アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

永遠の花を咲かせようか

2018年10月29日 | Tsushimi Takashi

NY留学中に日本語放送の何かの音楽番組で
初めて観た たのきんトリオ
そこで田原俊彦の存在を初めて知った 
僕が20才くらいの時

それから約10年後に松井五郎氏と作った
「ごめんよ涙」(1989)という作品が発売された
約30年も前になる

たしか、その時期ちょうど横浜博覧会のため
ホテルシップとして寄港していた
豪華客船クイーンエリザベス号にて
多くの関係者他を招待して行われたパーティ
当時の彼の勢いを象徴するかのように
それはそれは盛大で
10周年という節目に相応しいスタートだった

さて、昨夜は恒例のコンサート
TOSHIHIKO TAHARA DOUBLE“T”TOUR 2018に行ってきた

平成最後の中野サンプラザ公演にふさわしく
昨夜は満杯ソールドアウト

デビューしてからの長い歴史を詰め込んだ
約2時間のフルパフォーマンスは
彼の信念の証明でもあるかのように
今年も全力アイドルだ

長い道のりの途中 30周年の時のバラード
僕が書いた曲に松井氏がトシの胸にある想いを汲み取って
『Cordially』という詞を書いた
実はあの頃はとても辛い時期だったと
その後の関係者との雑談の中で聞いてもいた

苦しい時期こそ頑なに田原俊彦でありつづけると共に 
これまで自分を支えて来てくれた
多くのファンへの深い感謝を
決して忘れることのない姿勢がいつもそこにある

脱アイドルどころか むしろ歳を増すほどに
超アイドルとしての奥行きを感じさせてくれる

そんな生き方をして来たスーパーアイドルのステージに
足を運ぶ男性ファンの数も実は年々少しづつ増えていると
先日もスタッフが伝えてくれた

いよいよ来年は40周年を迎える

4月にはNHKホールでのコンサートも決まった

そんな節目もまた単なる一つの通過点にして
これからもきっと永遠の花を咲かせてゆくに違いない

年を重ねてゆく田原俊彦の圧巻パフォーマンスを
昨夜の観客たちはきっと
また観たいと思ったに違いない
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Remember 埼玉

2018年10月19日 | Tsushimi Takashi

僕がこの音楽の世界で生きたいと思ったきっかけの
最たるものがあのキャロルというバンドの出現だった
1972年 僕は中学2年生

確か広島にキャロルが来たときに配られた
コンサートのパンフレットのようなものだったと思うけれど
そこにメンバーひとりひとりのコメントがあったのだが
いまでも強烈に覚えているのが矢沢永吉さんの

「沢田研二以上のスターになるんだ!」という見出しだった



矢沢さんがソロになって最初のツアー
キャパ1500の会場に200人しか入らなかった佐世保
おまけにスタッフやイベンターは客埋めのため
街に出てタダ券配り始める始末

情けなくて悔しくてそのステージ立って言った

今日来てくれたお客さん あんた達は幸せだよ
なぜならヤザワ今から最高のステージ観せるからって
汗だくでケツ振って歌ったらしい

その出来事以来 スタッフ達と [Remember佐世保] を合言葉に
2年後 その会場をパンパンの超満にしたという印象的な話がある

声 作品 そしてヒット曲だけに限らず
多くのファンやリスナーも歌手にとってのかけがえのない財産

当時YAZAWAの歌や存在に支えられたファン達が
長い年月をそのアーティストと一緒に歩んで来て今がある
来年古希を迎える永ちゃんだが
今だに汗だくで走るステージを見てつくづく思う
この人に出会えてよかった

7000人のファンを集めて開場前にドタキャンのニュース
ワイドショーではイベンターの不手際かとか
アーティストの気持ちもわかるとか
多少のワガママもスターの証しだとか... えっ!?ってなる
僕にはとても不思議なコメントばかり

待ちに待ったアーティストの歌を聴くために
遠くから足を運んだ人たち
いつになく得した気持ちになるくらい
みんなを魅了して帰してほしかった

それが愛で それが仕事 そこがPRIDE

僕はそんな気持ち 

ぼくも一端のファンのひとり なんだか悔しい
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秋日傘-2018-

