水滸聚義

中国古典『水滸伝』の紹介や考察を行っています

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地名紹介 江南 信州管内

2010-10-27 | 地名紹介 江南
  しんしゅう
 信州


 北宋の江南東路に属す。(南宋では江南西路に属し、『水滸伝』でも信州は江西にあると書かれている。)現在の江西省上饒市。

 管内に貴渓県、竜虎山などがある(1回)。

 
  きけいけん
 貴渓県


 信州の属県。現在の江西省貴渓市。

 管内に道教の総本山・竜虎山がある。仁宗皇帝の勅命を携えた太尉洪信が訪れた(1回)。

 
  りょうこざん
 竜虎山


 信州貴渓県管内にある道教の総本山。実在の山で、現在の江西省鷹潭市管内にある。

 「洪太尉 誤って妖魔を走す」の舞台。嗣漢天師の張真人が住む。ふもとの上清宮・伏魔之殿に封印されていた百八の魔王を洪信が誤って世に解き放った(1-2回)。

基礎知識 『水滸伝』とは

2010-10-24 | 基礎知識
 ■『水滸伝』とは

 『水滸伝』は、『三国志演義』や『西遊記』と並び称される中国の代表的な古典小説です。作者は施耐庵(し・たいあん)あるいは羅貫中(ら・かんちゅう)と言われていますが、彼らについて詳しいことは分かっていません。『水滸伝』が編纂されたのは中国の明代、16世紀頃といわれています。日本にも江戸時代から輸入され、現代に至るまで様々な翻訳が作られてきました。もちろん現在の私たちにも読むことが出来ます。物語は、北宋末の宋江の乱を題材にしていますが、その内容のほとんどは、後世の人々によって作り上げられたフィクションです。

 『水滸伝』は、大衆の娯楽作品として語り次がれてきました。20世紀以降になると、時代にあわせて映画やドラマ、マンガやゲームなどの題材として取り上げられてきました。また一方で『水滸伝』は優れた文学作品でもあり、中国の白話(口語)小説の模範とされてきたほか、現在も様々な研究機関で研究が続けられています。また、中国共産党の毛沢東によって、思想書として取り上げられたこともあるなど、『水滸伝』は様々な顔を持っています。

基礎知識 『水滸伝』のあらすじ

2010-10-24 | 基礎知識
 ■『水滸伝』のあらすじ

 『水滸伝』の舞台は北宋末期の中国。物語は洪信という人物が、封印された108の魔王を世に解き放ってしまう場面から始まります。それから数十年後、108の魔王たちは、それぞれ多様な特徴を持った108人の好漢に生まれ変わり、宋国をさわがせます。最初は全土に散らばっている好漢たちですが、運命に導かれるように「梁山泊」という山寨に集結し、「替天行道(天に替わりて道を行う)」をスローガンに、悪漢たちや腐敗した政府高官を相手に戦い続ける・・・『水滸伝』はこのような痛快な物語です。

 好漢たちの拠点、梁山泊は四方を湖に囲まれた天然の要塞です。物語のタイトル「水滸(水のほとり)」はこれに由来します。より詳しい内容については、「あらすじ」カテゴリーをご覧頂くか、ぜひ『水滸伝』を読んでお楽しみ下さい。

基礎知識 『水滸伝』ができるまで

2010-10-24 | 基礎知識
 ■『水滸伝』ができるまで

 『水滸伝』は、北宋の末期に起こった農民起義「宋江の乱」を題材にして語られる物語です。宋江ら36人の盗賊たちが、淮南のあたりを中心に反乱を起こし、最後は海州の長官・張叔夜に敗れ降伏した、という記事が複数の歴史書に記述されています。ただ、その記述はあっさりとしたもので、宋江の人となりについて全く触れられていませんし、宋江以外の36人は、その姓名も伝わっていません。

 時代が、南宋~元初と移っていく間に、この宋江ら36人をモチーフにした英雄説話が民間で出来上がっていきました。南宋末~元初には、宋江ら36人の姓名と賛辞を綴った龔聖与(きょう・せいよ)の「宋江三十六人賛」や、説話集『大宋宣和遺事』といった書物が作られていきました。この「宋江三十六人賛」や『大宋宣和遺事』に見られる36人の姓名は、『水滸伝』の天𦊆星36人の好漢の名に類似しています。また、『大宋宣和遺事』の説話の中には、「宋江 怒って閻婆惜を殺す」や「楊志 刀を売る」など、明らかに『水滸伝』の原型になっているものがあります。

 また、元の時代には雑劇という形で、好漢たちの個々の説話が作られていきます。この過程で、次第に宋江の仲間たちは108人に膨れあがり、明代の初期から中期頃に、小説『水滸伝』としてまとめられました。

