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アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

抱擁

2022-11-29 | 音楽♪

BS NHKの歌番組で
歌手の大江裕くんが 
”抱擁”という歌を唄っていたのをたまたま聴いた

彼は基本的には演歌歌手という出立ちだけれども
いろんな歌い方ができる 
それもなんと言うのか 
テクニックや技術的なことを飛び越えた
表現が滲み出る

抱擁’は
1987年に和田アキ子さんに書いた作品で
当時の映画『極道の妻たちII』主題歌として
シングルカットされた

先日の番組で
どういう経緯での選曲だったのかは不明だが
この時代にまた聴けるとは
晩酌の酒も進む



今でこそどこも厳しいセキュリティーのもと
人の出入りが管理されているが
当時のレコード会社などは 誰でも自由に行き来ができた

書きたい歌手をみつけては曲を書いて
アポイントが取れない場合は
その担当ディレクターのデスクの上に
手紙と一緒にデモテープを置いて帰ったものだ

誰の顔も見ず
誰の声も聞かず 
打ち合わせもなく
まずはメールの発注書だけでやりとりする
今の時代の作家たちのやり方とは大きく違い

必ず打ち合わせがあり
誰と誰に発注もして
形としてはコンペになるが
それでもいいか?と前置きがあった

’抱擁’もそんな時代にできた作品であり
メロディーを先に作って
自信作だというメモを添えて提出した

曲が採用になったと連絡を受けた時
作詞が尊敬する阿久悠さんと知った時には
二重の喜びでとても興奮した

初めて聴く和田アキ子さんの歌は
映画の内容に負けない迫力で
儚さと強さが滲む素晴らしい歌唱だった

28歳当時
作業をしていた赤坂の部屋で
ドキドキしながら送られてきたサンプル版の
封を切ったのを今でもはっきり覚えている

発売から35年が経ったこの時代に
大江くんが唄う’抱擁’もまた
誰の真似でもない 彼の歌だった

ひとつひとつの言葉を丁寧に表現しながら
唄ったフルコーラス
ジンと心に届いたよ

もうこんなドラマチックで情熱的な歌は
流行らない時代なんだろうか





松本一起さんを偲ぶ

2022-11-22 | 音楽♪
先日のニュースで作詞家の松本一起さんの訃報を知った

松本一起さんと言えば
Classの「夏の日の1993」や
鈴木雅之の「ガラス越しに消えた夏」
田原俊彦の 「It's BAD」
中森明菜 吉川晃司 等々

他多数の誰もが知るヒット作品を
世に送り出されている

当時はいつの打ち合わせでも
爪襟のジャケットやスーツ姿が印象的で
背筋がビシッと伸びていたなあ

物静かで
人当たりが柔らかく
笑顔が可愛らしくて
とっても優しい人だった

作詞家 作曲家として同じアーティストのアルバムなどに
別作品で参加した数に比べれば
詞曲としてこれまでご一緒した作品は少ない

が、それぞれに思い出のある作品ばかりで
歌を聴けば当時のことが思い浮かぶ


やしきたかじん サヨナラのクリスマス


一起さんとは
やしきたかじん 田原俊彦 石嶺聡子など
主に80〜90年代にご一緒した

1996年に石嶺聡子に書いた「Asian Dream」という作品は
バリ島で行われたアジア音楽祭で賞をいただいたが
その制作チームで編曲をした小林慎吾も一昨年に亡くなり 
そして 今月 作詞をした一起さんも旅立たれた

寂しいな

石嶺聡子 ”Asian Dream"


