東渓村の出身。字は学究、号は加亮先生。万巻の書を読破し兵法・謀略に精通し、あだ名は智多星。眉は秀で、顔は白く、長いひげをたくわえており、道服を身にまとう。銅鏈を操る。晁蓋とは小さいときからの親しい友人。

 ある時、流浪の好漢・劉唐は不義の財である生辰綱(北京の梁中書から東京の太師蔡京へ送られる十万貫の誕生日の贈り物)を強奪することを企てて晁蓋の元を訪れる。晁蓋は、呉用と図り決行の仲間を集めることにする。こうして、晁蓋のもとに呉用、劉唐、公孫勝、そして呉用が説得してきた阮氏三兄弟の七人が集まり、義を結び七星の誓いを立て、知略を持って見事輸送中の生辰綱を奪い取ることに成功する。

 その後、生辰綱強奪に協力した白勝が済州の役所に捕らわれ自白したことから晁蓋らの身元が割れてしまう。晁蓋・呉用らは、鄆城県の押司・宋江の手引きによって梁山泊へ逃れる。梁山泊では首領の王倫が晁蓋らを快く思わず体よく追い返そうとする。しかし、梁山泊の好漢・林冲が王倫の狭量に業を煮やし、自ら王倫を討って晁蓋を新たな梁山泊の首領に迎え入れた。呉用は新たな体制の梁山泊で晁蓋に次ぐ地位に就き軍師を務めることになる。

 その後、閻婆惜を殺害し逃亡していた宋江が刑に服して江州に流刑となると、呉用らは配流途中の宋江を迎えて梁山泊に身を寄せるように勧めるが宋江は聞き入れない。呉用は江州の友人の牢役人・戴宗に手紙を書き、宋江をよく計らうよう手を配った。宋江が江州で反詩を吟じ捕らえられると、呉用は太師・蔡京の偽手紙を作って戴宗に託し、宋江を救い出そうとするが、蔡京の息子である江州の蔡九知府への書き方を誤り、偽手紙であることを見破られてしまう。いよいよ宋江が処刑されかかると、晁蓋らが江州に乗り込んでいって宋江を救い出し、宋江を梁山泊へ迎えた。

 以後、呉用は晁蓋・宋江に次ぐ第三位で兵権を司る。梁山泊と祝家荘との間に戦争が起こると、宋江率いる梁山泊軍が祝家荘に攻め入るが苦戦し、なかなか攻略できない。呉用は援軍を率いて祝家荘へ出兵し、新参好漢の孫立らを祝家荘へ仲間入りさせるふりをして、内部から祝家荘を打ち破った。のち呉用は、宋江の恩人である朱仝を仲間に加えるために、雷横と李逵を従えて滄州へ赴く。拒む朱仝を仲間に入れるために李逵は、朱仝が世話をしていた滄州知府の幼子を惨殺する。朱仝は大いに怒り狂うが、李逵は宋江と呉用の立てた計に従っただけだと言った。

 梁山泊の恩人である柴進が高唐州に捕らわれると、梁山泊軍は高唐州へ攻め入り、呉用は宋江の元で指揮を執るが、高唐州の知府・高廉の妖術の前に苦戦する。呉用は戴宗と李逵を遣わして、帰郷している公孫勝を呼び戻させ高廉の妖術を破って、高唐州を落とした。続く対呼延灼戦、青州戦、華州戦、芒碭山戦でも軍師として采配をふるった。

 曽頭市の戦いで首領の晁蓋が命を落とすと、呉用は宋江に首領の地位に就くよう勧める。晁蓋の「史文恭を捕らえたものを首領に」という遺言を理由に宋江は断るが、首領不在では困るため仮の首領となった。真にふさわしい人物を首領につけようと宋江は、河北の三絶と讃えられる北京の豪商・盧俊義を仲間に引き入れるべく画策する。呉用は、李逵を連れて易者の格好をして北京の盧俊義に接触する。呉用は百日以内に盧俊義の命が危うくなると、嘘の占いをし、難を避けるため梁山泊の方向へ旅に出るよう勧めた。

