水滸聚義

中国古典『水滸伝』の紹介や考察を行っています

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人物紹介 壺関の人物

2010-10-05 | 人物紹介 征田虎編
さんしき
山士奇


 田虎の将。兵馬都監を務め、田虎の命で壺関を守備する。もと沁州の富豪の家の息子だったが、人殺しをして田虎の賊軍に身を寄せた。体力にすぐれ、四十斤の渾鉄の棒の使い手。

 宋軍が壷関に押し寄せると竺敬・史定・仲良らを率いてこれを迎え撃つ。山士奇は、宋軍の林冲と五十合あまり渡りあったが決着がつかず林冲を感嘆させたが、味方の竺敬が敗れたので、関に引き返した。翌日は堅く関を閉ざし、宋軍が疲れたところを見計らって、伍粛・史定・呉成・仲良を率いて討って出るが、伍粛・呉成を立てつづけに討たれ、山士奇も敗れて関へ逃げ帰った。

 形勢が不利になった山士奇は抱犢山の唐斌に援軍を求める。唐斌が壺関に到着すると伏兵と共に宋軍を挟み撃ちにする策をたて討って出るが、唐斌は実はすでに宋軍に降っており、壺関を奪われてしまう。山士奇は血路を開いて西へと逃げていった(94回)。

 その後、敗残兵を引きつれ浮山県の兵を合わせて、蓋州へ襲いかかるが、城を守備していた花栄の伏兵に遭い、生け捕られる。兵たちはちりぢりになり、山士奇は宋軍へ投降した(99回)。

◆ ◆ ◆


 山士奇はそのまま宋軍に身を置き、宋江のもとで王慶討伐に従軍する。宛州の戦いでは他の河北の降将たちと共に先鋒となって活躍した(105回)。その後、西京を攻める盧俊義の隊に配属される(106回)。西京・竜門関の戦いで、敵の偏将・衛鶴と渡り合うこと三十合、相手の馬を突き刺して衛鶴が落馬したところを槍でとどめを刺した。続いて討って出てきた敵将・鄷泰と渡りあうが、十合あまりで大喝一声、敵の鉄簡を喰らって討ち取られた(108回)。
 

じくけい
竺敬


 田虎の将。壺関の山士奇麾下の将。

 宋軍が壷関に押し寄せると山士奇・史定・仲良らと共にこれを迎え撃つ。竺敬は宋軍の張清を相手取って優位に戦うが、石つぶてを顔に受けて落馬。間一髪で、史定と仲良に救い出されて陣へ引き返した。

 抱犢山の唐斌と合流した山士奇が宋軍を討とうと三度討って出た際、竺敬は仲良と関に残って守りを固めた。しかし、唐斌の裏切りに合い、竺敬はあっという間に刺し殺された(94回)。
 

してい
史定


 田虎の将。壺関の山士奇麾下の将。

 宋軍が壷関に押し寄せると山士奇・竺敬・仲良らと共にこれを迎え撃つ。竺敬が宋軍の張清のつぶてを受け落馬したところを、仲良と共に救いに出て、陣へと引き返した。

 翌日、再び山士奇・伍粛・呉成・仲良と共に討って出る。史定は呉成と共に索超に襲いかかるが敵しかね、負けた振りをして陣へ逃げ帰った。

 抱犢山の唐斌と合流した山士奇が宋軍を討とうと三度討って出た際、史定も討って出るが、唐斌の裏切にあい壷関は破られ、史定は徐寧に刺し殺された(94回)。
 

ちゅうりょう
仲良


 田虎の将。壺関の山士奇麾下の将。

 宋軍が壷関に押し寄せると山士奇・史定・竺敬らと共にこれを迎え撃つ。竺敬が宋軍の張清のつぶてを受け落馬したところを、史定と共に救いに出て、陣へと引き返した。

 翌日、再び山士奇・伍粛・呉成・史定と共に討って出るが、伍粛・呉成を立てつづけに討たれ、史定・山士奇も撃ち破られる。仲良は慌てて壷関に引き返すが、林冲らに襲いかかられ大敗を喫した。

 抱犢山の唐斌と合流した山士奇が宋軍を討とうと三度討って出た際、仲良は竺敬と関に残って守りを固めた。しかし、唐斌の裏切りに合い、壺関は破られ、仲良は乱戦の中殺された(94回)。
 

ごしゅく
伍粛


 田虎の将。壷関の山士奇麾下の将。

 宋軍が壷関に押し寄せると二日目に山士奇・史定・呉成・仲良と共に討って出る。伍粛は林冲を相手取って戦うが、大喝一声、矛で斬り捨てられた(94回)。
 

ごせい
呉成


 田虎の将。壷関の山士奇麾下の将。

 宋軍が壷関に押し寄せると二日目に山士奇・伍粛・史定・仲良と共に討って出る。呉成は史定とと共に索超に襲いかかるが、敵しかねる。史定が負けた振りをして陣へ逃げ帰ったので、自分も逃げようとしたが索超の斧につかまり真っ二つに斬られた(94回)。
 

りくき/うんそうぶ
陸輝/雲宗武


 田虎の将。壷関の山士奇麾下の将。

 陸輝は、抱犢山の唐斌と合流した山士奇が宋軍を討とうと三度討って出た際、唐斌と共にあとに続いたが、この後、陸輝についての描写はない。雲宗武も最初に名前が挙げられるだけで、他は全く描写がない(94回)。