2018年10月17日 | Tsushimi Takashi

すっかり朝晩が冷え込む季節になった

先日観た「日々是好日」という映画の中でも感じた事だが
僕はこの四季のある国に生まれて良かったと
何かにつけ思う事が多くなった
 
四つの季節から受ける恩恵をもっと大事に噛み締めたいと
そんな風に真面目に思ってしまう自分がなんだか可笑しい

この季節は死にそうな夏の猛暑に耐えた身体を整えて
やがて訪れる寒い冬への準備をしよう



さて 先月のことだが
Vocalistの中西保志とメールでやり取りした際に
今年の6月NHKの「うたコン」でのステージにて
「最後の雨」を氷川きよしくんと一緒に唄った時の
様子について書かれていた

氷川くんは高校生の頃に聴いたあの曲に
純粋な憧れと思い入れを持ってくれていたらしく
「今をときめく人にそう言われると
何か面はゆいというか、
一緒に作った作家の方達までも褒められているようで
とてもいい気分で歌うことができました」とあった。

1992年発売 中西の代表曲でもある「最後の雨」
発売以降 色んなアーティストにもカバーされている
彼の歌声そのものが無二のマスターピースとして
人の心を掴んだ結果なのだろうと思う
そして今でもあのギリギリな感じで唄う姿には
僕自身もいまだに胸を打たれてしまう事がある

そんな中西保志のもうひとつの季節がやってきた

2013年からはじまった曲作りから
何もかもが一本の木に巻きつくように
2015年「秋日傘」のリリースが叶った

その一本の木が中西の歌声だった

このブログでも何度も述べているので詳細は割愛するが
作詞家の康珍化氏と完成したこの作品を
最終的に中西が唄ってくれたことから始まったこの歌の旅

震災で娘を亡くしたおばちゃんとその風景
何年経っても癒えることのない悲しみならばせめて
その心にそっと寄り添えるような歌を一緒に作りませんかと
康氏がまず詞を書いた

毎年10月が来ると僕はこの歌の事を書きたくなる
この歌の事を一人でも多くの方に知ってもらえるなら
毎年ここに書く意味もある
そして中西がくれたメールの最後も
そんな気持ちで締めくくられていた

「12月に福島でライブがあります
今年も「秋日傘」を歌ってきます」


「秋日傘」
「秋日傘2016」
「秋日傘2017」
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なんとも静かに そして深く

2018年10月15日 | Tsushimi Takashi

「輝け隣太郎」というドラマがTBSで放送開始されたのが1995年

その主題歌としてドラマのキャストでもある唐沢寿明くんと
先日他界された樹木希林さんが唄ったデュエット作品
「二人のすべて」(1995.11発売)が発売されるにあたり
後にも先にも一度だけ そのレコーディングの際に
スタジオで樹木さんにお会いした

ダンステイスト寄りの作品で軽いステップなども踏むため
メロディーの音数を少し減らして唄いやすいように
特に樹木さんのパートはその場で譜割を調整しながら
細かく録音していった
そんなに長く時間もかからず
レコーディングはとても和みながら進んだ

当時の樹木さんは50歳台初頭
たくさんのスタッフと共に
賑やかにスタジオ入りする歌手の方などとは対照的に
お一人で静かにスッとスタジオに来られて先ずは一礼
深くお辞儀をされたのが今でもとても印象にある

         

さて、そんな樹木さんの遺作となってしまった映画

     「日々是好日」

茶の道を通して描かれる四季折々の映像と音
そして物語を構成する様々な句や台詞
この映画のタイトルと同様に
あるがままを良しとして生きる姿勢は
樹木さんの生き方そのもののようだと
映画を観ながら感じていた

劇中の台詞にもある
一年一年同じように繰り返し迎えられる事の喜び
というものを今一度ありがたく噛み締める

エンドロール終了後も
心はまるでゆっくりとヒーリングされたような
不思議な余韻にもう少しだけ浸っていたい感覚だった

スクリーンの中のご本人が
もうこの世に存在しないという現実は
まだまだ実感として湧いてこない
がしかし残された数多くの作品と一緒に
観た人の心にずっと生き続けるに違いない
樹木さんの存在

自分の持つ五感の隅々まで
なんとも静かにそして深く動かされた

いい映画だった



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カシラーッ!

2018年10月12日 | Tsushimi Takashi

久しぶりに釣りにでた

一年ぶりのスミイカ釣りだが
11杯を釣り上げて
結果は運良く竿頭!

