
天機星 智多星 呉用
済州鄆城県東渓村の書生で私塾の教師。東渓村の出身。字は学究、号は加亮先生。万巻の書を読破し兵法・謀略に精通し、あだ名は智多星。眉は秀で、顔は白く、長いひげをたくわえており、道服を身にまとう。銅鏈を操る。晁蓋とは小さいときからの親しい友人。
ある時、流浪の好漢・劉唐は不義の財である生辰綱(北京の梁中書から東京の太師蔡京へ送られる十万貫の誕生日の贈り物)を強奪することを企てて晁蓋の元を訪れる。晁蓋は、呉用と図り決行の仲間を集めることにする。こうして、晁蓋のもとに呉用、劉唐、公孫勝、そして呉用が説得してきた阮氏三兄弟の七人が集まり、義を結び七星の誓いを立て、知略を持って見事輸送中の生辰綱を奪い取ることに成功する。
その後、生辰綱強奪に協力した白勝が済州の役所に捕らわれ自白したことから晁蓋らの身元が割れてしまう。晁蓋・呉用らは、鄆城県の押司・宋江の手引きによって梁山泊へ逃れる。梁山泊では首領の王倫が晁蓋らを快く思わず体よく追い返そうとする。しかし、梁山泊の好漢・林冲が王倫の狭量に業を煮やし、自ら王倫を討って晁蓋を新たな梁山泊の首領に迎え入れた。呉用は新たな体制の梁山泊で晁蓋に次ぐ地位に就き軍師を務めることになる。
その後、閻婆惜を殺害し逃亡していた宋江が刑に服して江州に流刑となると、呉用らは配流途中の宋江を迎えて梁山泊に身を寄せるように勧めるが宋江は聞き入れない。呉用は江州の友人の牢役人・戴宗に手紙を書き、宋江をよく計らうよう手を配った。宋江が江州で反詩を吟じ捕らえられると、呉用は太師・蔡京の偽手紙を作って戴宗に託し、宋江を救い出そうとするが、蔡京の息子である江州の蔡九知府への書き方を誤り、偽手紙であることを見破られてしまう。いよいよ宋江が処刑されかかると、晁蓋らが江州に乗り込んでいって宋江を救い出し、宋江を梁山泊へ迎えた。
以後、呉用は晁蓋・宋江に次ぐ第三位で兵権を司る。梁山泊と祝家荘との間に戦争が起こると、宋江率いる梁山泊軍が祝家荘に攻め入るが苦戦し、なかなか攻略できない。呉用は援軍を率いて祝家荘へ出兵し、新参好漢の孫立らを祝家荘へ仲間入りさせるふりをして、内部から祝家荘を打ち破った。のち呉用は、宋江の恩人である朱仝を仲間に加えるために、雷横と李逵を従えて滄州へ赴く。拒む朱仝を仲間に入れるために李逵は、朱仝が世話をしていた滄州知府の幼子を惨殺する。朱仝は大いに怒り狂うが、李逵は宋江と呉用の立てた計に従っただけだと言った。
梁山泊の恩人である柴進が高唐州に捕らわれると、梁山泊軍は高唐州へ攻め入り、呉用は宋江の元で指揮を執るが、高唐州の知府・高廉の妖術の前に苦戦する。呉用は戴宗と李逵を遣わして、帰郷している公孫勝を呼び戻させ高廉の妖術を破って、高唐州を落とした。続く対呼延灼戦、青州戦、華州戦、芒碭山戦でも軍師として采配をふるった。
曽頭市の戦いで首領の晁蓋が命を落とすと、呉用は宋江に首領の地位に就くよう勧める。晁蓋の「史文恭を捕らえたものを首領に」という遺言を理由に宋江は断るが、首領不在では困るため仮の首領となった。真にふさわしい人物を首領につけようと宋江は、河北の三絶と讃えられる北京の豪商・盧俊義を仲間に引き入れるべく画策する。呉用は、李逵を連れて易者の格好をして北京の盧俊義に接触する。呉用は百日以内に盧俊義の命が危うくなると、嘘の占いをし、難を避けるため梁山泊の方向へ旅に出るよう勧めた。
この言葉を信用した盧俊義は梁山泊の付近へ旅をするが、たちまち梁山泊の好漢に捕らえられ山寨へ連行される。呉用らは盧俊義を仲間に引き入れようと歓待するが、盧俊義は聞き入れず北京へと帰っていく。ところが盧俊義は梁山泊の賊と内通しているとして逮捕・投獄されてしまう。盧俊義を救うため梁山泊軍は軍を出し、呉用は北京城内に多くの好漢を侵入させて総攻撃で北京城を打ち破った。
盧俊義を仲間に引き入れた梁山泊軍は、晁蓋のあだを討つべく再度曽頭市に攻め入り、呉用は宋江の元で指揮を執る。この戦いで盧俊義は見事史文恭を生捕りにした。宋江は、晁蓋の遺言通り盧俊義に首領の座を譲ろうとした。しかし盧俊義は固持し、呉用たちも宋江を首領にと推した。結局、宋江の提案で宋江と盧俊義は、兵を分け、それぞれ東平府と東昌府を攻めることとし、先に城を陥落させた方が首領につくということに決める。呉用は公孫勝と共に盧俊義を補佐するが、東昌府の将・張清の抵抗に苦戦し、宋江らの援軍を得てようやくこれを打ち破った。
梁山泊での席次は第三位、機密を司る軍師。