「日光写真」 と言う物が 大昔しに有った。
おれの家は昔 温泉割烹旅館を営んでいた。
それはそれは小さかったけど 親父が居た頃は 夕飯も食えないほど繁盛していたんだ。
その家の隣は ちびっ子達の集る駄菓子屋だった。
だから わざわざ遠出しなくても 色々買えたわけだ。
そこに例の「日光写真」があった。
どう言う仕組みかと言うと まずネガに相当する物が有る。
それは…そうだなぁ~薄いセロハン紙みたいなものに 様々な…戦車や御相撲さん 野球選手…etc
そう言ったものが 白黒で書かれているんだ。
白い部分が黒くなり 黒い部分が白くなる仕組みだ。
それと 印画紙に相当するものと ネガと印画紙を挟みこむボックス。
言わば 三点セットだ。
それをセットして 太陽に向かって 確か2~3分くらいだったと思う。
感光するんだ。
すると 白黒の写真が出来上がる。
感動物だったぞ。
しかしだ…溜めに溜めた写真が ある日の事 だんだんに黒くなって行き 又暫く経つと真っ黒に…
ガキはガキなりに 悩んじゃった訳だ。
当たり前だ 5円か10円で売っている玩具が 親父が写している写真とは 全然訳が違うんだから。
ある日 日光写真の事を御袋から聞いたんだろうな。
部屋にいきなり入ってきて「見せろ」の 一言。
見せたら「何で黒くなって行くんだ???」と 親父も不思議がった。
親父も考えたんだろう。
写真を持ってお風呂場に行き ざぶっと写真を温泉に漬けちまったんだ。
でも暫くは持つんだが…やはり結果は同じだった。
ある日の事 お稲荷さんを造ってくれたので 部屋で写真を見ながら食っていたんだ。
ガキだから ねとくちょしている手で写真を持ってるものだから 写真までべとべとしちゃってさ。
しかし 奇跡は起きたんだ。
数日経って 箱から写真を出したら…一部の写真は当然黒くなって来ていて
明らかに一部の写真は 指の後の所だけ健在なんだ。
そうなんだ!
つまりな お稲荷さんは 油揚げの中に酢飯しを入れるだろう?
その「酢」が原因だったんだ。
定着液って言うのは「酢酸」が入っているだろう?
その「酢酸」なんか ガキだから分かるはずも無い。
密かに台所から「酢」を頂いて来た。
試しに何度もやってみた。
「酢」を薄めれば良い事は 数日経ってから分かった。
おれは何時も悪戯をして 親父に怒られていたから 名誉挽回とばかりに親父を誘って日光写真をやったんだ。
で 自分では「秘密の水」と呼んでた液に浸した。
親父は怪訝そうな顔をしていたけど 後から見せたらつまらない声で「ふぅ~~~ん
又消えなければ良いけどな」とか言ってる。
おれは4~5日の間 ワザと親父の常駐している帳場に置いといた。
ある日の晩に「おい…写真黒くなってないぞ」と 親父は驚いた声で言ったんだ。
その時におれは 得意満面だったんだろう「あのね 秘密の液に漬けたんだよ。ぼくが考えたんだ」と言ったら…
親父は「明日 お父ちゃんの目の前でやってみろ」と言ったんだ。
親父は 色々な肩書きを持っていたから 大尊敬を今でもしているし それが原因で 中々遊んでくれなかった。
だから ガキなりに 自分の方を向いて欲しかったんだ。
で次の日 早速親父の目の前で日光写真を作り それが当分消えない…と分かると
何と親父の趣味でもある 写真の展覧会に出しちまった おれのをだ。
おれは「佳作」をとったんだ。
今でも覚えてるのは 審査をした偉い人と会長とか言う人に会って 今まで買ってた日光写真のセットより
はるかに良いセットを頂いたんだ。
当時 確か5歳~6歳の頃だ。
この事があってから 親父はおれに 親父が大切に使っている一眼レフを こんなガキに貸してくれるようになったんだ。
おれは嬉しくて嬉しくて いっぱしの大人になったような気がしたな。
でもな それが又悲しかったんだ。
おれが親父のカメラに夢中になってくる度に 親父との距離はどんどん離れて行くのが分かったんだ。
だから…だから前の悪戯ガキに戻ったんだよ。
親父が頂いて来た置時計を 何個も何個も壊したんだ。
親父に怒られるのが おれにとって唯一のコミュニケーションだったんだ。
でも 今なら分かってくれるだろうな。
飽きっぽい…とか言われた こんな糞ガキが 親父の好きだった写真家になってるんだからな。
