水滸聚義

中国古典『水滸伝』の紹介や考察を行っています

好漢紹介 索超

2010-09-12 | 好漢紹介 天罡星3
  てんくうせい きゅうせんぽう さくちょう
 天空星 急先鋒 索超


 北京大名府の正牌軍。身の丈は七尺を越え、顔は丸く、耳大きく、唇厚く、口は角ばり、長いひげを生やし威風凛凛。国家の大事にはいきり立って飛び出していく性格で、急先鋒と綽名される。金蘸斧の使い手。

 罪を犯して北京へ流罪となった楊志を気に入った北京留守司・梁中書は、楊志に取り立てる機会を与えるために北京の軍官との御前試合を催す。弟子である副牌軍の周謹が楊志に敗れた後、索超は自ら楊志との試合に臨む。索超と楊志の戦いは凄まじく、両者は五十余合も渡り合ったが、決着がつかず兵馬都監の李成・聞達らをも感嘆させた。いずれかを失うことをおそれた梁中書は、試合を制止し二人を管軍提轄使に取り立てる。索超は楊志の手並みに敬服するが、しばらく後、楊志は任務を失敗して落草してしまう。

 物語の舞台は北京を離れ、しばらく索超も登場しなくなるが、盧俊義の物語で再び舞台が北京へ戻ってくる。梁山泊軍は、北京の牢に捕らわれた盧俊義と石秀を救うべく、北京へ向けて押し寄せる。索超は、兵馬都監・李成の指揮の下、北京城外に布陣し梁山泊軍を迎え撃つが、四方を囲まれ李成とともに血路を開いて退却した。続いて、兵馬都監の聞達とともに出陣、先陣を切って梁山泊軍の先鋒・秦明と渡り合う。しかし二十余合戦ったところで、韓滔に矢を射られ、左腕を負傷し、逃げ帰り療養することになる。東京からの関勝の援軍の策によって梁山泊軍は北京の囲みを説き梁山泊へと兵を退いた。

 その関勝の援軍も梁山泊軍に敗れ投降。梁山泊軍は再び北京へと押し寄せる。すっかり傷の癒えていた索超は、李成とともに飛び出していって寝返った関勝らを相手取って戦うが、城に押し返される。翌日、索超は打って出て梁山泊軍をひとしきり破るが、これは呉用の策略だった。勢いづいた索超は、翌日、雪の激しく降る中、梁山泊軍へ奇襲をかけるが、梁山泊軍の仕掛けた落とし穴に誘い込まれ、捕らえられた。索超は、すでに梁山泊の一員になっていた楊志の勧めもあり、宋江に説かれて梁山泊軍へ投降。梁山泊軍の総攻撃を受けた北京城は陥落した。

 入山後は、盧俊義の麾下で東昌府攻めに参戦。敵将、龔旺と丁得孫を振り切り、敵の大将・張清へ突撃をかけるが、石つぶてを額に当てられ、鮮血をほとばしらせて、陣へと逃げ戻った。

 梁山泊での席次は第十九位。騎兵軍八彪騎兼斥候のひとり。

好漢紹介 劉唐

2010-09-12 | 好漢紹介 天罡星3
  てんいせい せきはつき りゅうとう
 天異星 赤髪鬼 劉唐


 浪人。東潞州の出身。鬢のところに赤あざがあり、そこから茶色い毛が生えているので、あだ名は赤髪鬼。赤黒い大きな顔で、体は黒く大きい。朴刀を操る。

 ある時、鄆城県東渓村への旅の途中、酔って村の霊官殿で裸で眠っていたところを都頭の雷横に捕らえられてしまう。雷横はそのまま村の保正の晁蓋の屋敷を訪れ食事を振る舞われる。この時、晁蓋は密かに捕らわれの劉唐の元へやってくる。劉唐は晁蓋に会いに来た旨を伝えると、晁蓋は劉唐は自分の甥であると偽って雷横に告げ、劉唐は釈放された。劉唐は、雷横に捕らえられたことを恨みに思い、帰って行く雷横を追いかけて戦いを挑む。劉唐と雷横は互いに朴刀を用いて互角に渡り合うが、割って入ってきた私塾教師の呉用に仲裁され、かけつけてきた晁蓋に取りなされて別れた。