 この言葉を信用した盧俊義は梁山泊の付近へ旅をするが、たちまち梁山泊の好漢に捕らえられ山寨へ連行される。呉用らは盧俊義を仲間に引き入れようと歓待するが、盧俊義は聞き入れず北京へと帰っていく。ところが盧俊義は梁山泊の賊と内通しているとして逮捕・投獄されてしまう。盧俊義を救うため梁山泊軍は軍を出し、呉用は北京城内に多くの好漢を侵入させて総攻撃で北京城を打ち破った。

 盧俊義を仲間に引き入れた梁山泊軍は、晁蓋のあだを討つべく再度曽頭市に攻め入り、呉用は宋江の元で指揮を執る。この戦いで盧俊義は見事史文恭を生捕りにした。宋江は、晁蓋の遺言通り盧俊義に首領の座を譲ろうとした。しかし盧俊義は固持し、呉用たちも宋江を首領にと推した。結局、宋江の提案で宋江と盧俊義は、兵を分け、それぞれ東平府と東昌府を攻めることとし、先に城を陥落させた方が首領につくということに決める。呉用は公孫勝と共に盧俊義を補佐するが、東昌府の将・張清の抵抗に苦戦し、宋江らの援軍を得てようやくこれを打ち破った。

 梁山泊での席次は第三位、機密を司る軍師。

好漢紹介 公孫勝

2010-09-18 | 好漢紹介 天罡星1
  てんかんせい にゅううんりゅう こうそんしょう
 天閑星 入雲竜 公孫勝


 諸国を行脚する道士。道号は一清先生。薊州の出身。道術に通じ、風を起こし雨を呼び霧にまたがり雲に上ることも出来るため、あだ名は入雲竜。また諸版の武芸にも通じ、公孫勝大郎とも呼ばれる。身の丈八尺、堂々とした風貌。八字の眉に、杏のような眼、口は四角く、無精ひげを生やす。松文古定剣を用いる。

 修行の旅の途中、不義の財である生辰綱(北京の梁中書から東京の太師蔡京へ送られる十万貫の誕生日の贈り物)を強奪することを考えた公孫勝は、鄆城県東渓村の晁蓋の元を訪れ力を借りようとする。すでに晁蓋は、仲間たちと強奪の決行を決めていたところで、公孫勝を含め七人の好漢が集まり、義を結び七星の誓いを立てる。そして、計略を持って見事輸送中の生辰綱を奪い取ることに成功する。

 その後、生辰綱強奪に協力した白勝が済州の役所に捕らわれ自白したことから晁蓋らの身元が割れてしまう。晁蓋・公孫勝らは、鄆城県の押司・宋江の手引きによって梁山泊へ逃れる。公孫勝は途中、道術で風を巻き起こして追っ手が迫るのを妨げた。梁山泊では首領の王倫が晁蓋らを快く思わず体よく追い返そうとする。しかし、梁山泊の好漢・林冲が王倫の狭量に業を煮やし、自ら王倫を討って晁蓋を新たな梁山泊の首領に迎え入れた。公孫勝は新たな体制の梁山泊で、晁蓋・呉用に次いで第三の席に着く。

 恩人の宋江が江州で罪を犯し処刑されかかると、晁蓋らは下山して宋江を救いに行き、公孫勝は呉用らと共に梁山泊に残って山寨を守った。晁蓋らは無事宋江を救い出し、宋江が仲間に加わった。その後、宋江が父親を梁山泊の山寨へ迎えて暮らし始めたのを見た公孫勝は、故郷に残した老母を見舞うため百日の期限の約束で薊州へ帰郷する。しかし帰郷先で師匠の羅真人に引き留められ、清道人と名を改めて修行を続けながら期限を過ぎても梁山泊に戻らなかった。梁山泊からは何度か捜索の遣いを出したが、公孫勝を探し出すことは出来なかった。