おれの家は昔 温泉割烹旅館を営んでいた。
それはそれは小さかったけど 親父が居た頃は 夕飯も食えないほど繁盛していたんだ。
その家の隣は ちびっ子達の集る駄菓子屋だった。
だから わざわざ遠出しなくても 色々買えたわけだ。
そこに例の「日光写真」があった。
どう言う仕組みかと言うと まずネガに相当する物が有る。
それは…そうだなぁ~薄いセロハン紙みたいなものに 様々な…戦車や御相撲さん 野球選手…etc
そう言ったものが 白黒で書かれているんだ。
白い部分が黒くなり 黒い部分が白くなる仕組みだ。
それと 印画紙に相当するものと ネガと印画紙を挟みこむボックス。
言わば 三点セットだ。
それをセットして 太陽に向かって 確か2~3分くらいだったと思う。
感光するんだ。
すると 白黒の写真が出来上がる。
感動物だったぞ。
しかしだ…溜めに溜めた写真が ある日の事 だんだんに黒くなって行き 又暫く経つと真っ黒に…
ガキはガキなりに 悩んじゃった訳だ。
当たり前だ 5円か10円で売っている玩具が 親父が写している写真とは 全然訳が違うんだから。
ある日 日光写真の事を御袋から聞いたんだろうな。
部屋にいきなり入ってきて「見せろ」の 一言。
見せたら「何で黒くなって行くんだ???」と 親父も不思議がった。
親父も考えたんだろう。
写真を持ってお風呂場に行き ざぶっと写真を温泉に漬けちまったんだ。
でも暫くは持つんだが…やはり結果は同じだった。
ある日の事 お稲荷さんを造ってくれたので 部屋で写真を見ながら食っていたんだ。
ガキだから ねとくちょしている手で写真を持ってるものだから 写真までべとべとしちゃってさ。
しかし 奇跡は起きたんだ。
数日経って 箱から写真を出したら…一部の写真は当然黒くなって来ていて
明らかに一部の写真は 指の後の所だけ健在なんだ。
そうなんだ!
つまりな お稲荷さんは 油揚げの中に酢飯しを入れるだろう?
その「酢」が原因だったんだ。
定着液って言うのは「酢酸」が入っているだろう?
その「酢酸」なんか ガキだから分かるはずも無い。
密かに台所から「酢」を頂いて来た。
試しに何度もやってみた。
「酢」を薄めれば良い事は 数日経ってから分かった。
おれは何時も悪戯をして 親父に怒られていたから 名誉挽回とばかりに親父を誘って日光写真をやったんだ。
で 自分では「秘密の水」と呼んでた液に浸した。
親父は怪訝そうな顔をしていたけど 後から見せたらつまらない声で「ふぅ~~~ん
又消えなければ良いけどな」とか言ってる。
おれは4~5日の間 ワザと親父の常駐している帳場に置いといた。
ある日の晩に「おい…写真黒くなってないぞ」と 親父は驚いた声で言ったんだ。
その時におれは 得意満面だったんだろう「あのね 秘密の液に漬けたんだよ。ぼくが考えたんだ」と言ったら…
親父は「明日 お父ちゃんの目の前でやってみろ」と言ったんだ。
親父は 色々な肩書きを持っていたから 大尊敬を今でもしているし それが原因で 中々遊んでくれなかった。
だから ガキなりに 自分の方を向いて欲しかったんだ。
で次の日 早速親父の目の前で日光写真を作り それが当分消えない…と分かると
何と親父の趣味でもある 写真の展覧会に出しちまった おれのをだ。
おれは「佳作」をとったんだ。
今でも覚えてるのは 審査をした偉い人と会長とか言う人に会って 今まで買ってた日光写真のセットより
はるかに良いセットを頂いたんだ。
当時 確か5歳~6歳の頃だ。
この事があってから 親父はおれに 親父が大切に使っている一眼レフを こんなガキに貸してくれるようになったんだ。
おれは嬉しくて嬉しくて いっぱしの大人になったような気がしたな。
でもな それが又悲しかったんだ。
おれが親父のカメラに夢中になってくる度に 親父との距離はどんどん離れて行くのが分かったんだ。
だから…だから前の悪戯ガキに戻ったんだよ。
親父が頂いて来た置時計を 何個も何個も壊したんだ。
親父に怒られるのが おれにとって唯一のコミュニケーションだったんだ。
でも 今なら分かってくれるだろうな。
飽きっぽい…とか言われた こんな糞ガキが 親父の好きだった写真家になってるんだからな。