 さて劉唐は不義の財である生辰綱(北京の梁中書から東京の太師蔡京へ送られる十万貫の誕生日の贈り物)を強奪することを企てて晁蓋の元を訪れたのだという。晁蓋は、呉用と図り決行の仲間を集めることにする。こうして、晁蓋のもとに劉唐の他、呉用、公孫勝、そして阮氏三兄弟の七人が集まり、義を結び七星の誓いを立て、計略を持って見事輸送中の生辰綱を奪い取ることに成功する。

 その後、生辰綱強奪に協力した白勝が済州の役所に捕らわれ自白したことから晁蓋らの身元が割れてしまう。晁蓋・劉唐らは、鄆城県の押司・宋江の手引きによって梁山泊へ逃れる。梁山泊では首領の王倫が晁蓋らを快く思わず体よく追い返そうとする。しかし、梁山泊の好漢・林冲が王倫の狭量に業を煮やし、自ら王倫を討って晁蓋を新たな梁山泊の首領に迎え入れた。こうして劉唐は新たな体制の梁山泊の一員となる。

 済州から梁山泊に団練使の黄安率いる討伐軍が押し寄せると、梁山泊軍は水戦でこれを迎え撃ち、劉唐は黄安を生け捕りにする功を立てた。その後、劉唐は晁蓋・呉用の使いとして、密かに恩人の鄆城県の宋江の元を訪れる。金子百両と晁蓋からの手紙を宋江に渡そうとするが、宋江は手紙と金子一両のみを受け取って劉唐を返した。

 のち宋江が江州にて囚われの身となると、晁蓋らと共に江州へ乗り込んでいって、処刑間際の宋江を救い出した。この後、無為軍戦、対呼延灼戦、曽頭市戦、北京戦、東平府戦、東昌府戦に参戦。対呼延灼戦では、杜遷と共に歩兵の一隊を率い、敗走する敵将・韓滔を生け捕った。曽頭市戦では、白勝と共に負傷した晁蓋を馬に乗せて血路を切り開いた。北京戦では、楊雄と共に護送役人に変装して北京城内に潜入し、合図と共に暴れ回り王太守の家族を皆殺しにした。東昌府戦では、朴刀で敵将・張清の馬を斬りつけるが、石つぶてを受けて倒れ、生け捕りにされてしまい、東昌府陥落後に救い出された。

 梁山泊での席次は第二十一位、歩兵軍の頭領十員のひとり。

好漢紹介 史進

2010-09-12 | 好漢紹介 天罡星3
  てんびせい くもんりゅう ししん
 天微星 九紋竜 史進


 華州華陰県史家村の豪農の息子。体中に九つの竜の刺青があり、綽名は九紋竜。登場時の年齢は十八、九歳。家の農事には全く興味を示さず、もっぱら武芸の鍛錬に勤しんでいた。

 史進は武芸の腕には自信を持っていたが、宿を貸した旅人の王進に未熟さを指摘され、打ち負かされる。王進は、逃亡中の東京の八十万禁軍の武芸師範だったのである。史進は王進を引き留めて教えを請い、武芸十八般を身につける。王進が去り、また程なく父の史大公が没すると、史進は家業を継いだ。

 ある時、史進は近隣の少華山の山賊、朱武・陳達・楊春を懲らしめる。しかし彼らが義侠心の持ち主であることを知った史進は彼らと誼を結ぶ。このことが役所にばれ、史進と朱武らの宴席の最中、屋敷は捕り手の役人たちに包囲される。史進は、なおも朱武らとの仁義を重んじ、屋敷を焼き払い、討って出て捕り手役人を斬って逃亡、師の王進を探す旅に出る。

 旅先の渭州で好漢・魯達と出会い、意気投合して義兄弟の契りを結ぶ。のち旅先で出家した魯達(魯智深)に再会、力を合わせて瓦罐寺の賊を成敗した。魯智深と別れ旅を続けるが、ついに王進に巡り会うことはかなわず、華陰県に戻り、少華山の朱武らを頼っていく。

 しばらく物語から姿を消すが少華山の首領として再登場。良民を苦しめる華州の太守、賀太守を討つために単身突出するが、逆に捕らえられて華州城に投獄される。史進らを仲間に迎えようとしていた梁山泊軍が賀太守を討ち、史進は救い出され少華山の配下とともに梁山泊へ仲間入りする。