基礎知識 四大奇書とは

2010-10-24 | 基礎知識
 ■四大奇書とは

 『水滸伝』は、中国の四大奇書(しだいきしょ)のひとつに数えられます。「奇」とは、「奇妙な」という意味ではなく、「すぐれた」「世にも稀な」といった意味で、四大奇書とは中国の明代に書かれた四つの優れた通俗長編小説の事をいい、『水滸伝』『三国演義』『西遊記』『金瓶梅』の四書のことを指します。

 のちに、性描写があからさまな『金瓶梅』が発禁扱いとなり、また清代に『紅楼夢』という優れた小説が現れたことから、四大奇書から『金瓶梅』を除き『紅楼夢』を加えて、「四大名著」「中国四大小説」という呼び方がされるようになりました。現在でも中国では、『金瓶梅』は発禁扱いで、『水滸伝』『三国演義』『西遊記』『紅楼夢』を四大名著と呼ぶ言い方が一般的のようです。いずれにせよ『水滸伝』は中国を代表する古典小説であるということです。

 「四大奇書」という呼びかたは、明末の文人・馮夢竜(ふう・ぼうりょう)が言い始めたとする場合と、明末清初の文人・李漁(り・ぎょ)が言い始めたとする場合があります。どういうことかというと、馮夢竜が書いた文の中に四大奇書について書かれたものは見つかっていないのですが、李漁が書いた文(清代に出版された『三国演義』の序文)の中に「馮夢竜が『三国演義』『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』を四大奇書と言っている」というようなことが書いてあるのです。

 李漁のいうことが真実であれば、四大奇書と言い出したのは馮夢竜ということになりますが、李漁が出版する本に箔を付けるためにでっち上げで書いているのかもしれません。実際には、李漁本人が四大奇書と言い出したにもかかわらず「昔の著名人がこう言っている」と書いて信憑性を高める工作を行ったかもしれない、ということです。

基礎知識 梁山泊について

2010-10-24 | 基礎知識
 ■梁山泊について

 梁山泊は、『水滸伝』の物語の中心となる宋江ら108人の盗賊が立て籠もった天然の要塞です。「泊」は「濼」とも書き、浅い湖のことを指します。

 山東にある梁山は、もともと良山という名前でしたが、漢の文帝の子・梁孝王がここに葬られたことから梁山と呼ばれるようになりました。10世紀、五代十国の時代に黄河が大氾濫し、河の流れや地形が変わって大量の水が山東に流れ込み、梁山の周辺に大きな水たまりをつくり、梁山は水の中に取り残された孤島のようになりました。こうしてが梁山泊が誕生しました。

 『水滸伝』の舞台となった北宋の時代の梁山泊の大きさは、南北三百里(165km)、東西百里(55km)、周囲八百里(440km)という巨大なもので、当時の鄆州と済州にまたがっていました。『水滸伝』の主人公・宋江のモデルとなった北宋の盗賊・宋江らが、梁山泊に立て籠もったという確かな記録は残念ながらありません。しかし、大きな水たまりによって外界と隔離された梁山は、格好の隠れ家であったことは確かで、盗賊達の拠点となっていたことを示す記録は多く残されています。

 時代が下り、繰り返す黄河の氾濫で土砂が堆積し、またその後、黄河の流れが変わってしまったことから梁山泊は徐々に干上がっていき、17世紀、清代の康煕年間には、水たまりはすっかりなくなってしまいました。
 
 かつて梁山泊のあった場所は、現在は山東省梁山県の管轄となっています。上に述べたように梁山泊は既にすっかり干上がってしまい、今は泊の跡形もなくなっています。梁山は、しばらく外国人未解放地区でしたが、現在は解放されており日本人も自由に観光できるようになっています。梁山は、「水泊梁山名勝区」という観光地となっており、山内は忠義堂など『水滸伝』の物語の世界が再現されています。

 なお現在の日本では、『水滸伝』の影響を受け、「梁山泊」という言葉が、「英雄豪傑の集う場所」「アウトロー達のたまり場」という意味の一般名詞として使われることもあります。

基礎知識 百回本・百二十回本・七十回本とは

2010-10-24 | 基礎知識
 ■百回本・百二十回本・七十回本とは

 『水滸伝』の訳本の目次をめくってみると、「第一回 ・・・」「第二回 ・・・」というのが目にはいるかと思います。「回」というのは日本で言うと「・・章」とか「・・話」に相当し、『水滸伝』に限らず、中国古典の長編小説は、長い物語をいくつかの回に分けているものが多いのです。このような小説を「章回小説」といっています。