釣りのセンスはそんなにいいほうではないと思うのだが
たまにはそんな事もあるものだ

僕がこんなに釣れているのだから
常連さんの釣果は凄いだろうなと思っていたら
その日は10人の釣客でなんと2番手は10杯だったらしく



午後からゆったりと出れる午後船は
僕ら自由業にはとてもありがたい
12:30に出船して16:30くらいに帰港する

ちょっと時間が空きそうなら自宅から40分
車を飛ばせばそこはもう潮の香りのする金沢八景だ

まるで親戚の家に立ち寄った感じで船宿の大将が
「あれ、今日は一人?」
「うん、一人は育休 もう一人は骨折でね」
「私なんか魚ばっか食ってるからかなあ
骨なんか折れたことないよ。笑!」と大将

僕らは晴れの日を選んで
気が向いたときに楽しめればいいわけだけど
これを生業としている船宿は
週に6日 お客さんが来れば
安全を確保できる範囲で
多少の雨風波なら御構いなしに船を出す
真夏も真冬も基本的に例外はない

どんな仕事も
楽して人を喜ばせることには限界がある

老舗と言われるには、
その裏側の厳しさや辛さも合わせ持って
人に幸せを与え続けられるからこそ
長く愛されているという事だよななんて
イカを誘いながらしみじみと思う

後輩からカシラーッ!さすがですねーっ!とLINEの返信が来る
竿頭なんてまぐれまぐれ!と照れながらも
嬉しくて報告してしまう

「11杯とは釣りましたね!
今日は都志見さんの竿の下に魚が居たんだねえ」
と、大将がニッコリ

そう思えたら釣れなくても落ち込まないですみますね。笑!
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歌詞が先の場合

2018年10月08日 | Tsushimi Takashi

歌詞が先にあって曲をつける場合
どんなものでも実は5分もあれば形にはなる
それで良しと思える場合は おそらくそれが正解

だがしかし なんとなく突き抜けてないとか
気持ちが良くないと感じる場合は
メロディーの詳細よりも
ブロックからブロックへの流れが
ブロックとブロックのメロディーの関係が
上手くいってない場合が多い

歌詞そのもののレベルが低い場合
これはどんなにやってもいい歌にならない
全体を決めてるトーンの中に
いきなり違う色合いの言葉が現れたりすると
もう悲しくなるほど絵の描きようがない

かつて作詞家の夏目純が言ってた
「いいメロって、そこに言葉が一緒について来てるのよ」

歌詞が先の場合も、同じように感じることがある
いい作詞家が書く歌はリズムを持つ

何がなんでも先頭から曲をつけるわけではなく
たとえば情感を感じる言葉やグッと歌い上げたいフレーズ
すでにメロディーを抱いているブロックなどから
書き始める場合も多い

5分でできる歌は歌詞のアシストのおかげだと思っている

歌詞が先にある場合
こちらの都合で字数を増やしたり減したりの
リクエストは基本的にしないようにしている

何故なら、その文字数や選ばれた言葉が
メロディーの方向性の決め手になるとしたら
まずはそのままの形で戦うのが礼儀だと思っている
むしろ変更できない枠組みがある方が戦いやすい

作詞家がその作品を書いた狙いや意図が
曲調を決める大きなヒントにもなる

人それぞれ作品にかける時間や書き方には差があるが
僕自身 預った作品は鮮度があるうちにできるだけ早く
形にしてお返しするという姿勢でありたい
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曲が先の場合

2018年10月08日 | Tsushimi Takashi

大事に大事にひとつずつ積み上げてゆくよりも
頭に浮かぶものをどんどん出して言って
そこから要らないものをザックリ無くしていく方が
いい作品になる

ピアノメロを入れてみるのは最初だけで
景色が見えて来たら 早目に自分の声で聴いてみる

唄い方も含めて その声メロを基準にすると
うまく行く場合が多い

ただ
歌った流れの良さは大きな決め手にはなるが
あくまでそれでだけはワンパターンになりがち
歌う人の息づかいや唄い方の特徴も
充分にイメージすることはもちろん大事

曲っていうのはバランスが取れてることが
いつも良いわけではなく
例えば健康体以外の美しさの方が
魅力的な場合も多々ある

一旦完成しても作っている場所とは違う環境で
必ず聴いてみるのもいい
その曲がどうなのかが客観的にわかる

僕にとっては車の中が絶対的な場所
こういう風なメロの流れがあったのか!と
嘘のように目の前がひらけてゆく
そのままボイスレコーダーにメロや変更する要点を
メモしておいて仕事場で実行する

そんな作業を何度か繰り返して推敲し
最終的にこれで良しとする

そしていちばん大事なのは
必要以上に時間をかけないこと

それ以上にいいものは出来ないか?

