①大阪市立鴫野小学校 城東区鴫野西4丁目
②大阪市立放出小学校 城東区放出西2丁目
③大阪市立晴明丘小学校 阿倍野区晴明通
④大阪市立遠里小野小学校 住吉区遠里小野6丁目
⑤大阪市立依羅小学校 住吉区我孫子4丁目
⑥大阪市立天下茶屋小学校 西成区聖天下(しょうてんした)1丁目
⑦大阪市立新高小学校 淀川区新高1丁目
⑧大阪市立神津小学校 淀川区十三元今里2丁目
⑨大阪市立十三小学校 淀川区十三東4丁目
⑩大阪市立茨田小学校 鶴見区安田2丁目
読みなど
① しぎの 昭和8年開校。寝屋川と第二寝屋川の合流点に位置し,かつては低湿地でシギが群生したことに因むともいう。鴫は会意文字(田+鳥)で,田や沢に来る鳥の意。戦国時代からこの一帯を志宜荘(志宜野とも)という荘園名で呼ばれたという。
② はなてん 昭和50年4月開校。この地に河内湾の名残りである湖沼の放出口があったことに由来する説や,樋をつくり,水を放出した説などがある。
③ せいめいがおか 昭和13年7月,現校名に改名。晴明は安倍晴明(あべのせいめい,921~1005)を祀る安倍晴明神社に由来するという。
④ おりおの 昭和16年,現校名に改名。当地は「すみの江の遠里小野(とおさおの)の真萩もて…」(『万葉集』)など,歌に詠まれたところで,遠里小野は歌枕であったとする説や『太平記』の「住吉合戦」の項に「瓜生野の北より押寄たり」とあり,瓜生野(うりうの)から転訛した説,瓜の産地(瓜生野)の転訛説などがある。校名も読みも4文字。
⑤ よさみ 明治19年,現校名に改名。明治22年4月,桜井・我孫子など9村が合併し依羅村成立(~大正14)。村名は旧桜井村にある大依羅(おおよさみ)神社に因む。*依は依田(よだ)の「依」,羅は「あみ」の変化か。
⑥ てんがちゃや 大正14年,現校名に改名。岸里東二丁目にある天下茶屋跡に因む。秀吉が住吉大社参拝や堺への往来の際,当地の茶店で,休憩したことから,太閤殿下茶屋と呼ばれるようになり,これが転訛した。
⑦ にいたか 昭和17年開校。当地域が周囲に比べて高度があったからとも,「高」は米の石高をあらわし,新しく開墾された土地の意ともいわれている。また,新高町の町名が新設された大正14年当時,新高山(台湾)が日本領内では一番高い山として知られるようになっていたこととも関連があるのではないかともいう。
⑧ かみつ 明治22年4月,今里・三津屋など8村が合併し神津村成立。村名は,神崎川と中津川(現在は埋め立てられている)に挟まれた旧村が合併したことから,両河川名から1字ずつとり命名されたという。なお,同字の兵庫県伊丹市立神津小は「かみつ」,東京都神津島村立神津小は「こうづ」と読む。
⑨ じゅうそう 大正15年,現校名に改称。十三の名称は旧摂津国西成郡の南端を一条とし,北へ順次数えて十三条の場所にあったという条里制に基づく説や,この地にあった淀川の渡し場が摂津国では上流から数えて13番目に当たるからとする説など諸説がある。
⑩ まった 平成10年4月開校。昭和14年6月,北河内郡古宮村と諸堤村が合併し茨田村成立(~昭和30)。村名は,当地が古代に茨田郡に含まれていたことによる。茨の字は古来「イバラ」「ウバラ」「ウマラ」と読んだが,このうち,「ウマラ」の「ウ」を省略し,「ウマ」が転訛して「マッ」になったという。
②大阪市立放出小学校 城東区放出西2丁目
③大阪市立晴明丘小学校 阿倍野区晴明通
④大阪市立遠里小野小学校 住吉区遠里小野6丁目
⑤大阪市立依羅小学校 住吉区我孫子4丁目
⑥大阪市立天下茶屋小学校 西成区聖天下(しょうてんした)1丁目
⑦大阪市立新高小学校 淀川区新高1丁目
⑧大阪市立神津小学校 淀川区十三元今里2丁目
⑨大阪市立十三小学校 淀川区十三東4丁目
⑩大阪市立茨田小学校 鶴見区安田2丁目
読みなど
① しぎの 昭和8年開校。寝屋川と第二寝屋川の合流点に位置し,かつては低湿地でシギが群生したことに因むともいう。鴫は会意文字(田+鳥)で,田や沢に来る鳥の意。戦国時代からこの一帯を志宜荘(志宜野とも)という荘園名で呼ばれたという。
② はなてん 昭和50年4月開校。この地に河内湾の名残りである湖沼の放出口があったことに由来する説や,樋をつくり,水を放出した説などがある。
③ せいめいがおか 昭和13年7月,現校名に改名。晴明は安倍晴明(あべのせいめい,921~1005)を祀る安倍晴明神社に由来するという。
④ おりおの 昭和16年,現校名に改名。当地は「すみの江の遠里小野(とおさおの)の真萩もて…」(『万葉集』)など,歌に詠まれたところで,遠里小野は歌枕であったとする説や『太平記』の「住吉合戦」の項に「瓜生野の北より押寄たり」とあり,瓜生野(うりうの)から転訛した説,瓜の産地(瓜生野)の転訛説などがある。校名も読みも4文字。
⑤ よさみ 明治19年,現校名に改名。明治22年4月,桜井・我孫子など9村が合併し依羅村成立(~大正14)。村名は旧桜井村にある大依羅(おおよさみ)神社に因む。*依は依田(よだ)の「依」,羅は「あみ」の変化か。
⑥ てんがちゃや 大正14年,現校名に改名。岸里東二丁目にある天下茶屋跡に因む。秀吉が住吉大社参拝や堺への往来の際,当地の茶店で,休憩したことから,太閤殿下茶屋と呼ばれるようになり,これが転訛した。
⑦ にいたか 昭和17年開校。当地域が周囲に比べて高度があったからとも,「高」は米の石高をあらわし,新しく開墾された土地の意ともいわれている。また,新高町の町名が新設された大正14年当時,新高山(台湾)が日本領内では一番高い山として知られるようになっていたこととも関連があるのではないかともいう。
⑧ かみつ 明治22年4月,今里・三津屋など8村が合併し神津村成立。村名は,神崎川と中津川(現在は埋め立てられている)に挟まれた旧村が合併したことから,両河川名から1字ずつとり命名されたという。なお,同字の兵庫県伊丹市立神津小は「かみつ」,東京都神津島村立神津小は「こうづ」と読む。
⑨ じゅうそう 大正15年,現校名に改称。十三の名称は旧摂津国西成郡の南端を一条とし,北へ順次数えて十三条の場所にあったという条里制に基づく説や,この地にあった淀川の渡し場が摂津国では上流から数えて13番目に当たるからとする説など諸説がある。
⑩ まった 平成10年4月開校。昭和14年6月,北河内郡古宮村と諸堤村が合併し茨田村成立(~昭和30)。村名は,当地が古代に茨田郡に含まれていたことによる。茨の字は古来「イバラ」「ウバラ」「ウマラ」と読んだが,このうち,「ウマラ」の「ウ」を省略し,「ウマ」が転訛して「マッ」になったという。
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