 たとえば同じ四大奇書の『三国志演義』は全百二十回、『西遊記』は全百回です。さて『水滸伝』は、というと少し複雑で、大きく分けて百回本・百二十回本・七十回本の3種類があります。『水滸伝』は明代に大人気であったようで、いろいろな本屋が『水滸伝』を刊行しました。そのような中で、さまざまな種類の『水滸伝』が作られてきた結果、回数の異なる3種類の『水滸伝』が生まれたのです。
 

◆百回本◆
 現在までの研究で、まず全百回の『水滸伝』(百回本)が最初に作られたと考えられています。これが古いかたち=オリジナルに最も近い、ということで文学的な価値が高いと言えます。百回本のストーリーを大ざっぱに表すと、下のようになります。

 108人の好漢が梁山泊に集う(~七十一回) → 遼国との戦い(~九十回) → 方臘軍との戦い(~百回)
 

◆百二十回本◆
 『水滸伝』の販売競争の中で生まれてきたのが百二十回本です。これは明末の楊定見・袁無涯という人たちが、百回本の第九十回と第九十一回の間に、田虎・王慶との戦い二十回分のエピソードを挿入させて作った、新しいかたちの『水滸伝』です。百回本と区別するために『水滸全伝』と呼ばれることもあります。百二十回本のストーリーを大ざっぱに表すと、下のようになります。

 108人の好漢が梁山泊に集う(~七十一回) → 遼国との戦い(~九十回) → 田虎との戦い(~百回) → 王慶との戦い(~百十回) → 方臘軍との戦い(百二十回)
 

◆七十回本◆
 最後に作られたのが、明末清初の批評家・金聖歎が刊行した七十回本です。この本は、108人の好漢が梁山泊へ集う場面(第七十一回)までで物語を終わらせてしまい、小説として精彩を欠く第七十二回以降の文章を切り捨てて、それまでの第一回を「楔子」、第二回を第一回、第七十一回を第七十回として、全七十回に仕立て直したもので、この七十回本が清代以降の中国では大流行しました。

 108人の好漢が梁山泊に集う(~七十回)

あらすじ 第一回

2010-10-23 | あらすじ 第一回~第十一回
 ■第一回 張天師 祈って瘟疫を禳い  洪太尉 誤って妖魔を走す

 建国以来、平和な時を過ごしてきた宋国に疫病の大流行という厄災が降りかかった。朝廷の重臣たちが手を尽くしたが疫病は治まらず、時の皇帝・仁宗は道教の最高位・張天師に祈祷を行ってもらうべく、太尉の洪信を道教の総本山である竜虎山へ遣わした。

 洪信が大蛇や虎に出くわしながら、天師の庵をめざしていると牧童に出会った。牧童が言うには、天師は既に全てを知って首都東京へ向かったとのこと。洪信は竜虎山を下り、麓の上清宮で道士達に事のいきさつを伝えると、その牧童こそが天師だということだった。

 さて、洪信は上清宮に逗留中、魔王を封印してあるという伏魔殿に興味を持つ。いやがる道士たちに無理矢理封印を破らせると、中には「遇洪而開(洪に遇いて開く)」と刻まれた石碑が建っていた。自分のことだと大喜びした洪信が、さらに石碑を掘り返させると深い穴が空いていて、そこから轟音とともに火の玉が吹き出し建物を突き破って四方へと飛び散っていった。

あらすじ 第二回

2010-10-23 | あらすじ 第一回~第十一回
 ■第二回 王教頭 私かに延安府に走れ  九紋竜 大いに史家村を閙がす

 洪太尉が解き放ったのは、かつて封印された天罡三十六星、地煞七十二星、あわせて一百八の魔王だった。しかしその後、何事もなく時は流れ、朝廷では第八代皇帝の徽宗が即位した。

 徽宗は芸術や遊興を好み、自分にへつらうを重用し、朝廷には奸臣がはびこることとなった。元ごろつきで、蹴鞠の腕だけで徽宗に登用された高俅もその一人だった。徽宗が即位すると、高俅は瞬く間に殿帥府太尉(武官の最高位)にまで昇進した。禁軍(近衛軍)武芸師範の王進も新しく上役となった高俅の恨みを買ってしまい、老母とともに首都東京開封府を逃れ、辺境で仕官するために旅に出ることになった。

 王進は、旅先の華陰県史家村の史太公の屋敷で宿を請うた。老母の体調が優れないため、王進はしばらくの間、史家村に逗留することになった。史太公の息子・九紋竜の史進は武芸をたしなんだが、禁軍師範の王進の腕前には全くかなわず、史進は王進に師事し武芸十八般を学ぶこととなった。しばらくして王進は史家村を去って旅を続け、まもなく老齢の史太公も亡くなり史進が村の顔役となった。
 