出来ない

数は書けても決め手がないから 
それがイケてるのかそうでないのかも
わからず堂々巡りをするだけ

時間をかけるのはむしろ
普段聴く音楽の中のアイデアに
気づいてゆく作業かと思う

色んなジャンルの音楽の良さを
自分の中に取り込んで引き出しに入れとく
そこが空っぽなほど時間はかかるしかけたがる

同じクオリティーなら早く作れる人の方がいい
僕がクライアントなら迷わずそちらに発注する
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還暦会にて

2018年10月06日 | Tsushimi Takashi

先月末は広島にいた

母校の卒業生が今年で還暦を迎えるということで
言わばその記念に集まろうと春先から予定していた

関東在住の同窓生たちも多く参加して
約50人くらいの集まりは大変盛り上がった

考えてみれば高校卒業から40年以上
みんなの想いの大きさと
行動力のある世話人たちのおかげで実現した

何しろ僕自身 卒業してすぐに上京してきた訳だから
その後の交流など地元でのネットワークはほぼ皆無だった

自分の志を成すまでは広島には戻らないと退路を絶ち
地元との接点などはむしろ邪魔だった当時

卒業してからの長い時間 いまでも僕の書いた歌を唄い
僕の話をして 僕の知らないところで
僕のことをみんなに繋いできてくれた
そんな友人達の存在を知らされたのも
50歳を過ぎた頃だった

さりげない気持ちを
人づてに受け取るたびに鼻の奥がツーンとした

みんなから聞く 僕のこと
僕が忘れている僕がした発言や行動
なんとも無防備で生意気で赤面する

還暦を迎えるこの年
そんな慈愛に満ちた笑顔の前で
恥ずかしながら何年かぶりに歌も唄った

それぞれが抱えている現実は
世代的にも決して楽観的なものばかりではないけれど
それでもこうしてみんなに会いに出て来れるのは
自分はまだまだ幸せなのかもね と言った友人がいた