 そのうち梁山泊軍は、妖術をあやつる高廉知府率いる高唐州軍と戦争になる。高廉の妖術に苦しめられた梁山泊軍は公孫勝を再び呼び戻すことにし、戴宗と李逵を薊州へ遣いにやる。戴宗と李逵は、薊州の二仙山で母親と共に暮らす公孫勝に再会する。公孫勝は、下山を断ったがかつての仲間たちに頼み込まれたこともあり、師匠の羅真人に諮る。はじめは公孫勝の下山を認めなかった羅真人だが、李逵の出たらめっぷりに免じて公孫勝を下山させることにする。

 高唐州へとたどり着いた公孫勝は、さっそく妖術を操り、高廉の術を破って梁山泊軍を勝利に導く。その後は梁山泊軍に復帰し、呉用と共に軍師をつとめる。芒碭山戦、北京戦、曽頭市戦、東昌府戦に参戦。芒碭山戦では、諸葛亮の八卦の陣を敷いて、賊将樊瑞の道術を破り、梁山泊軍を勝利に導いた。北京戦では行脚の道士のふりをして、凌振を連れて北京城外に待機、合図の号砲を放った。東昌府の戦いでは、道術で風を起こし、敵将張清隊を混乱させ水辺へ誘い込んだ。

 梁山泊での席次は第四位、機密を司る軍師。

好漢紹介 林冲

2010-09-18 | 好漢紹介 天罡星1
  てんゆうせい ひょうしとう りんちゅう
 天雄星 豹子頭 林冲


 東京の禁軍の槍棒教頭。豹のような頭、つぶらな眼、燕のおとがい、虎の鬚という容貌であだ名は豹子頭。身の丈八尺、登場時三十四、五歳。槍棒の達人で、戦場では一丈八尺の蛇矛を用いる。軍人の家柄で、亡き父は東京の提轄、妻・張氏の父もまた教頭であった。

 ある時、東京の菜園で武芸を披露していた花和尚の魯智深と出会い意気投合して義兄弟の契りを結ぶ。その時、嶽廟へ参拝に訪れている妻が何者かにちょっかいを受けていると女中の錦児が知らせに来る。廟へ駆けつけた林冲は、妻を助けようと絡んでいた男との間に割ってはいる。その男は、林冲の上司に当たる太尉・高俅の養子の高衙内であった。この後、高衙内はなんとしても林冲の妻をものにしたいと策を巡らし、養父の高俅と謀って、武器の持ち込みを禁じてある白虎節堂に、林冲を帯刀させたままおびき寄せ、罪を着せてこれを捕らえさせた。

 高俅は、林冲を処刑するよう開封府尹に圧力をかけるが、公正な孔目・孫定の裁きで、林冲は滄州へと流罪となる。配流の直前、林冲は妻の今後のことを思って離縁状を書き、誰か世話をしてくれる人のところへ嫁ぐよう諭すが、妻は気を失って倒れてしまう。高俅に買収されていた護送役人の董超と薛覇は、護送の旅の途中、熱湯で足を洗い棘だったわらじを履かせるなど、林冲を苦しめ続ける。野豬林という林の中で、董超と薛覇はついに林冲に手をかけようとするが、駆けつけた魯智深に阻止された。滄州では牢城へ着く前に、天下の好漢と交わるのを好む柴進の屋敷へ足を運ぶ。柴進は、林冲を厚くもてなし、牢城で便宜をはかってもらえるよう手紙をしたため銀子を持たせて林冲を送り出した。

 滄州の牢城では、柴進の書状や賄賂が功を奏し最も軽い労役を与えられる。しかし、東京の高俅が放った魔の手が滄州へ及んでいた。高俅の手先・陸謙・富安と買収された監獄によって暗殺されかけたところを運良く逃れ、怒りに燃えて三人を斬り殺す。林冲は吹雪の中逃亡し、とある民家に身を寄せ、酒と食事を寄こすよう民に詰め寄って暴れる。林冲は泥酔したところで近隣の民に捕らえられて、ある屋敷へ連行される。林冲が連行された先は運良く柴進の屋敷であった。柴進は林冲を歓待し、事情を聞いて林冲に梁山泊の王倫のもとへ身を寄せるよう勧め、林冲は梁山泊への旅に出る。