 ある時、史家村にほど近い少華山の山賊の頭領・跳澗虎の陳達が手下を率いて史家村を通ろうとした。史進はこれを制して、一騎打ちで陳達を生け捕った。山賊の頭領神機軍師の朱武白花蛇の楊春は、陳達の命を救うために一芝居うち、山を降りて史進のもとを訪れ、三人まとめて役所に突き出すようにと自首した。朱武の思惑通り、仲間を思う義侠心を天晴れと思った史進は、三人を許した。

 これが縁で史進と少華山の三頭領は親しく付き合うようになった。しかし、少華山の頭領達には多額の懸賞金がかけられており、金に目がくらんだ村人の李吉は、密かに役所に訴え出た。ある時、少華山の三頭目が史進の屋敷を訪れ、宴会が催されていたとき、ふと屋敷の外が騒がしくなった。史進が外を見てみると県の捕り手達が屋敷を取り囲んでいた。

あらすじ 第三回

2010-10-23 | あらすじ 第一回~第十一回
 ■第三回 史大郎 夜華陰県を走れ  魯提轄 拳もて鎮関西を打つ

 史進は、仁義を重んじ三頭領を捕り手に引き渡すことはせず、意を決して屋敷に火を放ち、三頭領と共に討って出て、捕り手達を斬り払って少華山へと逃げた。しかし史進は山賊に身を落とすのを良しとせず、朱武らに別れを告げ、師の王進を探す旅に出ることにした。

 史進は旅先の渭州で、地元の提轄(小隊長)で豪傑の魯達(のちの花和尚の魯智深)と知り合い意気投合する。さらに史進の昔の武芸の師、打虎将の李忠にも偶然再会。三人が料亭で酒を飲んでいると店の奥で歌唄いの金父娘が泣いていた。肉屋の鄭に騙されて借金をでっち上げられ、返済のあてもなく歌唄いをしながら泣き暮らしていたのだった。魯達は父娘に路銀を渡し、後は任せるように言って渭州を去らせる。

 史進や李忠と別れた魯達が鄭のもとを訪れ、金父娘の件を問い詰めると鄭は包丁を持って襲いかかってきた。魯達がこれを蹴り倒して拳骨三発を喰らわせると、鄭は息絶えてしまった。お尋ね者となった魯達は、渭州をのがれ放浪の末たどりついた代州雁門県で、ある男に声をかけられた。

あらすじ 第四回

2010-10-23 | あらすじ 第一回~第十一回
 ■第四回 趙員外 重ねて文殊院を修め  魯智深 大いに五台山を閙がす

 魯達が代州で出会ったその男とは、渭州で救ってやった金老人であった。渭州を離れた金親娘は代州に流れ着き、娘の翠蓮は七宝村の金持ち趙員外に気に入られて妾となって裕福に暮らしていたのだった。

 金親娘は、魯達を趙員外に引き合わせる。趙員外は、魯達が鄭を殺してお尋ね者になっていることを知ると、自らが檀家をつとめる寺院で出家して身を隠すことを勧めた。魯達は勧めに従って五台山の文殊院の智真長老のもとで出家し、智深という法名を与えられた。

 しばらく寺に逗留した魯智深だったがろくに修行もせず、ある時、寺を抜け出して戒律を破って酒を飲み、僧堂を騒がした。智真長老にきつく戒められた魯智深だったが、三、四ヶ月もすると、また酒が飲みたくて仕方がなくなり、山を下りてふもとの街で酒を飲んだ。そして泥酔して寺に戻って大暴れして金剛像を破壊したり、仏僧らを痛めつけたりした。二度までも戒律を破って暴れ回った魯智深に智真長老はとうとう破門を言い渡した。

あらすじ 第五回

2010-10-23 | あらすじ 第一回~第十一回
 ■第五回 小覇王 酔って銷金帳に入り  花和尚 大いに桃花村を閙がす

 智真長老に東京の大相国寺で面倒を見てもらうよう勧めを受けた魯智深は、東京へと旅を続ける。ある夕方、宿を取りそこね、桃家村の劉太公の屋敷で一夜の宿を求めるが、その晩は取り込んでおり泊めることが出来ないという。

 わけを訊けば桃花山の山賊、小覇王の周通が劉太公の娘を気に入り、無理矢理婿入りに来る日なのだという。話を聞いた魯智深は、周通を説得すると言って娘を隠させ、自分は嫁の部屋で周通を待ち受けた。