そうかも知れない

負も人生の一部と達観できれば小さな幸せにも感謝できる

口で言うほど簡単に割り切れず実際には苦悩するばかりだが
少なくとも日々そんな気持ちで生きていたい

卒業後 各々が進んだ道を一周回ってまた
あの学び舎の三階の教室に集まったようだ

久しぶりに時間を忘れて飲んだ

翌日に乗る予定の新幹線が台風で動かず
天気予報と列車の運行計画とにらめっこしながら
なんとか台風の過ぎた次の朝の始発で帰京した

東京は台風一過で30度超えの真夏に様がわり

京都の御墓参りから一足先に自宅に戻っていた女房は
前の晩一人きりで過ごした台風24号の威力が
どんなに恐怖だったかをずっと喋ってる

よく耐えたなと築20年以上経つ自宅を労いながら
泥水と葉っぱにまみれた窓ガラスを洗った

なんだかんだと言いながら 
やはり東京に戻ると落ち着く自分が居る

また次の作品に気持ちを込めよう

みんな どうもありがとう
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やっと一年 もう一年

2018年09月20日 | Tsushimi Takashi

今年も地元の秋祭りが終わった

祭りの太鼓が鳴ると昨年逝った愛犬ミミを思い出す

ちょうど一年前の9月16日だった
あの日 祭りの太鼓が鳴り始めたちょうどお昼過ぎだったなぁ

ミミは17年の生涯を静かに終えた

その晩、義妹家族が寄ってくれて 
後輩が釣ったフグを沢山届けてくれて
祭りの太鼓が響く中とても賑やかに弔うことが出来た

あれから一年

今年の祭りも晴れて去年以上に賑わった
同じように義妹たちが寄ってくれた

ミミとチロの写真に沢山の花を供えた

ミミにそっくりな顔をしたワンちゃんが居た〜と
焼鳥や焼きそばを買いに行った女房たちが
興奮して帰って来た

フグを届けてくれた後輩は今年の春に子供を授かった

学生だった甥っ子は 就職して
今年は一層たくましくなって現れた

僕も もうそんなに泣かなくなった

やっと一年 もう一年 
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歌モノ

2018年08月29日 | Tsushimi Takashi

ところで
発売日当日にもう新曲を唄ってYouTubeにupしている人がいる

例えばカラオケ屋などで
(YouTubeにおいてもそうだが)
楽曲によってはプロモーションムービーとして
発売日前に紹介されるからだろうか

色んな歌がある

え〜メロディーそっちに行くの〜?
みたいな感じで自由に飛んでゆくフレーズがあったり
難しそうなフレーズはスルーして耳慣れた感じに変えてみたり
それこそプロよりストレートに伝わる歌があったり

曖昧なまま唄っているところが
実はその曲の大事なパーツだったりすることもあり
ちょと残念な気持ちになることもある

もしかしたらその間違ったメロの方が歌い易いのか
なんて考えてもみるが
ん〜〜、やっぱり違う

いい曲だけどメロディーがむずかしいなんて
昔から、今でもよく言われる
ディレクターレベルの話から
もちろんカラオケファンからも

そこはいつも戦いだが
唄ってもらえるように 耳馴染みがいいようにという意識よりも
プロとアマチュアの間にちゃんと差が出るレベルの作品を
という思いで書いている

プロアマ歌い手聴き手を問わず
待ってました!こんな歌がほしかったんだよ〜と
何しろそんな作品に仕立て上げる突破口はないものかと
曲を書きながらいつもそこに自分の役割を探してる

特に歌モノはその予定調和をちょっと裏切る心地良さが
鍵なんだよな
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オバマとカープ

2018年08月14日 | Tsushimi Takashi

扇風機と団扇で充分事足りたあの
昭和の夏が懐かしい

墓参りで一足早く帰省した広島は
そんな夏にはほど遠く
蚊取り線香もいらないほどの酷暑

新幹線が到着した午後五時頃の日差しは
タクシー乗り場に並んでる少しの時間さえも
首筋や背中を突き刺すようで
まるで真昼の太陽だった

広島はここのところ雨も遠のいて日照り続き
いざ降るとなると豪雨
雨は欲しいが被災された人達を思うと複雑ですがね
とタクシーの運転手さん

今年のお盆
昨年暮れに亡くなった母の次兄 そして父の叔母 
それから今年になってすでにもう亡くなっていたと
先月に突然連絡があった母の長兄と みな新盆

初盆には墓に白い灯籠が立つ

高齢のためもう年賀状のやり取りも終わりにしますと
そんな連絡も増え始め 両親も実は今年をもって
年賀状は出しませんからと皆に送ったようだ

皆がまだ元気なころ 田舎に住む祖母のもとに
母の兄弟全員が集い にぎやかに過ごした盆と夏休み
何しろ母の兄弟だけで9人居たもんだから
その家族も含めて皆が集まると大所帯

小学生だった僕らは親戚の子たちと
川や田んぼの畦(あぜ)道で遊び
伯父さん連中は高校野球を見ながら昼から飲みはじめ
伯母さん連中は祖母を囲んで料理をしながら
愚痴もからめて日頃の憂さ晴らし

母がまだ30歳を越えた頃のあの田舎で過ごした時間は
今でも郷愁を覚えるほど
まさに僕にとっての昭和の夏

さて、そんなこんなで尋常じゃない暑さの中
今年も無事にお盆を迎える事ができた

いつまで参れるかねえと
なかば口癖になっている両親も
汗を拭きながらお墓までの階段をゆっくり上がる

去年よりも時間がかかる気はしたが
来年もこうして皆で参れればと願う


2016年にオバマ前米大統領が広島を訪問したことにより
近年 特に欧米人のツーリストが圧倒的に増えた

広島のタクシーの運転手は話好きが多い

「観光で来ている欧米人は比較的マナーはいいですよ
それに引き換え 言うちゃあ悪いですが
お隣の大陸の観光客はやかましいわ 食い散らかすわ
ゴミはポイ捨てするわで やれんです
その国の人達が乗った観光バスの車内清掃は
欧米人の2倍時間がかかります(笑)