思い起こせばもう25年以上も前のことか

長い間 会えずじまいのまま 今日まで来た

色気のある大人の詞(うた)も
キラキラ光る言葉の使い方にも
どこか文学的な品が漂っていて

もっともっとご一緒したかったな


一起さん 安らかに


言葉の達人 「松本一起さん」

日日薬

2022-09-19 | 音楽♪

5年前の今日 なんて Googleフォトから通知がある

5年前の9月16日 

愛犬ミミの亡くなった日だった

その日は
いつも寝ていた まあるいベッドに横たわったミミを
たくさんの花が取り囲んでる写真だった

もう5年かあ



数年前 自宅の敷地の一角に
一年先に亡くなったチロの骨と一緒に埋めやって
名前と没年月日を刻んだプレートその上においた

それを取り囲むように植えたサツキやツツジが
いまでは枝も張ってよく育ち
立派なワンコたちのお墓になった

部屋に置いた写真は
それこそ毎日のように見ているからか
何も気にせずに過ごす毎日

2匹の命日の日付もしっかりと
この頭に置いていたつもりだが

昨今はGoogleに気づかされる始末

忘れることも才能のうちとは言うが
月日が過ぎるということはそういうことか


ミミとチロ

もう飼わないの?とよく聞かれる

ペットって
僕らの人生を豊かなものにしてくれる
日々の生活に花を添え 元気をくれ
時には人として問われ 経験とともに
さまざまな思い出を置いて去ってゆく

世話になったのはむしろ僕らのほうだな

何かしらご縁あって
この先そういう時期が来ればね

是非また 
お世話できればいいなと思う



チャーリーパーカー オムニブック

2022-09-13 | 音楽♪

昔の教え子からレターパックが届く

近年ではボーカルトレーナーとして教えてると聞いていたので
もしや いよいよ教則本でも出したか と
封を開けてみた

18年住んだ家を引っ越すことになり
荷物を整理していたところ
お借りしていたスコアが見つかった

大事なものを長々とお預かりしたままで申し訳なかったと
律儀にもこの度送り返してきてくれた


チャーリーパーカー オムニブック 1978

チャーリーパーカーは言わずと知れた
モダンジャズを創成したアルトサックス奏者

僕はニューヨークで修行中
ジャズスケールを覚えるために
このサックスのフレーズをギターで練習していた

ページを捲ると、日々 音符と格闘した形跡もあり
それでもおそらくこの曲は
最後まで行けたようだ

読譜が苦手で 難しいフレーズになると
1日に2小節くらいしか進めなかったこともあった



当時は栄養も偏っており
毎日座りっぱなしで14時間くらい練習してると
当たり前のように痔(脱肛)になった

痛くてたまらないので 湯船につかり
肛門を温めてから指で押し込んだり

壁にくっつけたソファーに尻を上にしてもたれ
まるで逆立ちのような格好でテレビを観ながら
患部を休めたりした


1978 in NY

表紙には当時住んでいた住所も書いてある

裏表紙には$9.95 とある

当時は1ドル 200円超えてた時代だったと思う


あん時があるから今だね

そして今この時があっての未来よ

日々何も手応えがなくとも
積み重ねて行くことで道も開ける

自分の人生において想像すらしなかったことが
あっという間に現実となったりする

自分なりにコツコツやっていたことが
のちの作曲という分野に 
いろんな色を添え 景色を与えてくれた

このオムニブックも 

原点のひとつかも知れない



愛はそばにあるから

2022-09-06 | 音楽♪

ヨットで太平洋横断に成功した全盲セラーの岩本光弘(ヒロ)さん

一度は鯨の体当たりの洗礼を受け 自衛隊にて救助されて以来
相当なマスコミのバッシングも受けた

オープニングはそんな話から始まった先日のコンサート

絶望からの脱出というテーマは
健常者で怠け者の僕自身に言い聞かせるように
心と頭に染みていった



そこに登場した全盲のシンガーソングライター栗山龍太くん

盲導犬のアンジーと一緒にステージ登場してのミニライブ

実は僕も彼に楽曲提供していて
その日初めてステージでの生歌を聴くことができた