 その晩、周通が屋敷へやって来て、娘の部屋に入っていくが、真っ裸で寝台で待ち受けていた魯智深にこてんぱんにされてしまう。周通は桃花山へ戻って首領に助けを求める。首領が周通と共に山を下りて魯智深に会うと首領はハッと平伏した。桃花山の首領とは渭州で出会った打虎将の李忠だったのである。

 周通は結婚をあきらめ、李忠らは魯智深を山寨へ招くが、李忠・周通の性根が気に入らない魯智深は長居をせず二人の留守中に山寨を荒らして出て行ってしまった。

あらすじ 第六回

2010-10-23 | あらすじ 第一回~第十一回
 ■第六回 九紋竜 赤松林に剪径し  魯智深 瓦罐寺を火焼す

 東京への旅を続ける魯智深は、とある荒れ寺「瓦罐寺」にたどりつく。そこは山賊まがいの坊主・崔道成と行者・丘小乙のねぐらであった。魯智深は二人の賊を成敗しようとするが、旅の疲れと空腹で敵わず、荷物を置いて逃げ出した。

 一文無しになった魯智深は、さらに近くの赤松林で追い剥ぎに遭遇する。魯智深が追い剥ぎと戦っていると、その男が渭州で別れた九紋竜史進であることが分かった。再会を喜んだ二人は、協力して崔道成と丘小乙と戦い、魯智深は崔道成を、史進は丘小乙を討ち取り、荷物を取り戻して瓦罐寺を焼き払った。史進は少華山の朱武らを頼って華州へ帰っていき、魯智深は東京への旅を続けた。

 東京にたどり着いた魯智深は、大相国寺の智清禅師のもとを訪れる。智清禅師は、魯智深の粗暴ぶりをみて、全く出家僧のように思われなかったが、兄弟子の智真長老からの紹介状があったため断れず、魯智深を大相国寺に留め置き、菜園の番人を任せることにした。

あらすじ 第七回

2010-10-23 | あらすじ 第一回~第十一回
 ■第七回 花和尚 倒に垂楊柳を抜き  豹子頭 誤って白虎堂に入る

 魯智深が番人を任された菜園には、いつもならず者たちがやって来て荒らしていたが、魯智深があっという間に懲らしめて手なづけてしまった。ある時、魯智深が武芸の稽古をしているところへ、一人の武官が通りかかった。男は禁軍の槍棒教頭で豹子頭の林冲といった。二人は意気投合し義兄弟の契りを結んだ。

 そこへ林冲の女中がやってきて、嶽廟に参拝に行った林冲の妻がちんぴらと口論になっていると知らせた。林冲は急いで、妻の元にかけつけ、ちんぴらに手を下そうとしたところで思い留まった。男は上官である高俅の養子の高衙内だったのである。高衙内は林冲の妻のことがあきらめきれずにその後も側近の富安や林冲の同僚の陸謙を使って、林冲の妻をものにしようとするが失敗する。陸謙と富安は、高俅の力を借り、ある策略をたてる。

 ある時、林冲は街で売られていた宝刀に目をつけ、これを買った。翌日、高俅から呼び出しがあり、買った宝刀を見たいと遣いが来る。林冲は遣いについて役所の奥の間に通される。気がつくと、そこは帯刀が禁じられている白虎節堂であった。 

あらすじ 第八回

2010-10-23 | あらすじ 第一回~第十一回
 ■第八回 林教頭 滄州道に刺配せられ  魯智深 大いに野豬林を閙がす

 帯刀のまま白虎節堂に進入してしまった林冲は、高俅に自分を殺しに来たのだろうと激しく咎められ、東京の役所・開封府に送られて裁きを受けることとなった。孔目(裁判官)の孫定は、林冲が高俅に陥れられたことを見抜き、府尹に進言して死刑は免れ、誤って進入した罪で、棒打ち二十仗と滄州の牢城へ流罪とすることにした。

 いつ戻ってこれるか分からない林冲は、妻に離縁状を書き、誰か良い人の所に嫁ぐように言ったが、妻は悲しみのあまり気を失ってしまった。林冲は枷をはめられ護送役人の董超と薛覇に連れられて滄州への旅に出た。

 道中、董超と薛覇は、煮え湯で足を洗わせたり編みたての固い草鞋を履かせたりと林冲に厳しく当たった。二人は、滄州への道中で、林冲を始末するよう高俅の手先・陸謙に金で買収されていたのだった。旅の途中、一行は野豬林という林の中で休憩を取った。ここで董超と薛覇は、とうとう林冲を殺そうと水火棍を振り上げた。