黒い回転ゴミ日記

日々のあれこれ。

朝4時の教訓

2006-11-01 15:12:57 | インポート

地下鉄広瀬通駅は味噌力も消え、「にわか浅草」状態からいつもの広瀬通に戻る。

昨夜、いつの間にか寝てしまい、そのウトウトから目が覚めた時は、明け方の4時近く。顔を洗い布団で寝なきゃと布団に潜るが、なかなか寝付けずNHKを見ていた。80年代の東京の下町的風景をバックに、大貫妙子や矢野顕子の歌が流れていた。大貫妙子の歌はほとんど聞いた事がなかったけど良いなぁなどと思い見ていたら、どうでも良い事が気になり始めた。このような風景描写の時に、なぜ老人や子供を映すのだろうか?と。多分、ほとんどお手軽な作為がそのような映像になるのだろうとは思いつつ、本当にそれだけだろうか?と。だいたい、それを見ている僕がノスタルジーとは別に、どこか落ち着くのは何故なのだろうか?と。何故だろう?
多分それは、今だけを切り取る事が、今を映し出している事にならないからじゃないのだろうか・・・過去と未来を取り込んでこその「今」・・・もちろん、爺ちゃんバアちゃんや、子供も間違いなく今の姿なんだろうし、若造や、中年にも過去や未来はある。けれど子供や老年のその姿に、過去や未来をよりダイレクトに強く感じさせられるものがあるからこそ、今をより豊かにというか、今をより強く実感出来るから、見る側も何かリアルに胸の内に「今」を持つ事が出来るのじゃないだろうか。だから何らかの映像には爺ちゃんバアちゃんや子供が、無意識のうちに多く映し出されてしまうのでは?当たり前と言えば当たり前。でも、そんな当たり前は気がつくと消えてしまっている事の方が多い・・・なんて事を思いつつ見ているうちに寝てしまう。
常に「今」の連続しかないのだけど、その「今」だけで物事を捉えてしまうと、過去に逆襲されたり、未来に裏切られたりするわけで・・・そんな教訓を朝4時に見た東京下町の過去の風景描写に与えられた。

「絵」でも「音楽」でも「街」でも、それは変わらないのかもしれない。
目の前の今だけを見、ちょっと先を行っているつもりが、いつの間にやら過去に逆襲され、未来に裏切られ・・・気をつけましょう。


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