地名アラカルト

各地の難読地名や珍しい地名についての由来やエピソードなどについて調べてみたいと思います。

千葉県の難読小学校名  幾つ読めますか ①

2018年06月10日 11時10分39秒 | Weblog
①千葉市立生浜小学校  千葉市中央区浜野町    
②千葉市立仁戸名小学校   千葉市中央区仁戸名町   
③千葉市立蘇我小学校 千葉市中央区今井3丁目    
④千葉市立星久喜小学校 千葉市中央区星久喜町
⑤千葉市立登戸小学校  千葉市中央区登戸2丁目
⑥千葉市立寒川小学校 千葉市中央区寒川町1丁目
⑦千葉市立犢橋小学校  千葉市花見川区犢橋町     
⑧千葉市立検見川小学校  千葉市花見川区検見川町3丁目
⑨千葉市立瑞穂小学校(みずほ) 千葉市花見川区瑞穂1丁目
⑩千葉市立都賀小学校  千葉市稲毛区作草部町
 

読みなど

① おいはま 明治6年前身校開校。旧千葉郡生実浜野村(おゆみはまの,明治22~大正14)が改称してできた生浜村名(大正14~昭和3町制~30)から。地名は消滅したが,小・中・高名にその名を残す。生実町と浜野町が誕生。「生」の付く校名。
② にとな 昭和47年4月開校。江戸期からみえる地名。地名の由来は,谷の湿地(にと・にた)によるものかという(『角川・千葉』)。校名も読みも3字。
③ そが 明治6年前身校開校。旧蘇我野町名(明治23~昭和12)から。幾つか説があるが,その一つに,海中に身を投じた弟橘媛が,この海岸に打ち上げられて,まもなく蘇生し,妃が「我に蘇えり」と申されたことに由来するという。校名も読みも2字。
④ ほしくき 昭和42年4月開校。星久喜町名(昭和26)から。江戸期からみえる地名。妙見堂(現栄福寺)へ往復する人々を喜び祝し,のちに星(妙見の北斗七星)を久しく喜ぶという意で地名になったという(『角川・千葉』)。星久山千手院と関係があるのかもしれない。
⑤ のぶと 登戸は江戸期から明治27年(1894)まで港町として繁盛。南北朝初期の人・千葉新介の歌「筑波根の 峰の嵐を ふきおろす ふじの浪間を 乃ぼり戸の船」に因むという。明治6年前身校開校。明治20年登戸尋常小学校と改称。葛飾北斎「富嶽三十六景ー登戸浦」は当地から描いた富士山。なお,JR南武線と小田急電鉄の登戸駅(川崎市)は「のぼりと」読む。
⑥ さむがわ 明治6年開校。江戸期からみえる地名。「さむかわ」ではない。神奈川高座郡寒川町は「さむかわまち」。
⑦ こてはし 明治6年開校。かつて江戸幕府の放牧場であった小金ヶ原の一部。旧犢橋村の開村は今から約400年前の慶長年代ではないかといわれている。地名の起源については明らかでないが,犢(トク)は子牛のことを意味していることから,子牛の飼育や売買などと関係があるのでないかとも考えられる。畜産用語に「乳用牡犢(ぼとく)肥育」(牡犢は雄の子牛のこと)ということばがある。漢字が難しいため,近年,旧犢橋村管内にできた町名は,「こてはし台」(昭和46年)となっている。犢橋小学校,犢橋郵便局は犢橋町にあるが,犢橋中学校は三角(さんかく)町に,犢橋高校は千種(ちぐさ)町,犢橋貝塚(国史跡)はさつきが丘に所在。いずれも旧犢橋村管内。
⑧ けみがわ 明治6年前身校開校。明治20年4月 検見川尋常小学校に改称。源頼朝が兵を検せしことに由来するという。また当地を流れる花見川が華見川(けみがわ),検見川と変化したともいわれる。
⑨ みずほ 平成10年4月開校。
⑩ つが 明治6年前身校開校。明治22年,萩台・作草部などの10村が成立した都賀村名(~昭和12)から。村名は,祝賀の意のほか10か村のトガ(十賀)の意もあるといわれる。
校名も読みも2字。