彼のレッスンやレコーディングにもお付き合いしたが
もちろん彼は僕の声しか知らない


2022.6 レコーディングスタッフ達と

彼はどんなレコーディングの景色や
どんな都志見さんの顔を頭の中に描いているのだろう

渋谷のハチ公の交差点をアンジーに促され
あのごった返す人混みの中 
ちゃんとレッスンスタジオまでたどり着くのだから驚く

僕らにとって不可能なことも
彼にとっては日常において当たり前のことだ

レッスン中 アンジーは栗山くんの足元でジッと
彼のレッスンが終わるまで
身動きひとつせず彼を待つ

凄いなあと言う言葉しか出てこない

東京は他の都市に比べ
盲導犬や全盲者に協力的で理解が広く歩きやすいと言う

主人の手足となり
命綱となって共に生きる姿を想像するのは容易く

僕は何度も涙を堪えながら
頭を撫でて 偉いなあ 偉いなあと
愛おしさいっぱいにアンジーを抱きしめた

光のない世界で どうすれば 希望を持って生きてゆけるのだろう

栗山くんは病気によって11歳くらいから 
ヒロさんは13歳くらいからどんどん視力が低下し
絶望のどん底に突き落とされ 一度は自殺まで考えたという

なんら障害を持たないことを
改めて自分の幸せの筆頭に置いて
しっかりと生きていかねばと思う

公演の翌日 栗山くんがお礼のメールをくれた

彼は特殊な点字のキーボードで文字を打ち
僕からのメールは音声メールが読み上げる

いい時代になったと思う

緊張していたレコーディングとは違って
ステージでは実に伸び伸びと彼らしい歌で
盛り上げていた

是非また新しい歌を作りながら
活動を続けていってほしいと返信した


愛はそばにあるから 詞:松井五郎 曲:都志見隆









まだまだ まだまだ

2022-09-03 | 音楽♪

待ちに待った8/27 矢沢永吉50th Aniversary Tour

新国立競技場の開場以来の初めての有観客ライブ

想像通りの 人 人 人が渦巻く群れの中をすり抜けて
やっとの思いで入場した


2022.8.27

以前の「50年」と言うブログでも書いたが
僕自身が14歳でキャロルと言うバンドに出会い
そして半世紀という長い時を経た今年2022

相変わらずパワフルに73歳のYAZAWAの歌が
この新国立競技場の夜に木霊した

50年という数字を一つの節目に
が、しかし昨日までと何も変わらないライブ

50年? そんなもん単なる51年目への通過点だろうと
いつものように汗だくの2時間半
まだまだマイクは置かね〜ぞ!とシャウトしているようだった

立ち止まっていたくたって
時間は容赦なく明日を運ぶ

過ぎゆく1分1秒はその場で過去に裏返ってゆく

あれほど待ち遠しかったライブも
あっという間に夕暮れを駆け抜けていった



今年は郷ひろみさんやユーミンも50周年

凄いよね みんな節目で通過点

あの時代あの歌に支えられた多くのファンを引き連れて

YAZAWAヒストリーも
来年51年目に入る

まだまだまだまだ

これから


がんばるぜいっ!


アニソンアカデミー

2022-07-11 | 音楽♪
それにしても アニメや特撮ものを通し
長きにわたって楽曲を知ってもらえるのは
熱烈なファンの方たちの支持や
SNSによる情報の拡散共有の賜物なのだろう

先日のラジオではパーソナリティーのしょこたんこと
中川翔子さんの幼少期のアニソンの思い出なども
とても興味深く聞かせもらった

初対面にも関わらず
思いも寄らぬところで
繋がっていたりする



表舞台に立つ人間ではないにしろ
音楽に携わる人間として
自画自賛から始まり 少しずつ人々の求めるものへの興味が湧き
ビッグヒットだ 一世風靡だと欲が湧き
いつしか人の思い出や記憶に留まる歌を書きたい
どうせ歌を書くなら その書いた証を残せなきゃ 
なんて思い始めた

何気なく唄った歌の節々まで
その映像と一緒にリスナーの心には
当時の記憶のまま鮮明に焼き付いている

良くも悪くも 消せはしないのだ

リスナーにとって作り手の話は
とても興味深いことであると同時に
リスナーが個々に抱く作品に対してのStoryのどれもが
今後の作品作りへの勇気となることは間違いない

