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京都が好き 写真が大好き by たにんこ

長く写真をやってると 
聞こえないものまで 
聞こえてくるんだな

親父の怒りと ガキの願い

2006年02月23日 23時13分15秒 | Weblog
「日光写真」 と言う物が 大昔しに有った。

おれの家は昔 温泉割烹旅館を営んでいた。
それはそれは小さかったけど 親父が居た頃は 夕飯も食えないほど繁盛していたんだ。
その家の隣は ちびっ子達の集る駄菓子屋だった。
だから わざわざ遠出しなくても 色々買えたわけだ。
そこに例の「日光写真」があった。

どう言う仕組みかと言うと まずネガに相当する物が有る。
それは…そうだなぁ~薄いセロハン紙みたいなものに 様々な…戦車や御相撲さん 野球選手…etc
そう言ったものが 白黒で書かれているんだ。
白い部分が黒くなり 黒い部分が白くなる仕組みだ。
それと 印画紙に相当するものと ネガと印画紙を挟みこむボックス。
言わば 三点セットだ。
それをセットして 太陽に向かって 確か2~3分くらいだったと思う。
感光するんだ。
すると 白黒の写真が出来上がる。
感動物だったぞ。

しかしだ…溜めに溜めた写真が ある日の事 だんだんに黒くなって行き 又暫く経つと真っ黒に…
ガキはガキなりに 悩んじゃった訳だ。
当たり前だ 5円か10円で売っている玩具が 親父が写している写真とは 全然訳が違うんだから。
ある日 日光写真の事を御袋から聞いたんだろうな。
部屋にいきなり入ってきて「見せろ」の 一言。
見せたら「何で黒くなって行くんだ???」と 親父も不思議がった。
親父も考えたんだろう。 
写真を持ってお風呂場に行き ざぶっと写真を温泉に漬けちまったんだ。
でも暫くは持つんだが…やはり結果は同じだった。

ある日の事 お稲荷さんを造ってくれたので 部屋で写真を見ながら食っていたんだ。
ガキだから ねとくちょしている手で写真を持ってるものだから 写真までべとべとしちゃってさ。
しかし 奇跡は起きたんだ。
数日経って 箱から写真を出したら…一部の写真は当然黒くなって来ていて 
明らかに一部の写真は 指の後の所だけ健在なんだ。
そうなんだ!
つまりな お稲荷さんは 油揚げの中に酢飯しを入れるだろう?
その「酢」が原因だったんだ。
定着液って言うのは「酢酸」が入っているだろう?
その「酢酸」なんか ガキだから分かるはずも無い。
密かに台所から「酢」を頂いて来た。

試しに何度もやってみた。
「酢」を薄めれば良い事は 数日経ってから分かった。
おれは何時も悪戯をして 親父に怒られていたから 名誉挽回とばかりに親父を誘って日光写真をやったんだ。
で 自分では「秘密の水」と呼んでた液に浸した。
親父は怪訝そうな顔をしていたけど 後から見せたらつまらない声で「ふぅ~~~ん 
又消えなければ良いけどな」とか言ってる。
おれは4~5日の間 ワザと親父の常駐している帳場に置いといた。
ある日の晩に「おい…写真黒くなってないぞ」と 親父は驚いた声で言ったんだ。
その時におれは 得意満面だったんだろう「あのね 秘密の液に漬けたんだよ。ぼくが考えたんだ」と言ったら…
親父は「明日 お父ちゃんの目の前でやってみろ」と言ったんだ。

親父は 色々な肩書きを持っていたから 大尊敬を今でもしているし それが原因で 中々遊んでくれなかった。
だから ガキなりに 自分の方を向いて欲しかったんだ。
で次の日 早速親父の目の前で日光写真を作り それが当分消えない…と分かると
何と親父の趣味でもある 写真の展覧会に出しちまった おれのをだ。
おれは「佳作」をとったんだ。
今でも覚えてるのは 審査をした偉い人と会長とか言う人に会って 今まで買ってた日光写真のセットより 
はるかに良いセットを頂いたんだ。
当時 確か5歳~6歳の頃だ。
この事があってから 親父はおれに 親父が大切に使っている一眼レフを こんなガキに貸してくれるようになったんだ。

おれは嬉しくて嬉しくて いっぱしの大人になったような気がしたな。
でもな それが又悲しかったんだ。
おれが親父のカメラに夢中になってくる度に 親父との距離はどんどん離れて行くのが分かったんだ。
だから…だから前の悪戯ガキに戻ったんだよ。
親父が頂いて来た置時計を 何個も何個も壊したんだ。
親父に怒られるのが おれにとって唯一のコミュニケーションだったんだ。
でも 今なら分かってくれるだろうな。
飽きっぽい…とか言われた こんな糞ガキが 親父の好きだった写真家になってるんだからな。