 梁山泊へ入山後は、手柄を立てようと芒碭山討伐戦の先鋒を買って出るが、敵の妖術に苦しみ敗走。また、東平府攻めでは、昔なじみの娼妓、李瑞蘭を頼って城内に潜入するが、通報されて捕らえられ、拷問を受けて投獄されるなど精彩を欠いた。

 梁山泊での席次は第二十三位。騎兵軍八虎将兼先鋒使のひとり。

好漢紹介 雷横

2010-09-12 | 好漢紹介 天罡星3
  てんたいせい そうしこ らいおう
 天退星 挿翅虎 雷横


 鄆城県の都頭。脚力が強く、二、三丈の川も飛び越えてしまうので、あだ名は挿翅虎。身の丈は七尺五寸。赤銅色の顔に、左右に跳ね上がったひげ。義侠心は強いが意固地なところもある。朴刀の使い手。元は鍛冶屋。老母と暮らしている。朱仝とは同僚で、また同じ役所に使える宋江や東渓村の保正・晁蓋とも知り合い。

 ある時、知県の時文彬に命じられて、土兵を引きつれて城外の巡回を行う。途中立ち寄った東渓村の霊官殿で酔っぱらって裸で寝ている男を発見し縛り上げ、東渓村保正の晁蓋の屋敷に連行していく。捕らえられた男・劉唐は、晁蓋に助けを求め、晁蓋の甥のふりをして釈放される。晁蓋は雷横に銀子を渡して送り出すが、無実の罪で捕らえられた劉唐は我慢ができず、雷横を追いかけていく。雷横と劉唐は朴刀をとって渡り合うが、村の書生の呉用が割って入り、追いついてきた晁蓋に仲裁された。
 
 その後、晁蓋・呉用・劉唐ら七人が東京の太師・蔡京への生辰綱(誕生日の贈り物)強奪の事件を起こすと、雷横と朱仝は晁蓋の捕獲を命じられる。二人は晁蓋の屋敷に向かうが、親交のある晁蓋を逃がすために互いに牽制しあい、なかなか晁蓋を捕らえようとしない。結局屋敷の裏口に朱仝がまわり、わざと晁蓋一行等を逃がした。また、鄆城県押司の宋江が殺人を犯したときも、朱仝とともに宋江の実家に捜索に行くが、親しい宋江をかばっていい加減な捜査ですませ、宋江を逃がす手助けをした。

 しばらく後、雷横は東京からの旅芸人白玉喬・白秀英父娘の芝居小屋に足を運ぶが、この日、一文も持ち合わせが無く、金を支払うことができなかった。雷横は父娘からしつこく罵られ、堪えかねて白玉喬を殴って重傷を負わせてしまった。白秀英が、東京にいた頃関係を持っていた新任の鄆城知県に訴え出て、雷横は捉えられ首かせをはめられて、白秀英の芝居小屋の前にさらしものにされた。

 これを見た雷横の老母が白秀英と口論となり、白秀英は雷横の母を平手打ちにした。親思いの雷横は堪えかねて枷を白秀英の頭に振り下ろすと、白秀英は頭が砕けて死んでしまい、雷横は投獄される。雷横は死刑の判決を受けるべく東平府へ護送されることになるが、護送の任務を務めていた同僚の朱仝のはからいで逃がされる。すぐに家に戻って母親を連れた雷横は梁山泊に身を投じた。入山後、罪をかぶって滄州に配流となった朱仝を仲間に迎えるために呉用・李逵と共に滄州に赴いた。

 入山後は歩兵軍の頭領をつとめる。高唐州戦、対呼延灼戦、北京戦、曽頭市戦、東昌府戦に参戦。高唐州の戦いでは、公孫勝に妖術を破られ空から落ちてきた高廉を、飛び出していって真っ二つに斬った。呼延灼率いる官軍との戦いでは、官軍の攻撃の前に矢傷を負う。湯隆が呼延灼の連還馬を破るこう鏈鎗の献策をした際、家が元鍛冶屋であった雷横は、鈎鏈鎗の製造の指揮を執った。東昌府の戦いでは、朱仝とともに敵将張清を挟み撃ちにするが、額に張清の石つぶてを食らい退却した。

 梁山泊での席次は第二十七位。歩兵軍の頭領十員のひとり。