しょこたんはじめ皆さんのおかげで 
とても楽しくラジオ収録を終える事ができた

ありがとうございました

ちょうどその日は 亡くなられた安倍元総理のご遺体が
富ヶ谷のご自宅まで搬送される日

NHKに向う途中の山手通り沿いには
多くの人が その帰りを待っていた

合掌

カクレンジャーとトゥー・チー・チェン

2022-07-08 | 音楽♪

現代(いま)のネット社会

とても便利で かつ 恐ろしい一面もある

ずっと内緒にしていた事が いつの間にか暴かれていたりする

それによって 一気に関心が広まる場合だってある

内緒にしていたと思っていたのは自分だけで
すでに特撮ファンの間では周知の事実だったようだ

即席で決めたトゥー・チー・チェンという名前も
いつかしら 自分でもその内容に触れて 
何度かここにも書いた記憶がある


1994年発売 シークレットカクレンジャー ニンジャ!摩天楼キッズ

そんなわけで ラジオのお誘いを受け
明日 生出演させていただきます

当時のレコーディングの様子など
色んなお話をしようと思います

NHK FM アニソンアカデミー 
7月9日 午後2時より





50年

2022-07-07 | 音楽♪

映画「エルヴィス」を観た

42歳という若さでその生涯を終えたわけだけど
その中身といえば栄光とその影を両肩に背負いながら
普通の人の何倍もの人生を壮絶に生きた時間だった

自分に投げられたファンたちの思いと視線の圧力を
一人で引き受け そして打ち返してゆく

表に立つ人間の凄みだ

選ばれし人間

きっと何かの目的のための
神の仕業に違いない


さて

今年はYAZAWAの50周年

中学でレコードを手にし
高校生の時に広島で初めて観たキャロル


キャロルのコピーバンド[Baby]時代 右端 1975

その衝撃は自分の人生を大きく変えた

この人の存在と音楽に出会わなければ
僕はどんな仕事を選択し どんな人生を歩んでいただろう

キャロルを解散し永ちゃんがソロになって
初めてのコンサートで広島に来た時

そのリハーサルで オープニングの曲
「恋の列車はリバプール発」のブラスセクションからはじまる
あのイントロが聞こえた途端
ホールの警備のバイトで会場にいた僕は
思わず客席に飛び入ってずっと聴いていた

鳥肌立ちっぱなしで 心が震えた

リハの時の永ちゃん
ダボダボのジーパンに白いベルトと
白いTシャツにキャップをかぶっていた
そんな姿も真似をした

革ジャンもリーゼントも真似をした

理屈じゃない
憧れとはそんなものだ



そんな強烈なスタイルと共に
音楽という とてつもない夢の世界を
見せつけてくれた50年前

そう 僕もヤザワに出会って50年

今年の8月 
50周年アニバーサリーツアーで
新国立競技場へ

あの何万人の観客の前に立つ
73歳のYAZAWAを前に

きっと僕の心は
50年前のあの日の自分と共に

感謝の涙で溢れかえるだろう


最後の砦

2022-06-27 | 音楽♪

派手さやインパクトなどをメインに置くとどうしても
自然さや その流れを妨げる場合もある

何度も聴いてほしい音楽なのに
耳にするだけで疲れてしまう

職業作家としても いろんな戦略のもと
時にはそれが当たり前のように作ってきた

だけどもう心のどこかに 
そんな音楽への執着は無いに等しい

先日 マスタリングエンジニアの田中三一さんと仕事をした


プロヂューサー近藤由紀子氏 都志見隆 田中三一氏

田中さんについてはリンクを貼っておくが
もちろんすばらしい経歴をお持ちの方にも関わらず
初対面からとてもフランクにお話させていただいた

元来 作曲の立場で
レコーディングの現場からミックスダウンまでは
参加して意見を言うことはあっても 
最終仕上げのマスタリングまで顔を出すことは稀であった

しかしこれまでCDになった音を聴いてみると
どこかギスギスしていたり耳が痛くて疲れてしまい
特に声や歌の質感が変わってしまっていたことも多く
可能であればできるだけ
最終仕上げのマスタリングにもお邪魔するようになった

田中さんも仰っているように
「どこで誰が聴いているか分からない
アーティスト本人が誇れるものに
自分自身が長年培った方法で力添えできればと」 
という思いはまさに共感すべきところ