そしてカープ
今年もイクでしょ!
カープが勝ちゃ機嫌がいいのは今も昔も変わらんですよね
ほいじゃけどせっかくリーグ優勝しても意味ないわねえ
あのクライマックスシリーズいうのはどうなんかね!(怒)
まあしかし野球はね巨人とソフトバンクが強うないと
面白うないですがね..」と舌も滑らか

昭和20年8月6日に原爆が落ちてから今年で73年が経つ
戦争や原爆の語部が毎年のように減ってゆくなか
今や教師のほとんどが戦争未経験者
それらがどう子供たちに原爆の恐ろしさを
伝えてゆくかというニュースは興味深かった
時代を牽引する世代は確実に変わろうとしている


新しくなった広島駅のお好み焼き屋街にならぶ
大勢の観光客の人の列を避け
真っ赤なTシャツを着てマツダスタジアムのナイター観戦に
足を運ぶファンたちの間をくぐり抜けて
やっとのことで新幹線の改札までたどりついた

そっか 平成の夏も今年で最後なんだ

うまく言えないけれど色々ありがとう 

そんな気持ちで広島をあとにした
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ご心配ありがとうございます

2018年07月13日 | Tsushimi Takashi

今回の西日本豪雨による被害の大きさは
日に日にその実態が明らかになるにつれ
目を覆いたくなるような現実ばかりです

僕の出身地が広島ということもあり
多くの方々にご心配 そしてご連絡頂きました

中にはずっと聞きづらかったのですがと
遠くからそっと案じて下さっていた方もおられ
有り難い限りです


太田川

実家は広島市西区というエリアにあり 
裏手には太田川という大きな河川を背負っていますが
幸いにも今回家が浸かるなどの被害も出ておらず
おかげさまで両親ともに元気にしております

実際あの当夜の 
これまで経験した事のないような大雨になるという予報を受けて
母親との電話でも 早めの避難についてのこと 
そしてその避難先の事など大まかには確認しましたが 
やはり降り続く豪雨の勢いとその激しい雨音に
足もすくみ一睡もできなかったということでした

時間が経って実態が明らかになって来た馴染みのあるエリアや
知人の里がある区域などから中継される映像は
言葉をなくすほど生々しく心が痛みます
  
が、実際に被災された方々の思いや状況を知らされる中で
僕らは普段の生活を送ることができることのありがたさを
しっかり噛み締めそして感謝するほかありません

広島に限らず今回の西日本豪雨により
被災された多くの方々に心よりお見舞い申し上げます

そして僕は僕に出来ることを探していきたいと思います
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エージング

2018年07月02日 | Tsushimi Takashi

先日久しぶりに旧知のメンバーたちが集った

友人で作編曲家の岩本正樹がサポートする
国分友里恵さんのライブにて

30歳から12年間お世話になった作家事務所KSPの河田進氏
そして同事務所の作曲家の羽場仁志くんや坂下正俊(manzo)くんと


右から河田氏/manzo /羽場くん

30歳の時にLAに2ヶ月ほど作曲修行を計画した

渡航前に知り合いのディレクターにお願いして
3人の作家マネージメント会社の人を
紹介してもらうことになっていた

徐々に曲の発注も増えてきた時期
本格的にサポートしてもらう体制が必要になってきていたので
一度リセットしてリスタートするには
実にいいタイミングだったと思う

その最初に会ったのが河田氏
幸いにも僕の作品を聴いて知っていてくれた事もあり
はじめましての挨拶のあと話は早かった
紹介していただいていた別の2つの会社のアポイントは取らず
では帰国後から本格的にマネージメントをお願いしますと
その場で即決

相性というか感というのだろうか
この人と縁があると思った 

それまで書き溜めた20曲程度の譜面とデモテープを預けて
会った翌週には渡米した

ご一緒した時間の中身は濃く
当然だが山もあれば谷も経験した
12年という月日を経て
作家として形になるまでにしっかり育てて頂いた

12月で70歳を迎える河田氏
ご縁あって今でも年に数回はゴルフをご一緒する

時代と共に音楽業界も細かく変容してゆく中で
色んな選択をしながらそれぞれがここまで来た


あれから30年 みんないい顔してる

そして30年後の今に心より感謝です
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最後だとわかっていたなら

