地名アラカルト

各地の難読地名や珍しい地名についての由来やエピソードなどについて調べてみたいと思います。

埼玉県の難読小学校名 幾つ読めますか ②

2018年06月04日 14時44分22秒 | Weblog
①さいたま市立文蔵小学校  さいたま市南区文蔵5丁目
②さいたま市立道祖土小学校 さいたま市緑区道祖土1丁目   
③さいたま市立川通小学校  さいたま市岩槻区大字大野島
④さいたま市立新和小学校  さいたま市岩槻区大字尾ヶ崎
⑤川越市立名細小学校  川越市小堤(こづつみ) 
⑥川越市立上戸小学校  川越市上戸
⑦川越市立新宿小学校   川越市新宿町6丁目
⑧熊谷市立久下小学校   熊谷市久下
⑨熊谷市立大麻生小学校  熊谷市大麻生
⑩川口市立差間小学校   川口市差間

 読みなど

① ぶぞう 昭和47年4月開校。文蔵はこの地を開発した二階堂氏の祖先の実名かともいわれる。「文」を「ぶ」と読む地名は他にないようようである。
② さいど 昭和50年4月開校。道祖土の名義は塞(さい)の神だといわれている。塞の神は旅の途中の悪魔を防ぎ,旅人を守る神として道路の辻や峠道などにまつられている。道祖土を「さいど」と読む地名は他にないようであるが,栃木県真岡市道祖土は「さやど」と読む。なお,大阪府茨木市道祖本(さいのもと),佐賀市道祖元町(さやのもとまち),長崎県雲仙市瑞穂町古部道祖崎(こべさやさき)など,道祖を「さい」や「さや」と読む地名がある。
③ かわどおり 明治19年前身校開校。校名は旧川通村名(1889~1954)から。川通村は明治22年大口,南平野,大戸,大森など9村の合併村で,村名は関係諸村の多くが元荒川の沿岸に位置していたことによる。
④ にいわ 平成29年開校125年目を迎えたという。校名は明治22年野島方村・尾ケ崎新田など6村2新田が合併してできた新和村(~昭和29)から。村名は「和」を新村の発展の基本としたことに基づくものとみられるという。
⑤ なぐわし 明治26年前身校開校。校名は明治22年小堤村・鯨井村などが合併してできた名細村(1889~1955)にちなむ。村名はこの地域が『伊勢物語』の故事三芳野の里に擬せられていることにちなみ,三芳野の枕言葉名細をとったという。*細には「くわしい」の意あり。
⑥ うわど 昭和51年4月開校。上戸の由来は入間川沿岸の低地からみて上の所にあることによるともいう。なお,福井県丹生郡越前町上戸も「うわど」と読むが,「うわど」と読む地名は他にないようである。
⑦ あらじゅく 昭和57年4月開校。「新宿」の読みには異読が多く,千葉市立新宿小は「しんじゅく」,東京都大田区立新宿小は「しんしゅく」,葛飾区立新宿小は「にいじゅく」などがある。
⑧ くげ 明治22年開校。平成20年開校120周年。久下は郡家(ぐうけ)の訛りともクキ(崖)の訛りともいわれている。
⑨ おおあそう 明治14年前身校創立。平成23年創立130周年。「アソ」には水の浅い所,湿地の意があり,荒川低湿地から生じた地名ともいわれる。「アソ」に「麻生」の字を当てたのであろう。
⑩ さしま 昭和52年4月開校。差間のマにはアイヌ語で湖沼またはわずかな水面の意があり,荒川の支流芝川の低湿地と関係があるかもしれない。

埼玉県の難読小学校名 幾つ読めますか ①

2018年06月04日 12時18分34秒 | Weblog
①さいたま市立指扇小学校  さいたま市西区指扇
②さいたま市立馬宮西小学校  さいたま市西区飯田新田
③さいたま市立大砂土小学校  さいたま市北区本郷町 超難読
④さいたま市立上小小学校   さいたま市大宮区上小町
⑤さいたま市立七里小学校   さいたま市見沼区東宮下
⑥さいたま市立栄和小学校   さいたま市桜区栄和1丁目
⑦さいたま市立土合小学校   さいたま市桜区西堀7丁目
⑧さいたま市立新開小学校  さいたま市桜区新開2丁目
⑨さいたま市立神田小学校  さいたま市桜区神田   
⑩さいたま市立本太小学校 さいたま市浦和区本太2丁目

読みなど

① さしおうぎ 明治6年前身校開校。指扇村名(明治22~昭和30)から。当地の中央部や北部には樹枝に入り込んだ谷があり,西側には古荒川の流路があったとみられ,比高5mの急崖となっているという。「サシ」は日向地や傾斜地,「オギ」は崖・湿地の意があり,地形から付けられた地名という(『角川・埼玉』)。JR川越線指扇駅。
② まみやにし 明治8年 3月前身校開校。明治22年西遊馬村・土屋村・二ッ宮村・飯田新田・植田谷本村新田の一部が合併して成立した馬宮村名(~昭和30)から。村名は西遊馬の「馬」と二ツ宮の「宮」の合成地名。
③ おおさと  明治6年5月前身校開校。明治22年大和田・砂・今羽・西本郷・堀崎・島・土呂の7村が合併して成立した大砂土村(~昭和15)から。村名は大和田の「大」,砂村の「砂」,土呂村の「土」の3字の合成による。明治26年大砂土小と改称。
④ かみこ 昭和50年4月開校。
⑤ ななさと 明治5年前身校開校。七里は,大正2年膝子(ひざこ)・東宮下(ひがしのみやした)・大谷(おおや)・新堤(につつみ)・猿ケ谷戸(さるがやと)・風渡野(ふっとの)・東門前(ひがしもんぜん)の7村が合併して成立した七里村(~昭和30)による。七里の地名は消滅したが,小中学校,郵便局,駅(東武野田線)などにその名を残す。
⑥ さかわ 昭和48年4月開校。地名の栄和の由来は,明治10年西蓮寺・千駄の2村が合併した際,嘉名の村名が付けられたことによるという。
⑦ つちあい 明治25年開校。土合は明治22年南本宿・田島・鹿手袋・西堀・関・与野領町谷・新開・栄和・道場・中島・山窪の十一村(土とみなした)が合併してできた土合村名から。土合を「どあい」と読む地名は多数あるが,「つちあい」と読む地名は他にないようである。
⑧ しびらき 昭和52年4月開校。地名の新開は新しく開墾した地の意という。新開を「しんかい」「しんびらき」「しんばり」と読む地名はあるが,「しびらき」と読む地名は他にはないようである。
⑨ じんで 昭和53年4月開校。地名の神田について『新篇武蔵風土記稿』は「往古伊勢大神宮の神領なりしゆへ,ただちに村名となすといへり」と記しているが,ジンデには湿地の意があるとの説もあるという。
⑩ もとぶと 昭和8年4月前身校開校。18年本太と改称。本太という地名は他にはないようである。