 梁山泊へとたどりついた林冲は、山賊の首領・王倫に仲間入りを願い出るが、王倫は自分よりも優れた人物が仲間になることをおそれ、林冲を体よく追い返そうとする。副首領の宋万・杜遷らによってなんとかとりなされ、林冲は投命の証として三日以内に人の首を取ってくることを命じられる。約束の最後の日、林冲は顔に青あざのある武芸者と遭遇しこれに打ちかかっていく。朴刀を振るって一進一退、三、四十合も斬り合ったところで王倫が割って入って争いを停めた。武芸者は、もと殿帥府制使の青面獣・楊志であった。王倫は、楊志を梁山泊の山寨に招いてもてなし、林冲と牽制させる目的で楊志を梁山泊へ引き留めようとするが、楊志の意志は硬く、梁山泊を離れて東京へ向かった。林冲は梁山泊への入山を認められ、王倫・杜遷・宋万に次いで第四の席に着く。

 しばらく後、生辰綱を強奪し逃亡してきた東渓村の晁蓋一行が梁山泊へ身を寄せてくる。しかしまたしても首領の王倫は、体よく晁蓋らを追い返そうとする。王倫の狭量に愛想を尽かした林冲は、意を決して王倫を刺し殺し、晁蓋を新たな梁山泊の首領として迎え入れる。新たな体制の梁山泊で、林冲は晁蓋・呉用・公孫勝に次いで第四の席に着き、梁山泊の軍事の中核となる。その頃、東京の妻の様子を探らせたところ、既に自ら命を絶っていたことがわかった。

 その後、祝家荘戦、高唐州戦、対呼延灼戦、華州戦、曽頭市戦、北京戦、凌州戦、東平府戦、東昌府戦など数々の戦に参戦。祝家荘の戦いでは第二隊を率いて出陣し、乱戦の中で追い詰められていた宋江を助けて敵将・扈三娘を生け捕った。また二度にわたって祝竜と渡り合い、一度目は決着がつかなかったものの、二度目の戦いでは見事に祝竜を撃退した。高唐州の戦いでは、先陣を切って戦い敵の統制官・于直を五合に至らぬうちに討ち取った。また一隊を率いて逃げる高唐州軍を追撃して打撃を与えた。対呼延灼戦では、先方の第二隊を率いて討って出て官軍の大将・呼延灼と五十合も渡り合う活躍を見せたが、敵による連還馬の猛攻の中、矢にあたり負傷してしまう。東京時代の知己の金鎗班師範・徐寧が梁山泊へ連れてこられると、仲間入りするように説得した。

 華州戦では楊志と共に華州城を攻めた。第一次曽頭市戦では、一騎打ちで曽魁を退け、晁蓋と兵を分けて進軍するが、晁蓋が奇襲を受けて毒矢を受けてしまい、林冲は晁蓋を守って兵をとりまとめて撤退した。晁蓋が死ぬと呉用と共に、宋江に首領の座に着くように勧めた。第一次北京戦では、飛・馬麟と共に後軍を率い、敵将・聞達の退路を断ちながら戦った。対関勝戦では、花栄と共に敵の副将・郝思文を相手取ってこれを敗走させた。第二次北京戦では花栄とともに馬麟と飛を率いて北京城へ攻め入った。凌州戦では楊志と共に関勝の後詰めとして出陣した。東平府戦では、花栄と共に董平を相手取り、誘い出すためにわざと逃げ出した。東昌府戦では、鉄騎をひきいて妖術で混乱する張清を水中へ追い落とした。

 梁山泊での席次は第六位。騎兵軍五虎将のひとり。