2018年06月25日 | Tsushimi Takashi

約30年前に一度だけお会いしたことのある方で
それ以来僕の書く作品を楽しみにしていてくださっている
そんな方から先日も手紙を頂いた

「お元気でご活躍のことと思います
”最後だとわかっていたなら”
仲間にCD廻して皆さんともて気に入り
それぞれ明日ともしれない年齢に差し掛かっているので
想いは同じ...
後悔しないために今日という日を精一杯生きようと
皆で話し合っています
先月は仲間の一人が亡くなり〜」

と便箋に5枚ほどびっしりと近況が書かれていた

終活ということで不要な荷物など処理しているので
広々とした家で何もないが
時間があったら遊びに来てと言われていたけれど
自分の体調や都合でついついあとまわしに

こんなに早く別れが来るとは思ってもいなくて
今はとても後悔している と

最近は終活という言葉もいろんなところで聞く

死は決して年功序列に訪れるわけではない
自分の身にどんな災いが訪れてもおかしくはない
もしかしたらそれが明日だってあり得る
そんな心がまえで
毎日を生きる覚悟が必要かも知れない

先日の大阪の地震からもそんな事を感じた

最後の便箋にはいろんな作品のこと
「最近の歌は中々覚えられませんが
若いころ覚えた曲は絶対忘れません
ふと気がつくと口ずさんでいたりします
年を重ねると
古いものから忘れてゆくものかと思っていましたが
どうやら違うようですね
今現在の事を忘れがち 困ったものです」

くれぐれも元気で頑張ってくれとあった

届けなきゃね いい歌 
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いい塩梅に

2018年06月21日 | Tsushimi Takashi

後輩がメールをよこす

「都志見さん、梅干し作りもいいのですが
音楽的にいま僕に足らないものなど教えて頂きたいです」

その後輩、近年何だかとても売れっ子らしい

僕の何倍も我慢強く数多くの不運を乗り越えてきた

そんな姿をきっと誰かが見ているはずだと思っていたが
ほらみたことか 長い年月を取り返す勢いで
彼の元には いい仕事が舞い込んで来るようになった

かつての時代を思えば
頂けるどんな仕事だって感謝とともに頑張れると
汗でテカるへちゃげた小鼻を一段と膨らませて
レモンハイをおかわりする姿は
数十年前と変わらない

遅咲きでもなんでもなく
それが彼の生まれ歩んでゆく道筋

成功というものをどこで線引きして何が幸せでなんて
そんなことは本人だけが感じ得る領域でしかない

その後輩 今では真っ赤なマツダが鎮座した新築の持ち家に
防音部屋を完備してそこで仕事をしてしているが
それはむしろ不遇の時代を共に歩んできた奥さんへのご褒美という

以前より一段とパワーアップした彼の最近の作品を聞きながら 
その音楽性に驚いたり 何年経っても昔と変わらないフレーズに
思わず笑ってしまったり

守るものと壊すものとのバランスも良く
どの曲もプロとしていいあんばいに響いてきた


で、そんな売れっ子にもその都度悩みはあるらしい

一気に目の前が晴れてゆくように何かに気づける時もあれば
やればやるほど客観性に乏しくなるのも僕らの仕事


「最近、お前の作品 何だかつまんね〜な」

僕がまだ30歳前あたり 
そこそこ曲が認知され始めてきた時期に
東京の父として慕う方にそう言われたことがあった

「なにかもう一つ足らないんだよ。それを見つけない限り
いつまでたってもアルバム用の曲だな」

当時の時代性が見える言葉だけれど
もっと聴き手を裏切ったものを書いていかないとダメだと
いうニュアンスの意味を持った言葉だった

心底ヘコんだ

なるほど、そういう切り口で音楽を聴いているのかと
その後の創作に大きなヒントになった。

僕自身も足すことばかりで構築していたものから
必要なものだけ残してひき算した音楽の心地良さに
ここ最近改めて気づいたりと
今なら少しはタメになる話ができるかも

さて、毎年この時期には
母が漬けた梅干しとらっきょうを送ってくれていたのだが
高齢ゆえ昨年で終わりにすると宣言していたのを思い出し
それならと今年から僕がやってみることにした

小梅で漬ける塩のよく効いたあの昭和の梅干し

僕にとっては長く聴いているなじみ深い歌のようなもの

毎日のように必要ではないが いざ無いとなると困るのだ

と言うわけで ついでにらっきょうも漬けて

おかげさまで 今年もいい塩梅に
 
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