こういう気持ちを言葉にできる人と仕事ができて嬉しい

スピーカーから出てくる音を聞いてるだけで
そんなエンジニアの最後の砦としての
強い思いと仕事が伝わってくる

こういう人に支えられて
何年経っても聴き継がれてゆく数々の名作が
時代への産声を上げた

アーティスト自身が誇れる作品
誇りを持ってずっと背負って行ける作品

頭は柔軟に 心真っ直ぐに
僕らはそこを目指さないといけない

全員コロナ

2022-06-11 | 音楽♪

元気になってみると きつかった事も笑って話せる

学芸大学駅での月イチの飲み会ももうどれくらいになるだろうか

ここのメンバーが全員コロナの洗礼を受け
お互いにそれぞれがコロナから帰還して
初めての飲み会だった


上段左から 国分友里恵 都志見隆 岩本正樹   下段左から 坂下正俊とその妻 羽場仁志

全員コロナから全員元気

本当に身体が元気でいる事の大切さを痛感する毎日

先日 酒を少々たっぷりと頂いた後 
風呂に入り湯船に浸かった途端
心臓がキューッとなって落ち着くまで少しバクバクしてた

元気でコトンとが理想だとは言うが
まだまだ死ぬわけには行かない

恐ろしくなって 少しぼーっとしてた

元気でいれる事って 決して当たり前のことではなく
そのための作業がいる

そういえば来週は3年ぶりの大腸内視鏡検査と併せて
生まれて初めて胃カメラもやる

口の中に異物が入ると超敏感に反応し
嘔吐きが止まらない体質なので
結局麻酔で眠らせてもらって検査してもらうことにした

「ところで先生 麻酔してても気持ち悪くて胃カメラの検査中に
目が覚めるなんてことはないですよね?」

「ん〜、たまにおられますよ
この前なんか自分でカメラ引き抜いちゃった人もいたなあ。笑」

それを聞いてまた 嘔吐き ここに書いて 嘔吐く

それもこれも 健康維持のためと 
この歳になってようやく観念した次第です

胃カメラ初体験の様子も 
是非 笑って話せるようにと

願うばかりです


祇園恋物語〜京都より その参

2022-06-10 | 音楽♪

振り返れば子供の頃から
一見社交的なようで実はそうでもない

なかなか自分から外に出てゆかない

人恋しいのに一人が苦手じゃない
相当な あまのじゃくの 偏屈者だ

そんな偏屈者に会いに
京都在住シンガーソングライターのホリーさん(堀内圭三さん)が
東京にやってきた

今年こそは 来年こそはと
コロナの夜明けを信じながら長い時間が過ぎたが
またこうして再会を喜び合える事が嬉しい


2022.5.27 

2008年に中村雅俊さんに書いた
「涙」という歌が大好きだと言ってくれて
京都の夜 カラオケで一緒に唄った

知り合う前からずっと
そんな人たちの想いの中で生きている歌は幸せだ

彼はKBS京都「ホリー&春さんの祇園恋物語」というラジオ番組の
パーソナリティーであり また地元中心に
ライブ活動も盛んにやっている

思えば2016年 
ホリーさんが一通の手紙をくれたことから始まった

是非彼に会ってみたくなって京都に出向き 
そのラジオ出演をきっかけに交流が始まった

何事もまずは最初の一投から

彼は最初の一球を投げることを厭わずためらわない
興味があることは常に自分からアプローチする

想いの先に何かが起こる事を疑わず行動する
たとえそれが打ち返されずファールに終わっても
そこには経験という財産が積み上がる

彼と話をしているとそんな姿勢がヒシヒシと伝わる

待ち合わせの渋谷ハチ公前

ハチ公にとぐろを巻く人混みの中 
キョロキョロと探すこともなく
目の前の正面にすぐ彼を見つけた

その日も きっと ここにいるぞ〜 見つけてくれ〜と

5年ぶりに京都からまた そんなホリーさんが会いにきてくれた


お袋の袋

2022-04-05 | 音楽♪

歌手の橋幸夫さんが今春
78歳で京都芸術大学に新入生として
入学式に参加されたという記事を読んだ

専攻は10歳の時から始められた
自身の大好きな書を学ぶための
通信教育過程の「書画コース」

橋さんにはかつて一曲だけ書かせていただいた
秋元康さんの作詞で1995年に発売されたシングル曲

お袋の袋1995.4.21発売


橋幸夫 翼 -60th Anniversary Premium Box- 2020.12.2発売

あなたを見ていたら
なぜだか 涙があふれ出す
小さな背中が背負ってきた
家族の重さをふと思う

女の一生を
あなたはいつしか追い越して
数えてみれば
しあわせよりも白髪のほうが
多くなっている

お袋の袋の中に何がある
親父と子供の他に何がある
お袋の袋の中に何がある
残り少ない暦に
書き込むような
あなたの生き甲斐を贈りたい

    「お袋の袋」1stコーラス