オリンピックと長距離散歩

2006年02月23日 03時28分46秒 | Weblog
いやはや 疲れた…

昨日東寺で「弘法市…弘法さん」をやっていた。
毎月21日開催なんだ。
歩いて直ぐの所に西門があるから 散歩には丁度良い。
しかし この日は天気が良かったから 家のおんちゃんを誘って「二条城」まで 行こうとしたんだ。
で 京都駅までテクテク歩いて 駅から地下鉄に乗った。
烏丸御池で東西線に乗り換えて 二条城前で降りたけど 道中悔しかったけどさ
おんちゃんが何度も「二条城」へ行ってるから 後を着いて行くかたちになっちゃった。

地下鉄出口からは もう目の前に外堀があるから分かりやすい。
が…入場料を払おうとしたら 家のおんちゃんは 右の片腕が無いんだ。
だから障害者手帳を持っている。
で 二人分の入場料を払おうとしたら 窓口のおばさんが「障害者手帳は お持ちじゃぁ無いですか?」
って聞くもんだから「あぁ有ります」と言って 奴に出させた。
そしたら 障害者とおれ…つまり介助者は無料なんだよな。
驚いちゃった!
が その直後に気づいた事があったんだ
おれは おんちゃんに「おめぇ~…いっつもここに来ていたんだろう?なぁ?
何で入場無料って気づかなかったんだ?」って聞いたんだ。
そしたら ぶつぶつと「まさか タダだとは思わなかったよな…もっと早く聞けば良かった…」と言ってる。

昔の人は 良い言葉を残したよな。
「聞くのは一時の恥 聞かずは一生の恥」って。
まぁ とにもかくにも「二条城」へ入った。
おれとおんちゃんは まずトイレに行こう と言う事になって 入って右方向の看板の指示通りに行ったんだ。
結構大きな「無料休憩所」があり 直ぐ隣にトイレが有る。
用を足して 休憩所でタバコを吸う為に入ったら 5~6人のおばさん達が先客で雑談していた。
タバコを吸うついでに 缶コーヒーでも飲もうと言う事になり 売店に行ったら…
いやぁ~~~大感激! 何とビンの「コカコーラ」が置いてあったんだよ!
でも おんちゃんが コーヒー牛乳飲みたいと言うから 同じものを頼んだ。
昔風の味で美味かったよ。

いよいよ二の丸御殿の中に入った。
凄かったぞ。
狩野派一門の襖絵は 見ごたえ十分だ。
中でも気に入ったのが「大広間三の間」にある 欄間の見事さ!
説明によれば 厚さ35センチの一枚板を使用して 片方からは「牡丹の彫刻」として見れて 
片方からは「孔雀の彫刻」として見れる。
各部屋の襖絵も どれもこれも素晴らしかったな。
所がさ…廊下を見とれながら歩いていたら 足を踏む事に「きぃ~こ ぴっぴっ…」とか鳴るんだよ。
おれ達の前には 約20名くらいの先客が居るから まあ「きぃ~こ ぴっこぴっこき~~~こ」って 賑やかだった。
おれは でも何で廊下が鳴るんだ? まさか…と思い 入り口の所に有るパンフレットを思い出し 
早速戻って頂いて来て よくよく見たら…大正解!「うぐいす張りの廊下」だった。
「うぐいす張りの廊下」は 目かすがいと釘が触れ合う事により 音が鳴るように出来ている。
つまり 誰かが歩いている事が分かる 仕掛けになっている。
「大広間一の間 二の間」は かの15代将軍・徳川慶喜が 大政奉還を発表した場所だ。
何故かここの所に来た時に 少々長く居たんだよ。
等身大の人形が置いてあって 将軍の話を聞いているシーンが再現されているけど
おれは人形を見ていたら 坂本竜馬や中岡慎太郎・西郷隆盛…などの顔が浮かんできてしまった。

帰り道「又地下鉄に乗ろう」と おんちゃんが言ったけど…。
おれは歩く事にした。
勿論「二条城」から「東寺・西門」までだ。
黙って歩いてたんだ。
と言うより 感慨にふけっていた…のかな。
坂本竜馬の幕末時代 当たり前だけど「電車・車・バス」などの乗り物は 当然無かった。
ちょっとでも分かろうと思い 歩いたわけだ。
家に着いた頃には 足がだるかったよ。
TVをつけたら 相変わらずオリンピックをやっていた。
おんちゃんが「いやぁ~疲れたね!」と言ったんだけど おれは何も答えなかった。
オリンピックの選手の苦労 幕末時代を必死に生き抜いてきた 名も無い志士達。
歩いている途中に それらの事がグルグルと 頭の中で回転していた。
だから 疲れたなどと 余計言えなかったんだな。