今の僕の年齢よりも
まだまだ若い橋さんの頃のうた

橋幸夫さんと言えば
舟木一夫さん そして先日他界された
西郷輝彦さんと共に元祖御三家の一人

あの時代 親戚の叔父の家にいけば
大きなステレオから流れていたのは
橋さんの唄う「恋のメキシカンロック」

レコーディング前にピアノのあるスタジオで
キー合わせと軽く歌唱レッスンをした

特にサビのフレーズは
唄うたびに自分の母の顔が浮かぶんだと
目を細めて優しく仰ってたのが印象的だった

来年の80歳で歌手生活を引退されるということ

老いゆく明日を憂うことなく
いくつになっても自分のやりたいことに躊躇せず 
そして諦めず
新たなる人生に向かう人の姿は美しい

口で言うほど簡単なことではないが
僕自身もそんな生き方を目指したい

新入生代表として挨拶される橋さんの姿は
まさに青春真っ只中

青春とは人生の一時期の事でなく
心のあり方の事だ -サミュエル・ウルマン-

見習うべき大人がまだまだ沢山おられる

少しは上手く弾けるようになっただろうか

2022-04-03 | 音楽♪

今年の彼岸も無事広島で終えた

近年は なんだかんだと広島に帰省する機会も増えた

両親 普段は台所周辺にいることが多く
インターフォンが遠くて聞きづらく物騒だからというので
こりゃ配線も含めて新しいのにしなくてはと思い
今回の帰省の際 一応チェックしてみれば
 
単にボリュームが下がっていただけ

とか まあ 細ごまと 色々

して欲しいことを忘れないようにメモしておいてもらって
帰省の際はひとつつひとつ片付けてゆく

さて そんなこんなで今回も色々

押し入れを開けて整理していると 懐かしいギターが出てきた


Maruha guitar F-120M

このギター マルハ楽器 と書いてある

約50年前 母が初めて買ってくれたギターだ

真偽は定かではないが 
元ツイストの世良公則さんの最初のギターもこのマルハ製らしい

同じ広島出身でほぼ同世代なので
もしかしたら購入した楽器店も
同じだったりなんて事もありそうだ

18歳で上京して以来 一度も手にしてなかった

なにせ両親共に 家族全員 押し入れの奥に
このギターがあることすら忘れていたのだから

母と楽器屋に行き どれがいいんね と
色々見て周ったのを今でも鮮明に覚えている

どれがいいんね と言われても 
共働きの一家に高い楽器を買える余裕なんてない事は
子供たちが一番よく知っている

最終的に18000円のこのギターを手に取ってみたら
これがええんなら えーよ 買いんさい 
大事にしんさいよ と母が言ってくれた

古くなった実家だが 
昔の大工仕事はしっかりしていて湿気も溜まらず
幸い劣化も最小限だ

早速東京に持ち帰ってできる範囲のメンテをした

弦を張り替え フレットを磨き 
ボディもクリーニングしたら蘇った

思えば このギターと共に僕の音楽人生は始まったようなものだ

兎に角 よく弾いた

学校の宿題なんかこの世から無くなればいいのにと

よく弾いた

あの時代 随分と世話になったお前の元へ
約半世紀ぶりに戻ってきたぞ

少しは上手く弾けるようになっただろうか

こうしてまた会えて 嬉しい


旅のあかり

2022-03-05 | 音楽♪
新しい曲のレコーディングの日

スタジオのエレベーターのドアが開いて降りようとしたら
目の前にでっかい人が立ってた

「お〜ひさしぶり!あなたの曲が良くてさあ
引き受けたんだよ! ひと足先に出るけど
よろしくね」って

入れ替わるようにエレベータに乗り込んだ
作詞家の喜多條忠(きたじょうまこと)さん

2012年4月発売の西郷輝彦さんに書いた
「旅のあかり」という作品



NHKラジオ深夜便の「深夜便のうた」として
3ヶ月流していただいた

コロナ在宅療養中に届いた西郷さんの訃報

一家でオーストラリアに渡り
専門的ながん治療をされてた映像は何度か
テレビでも放映されたが
そこでは気力もみなぎり
きっと完治して帰国されるものと疑わなかった

ダメだったのか...

生粋の九州男児でとても大らかな人だった

作詞家の喜多條さんも肺がんのため
昨年74歳で亡くなられたばかり

ラジオ深夜便で流れていた時期
それこそ長距離トラックの運送会社の人や
タクシーの運転手さんや
特に男性からの反響が多かったと聞いた

歌い手や作り手や この世から全員居なくなったって
その歌が聞いてくれた人の心に留まっていてくれたら

その歌が流れる瞬間だけでも
聴くひとの心にあかりが灯せたら

何よりそれが歌に与えられた役割

西郷さんとご一緒できたことは
作曲家としてとても光栄なことだと思う

西郷さん 安らかに



※ 2012年に書いたブログ「西郷さん」