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辞書引く日々

辞書が好きなのだ。辞書を引くのだ。

しんにゅうの点

2008年11月26日 | 言葉
文化審議会の漢字小委員会が常用漢字表の改訂をすすめている。
そこで、新たに加える字のしんにゅうの点をひとつにするか二つにするか、論が割れているとか。

文化庁が提示した 2 点という案は、現行の活字に合わせるという趣旨だそうだ。これに対して、一貫性が欠けて教育上も問題があるというのが、1 点派の主張らしい。二点派といっても、手書きをするときは一点でもよろしいという積りだそうである。

実際に本のカバーに現れた「謎」の文字を調べてみる。Amazon.co.jp で、「謎」で和書を検索して、頭から表紙に使われている字体を見てみた。(本文が表紙と統一されているかどうかは、わからないが、簡単に確認できるので、表紙を調べたのである)

<一点のもの>
「謎の彼女X3」(講談社)
「結婚の謎」(アチーブメント出版)
「ハリー・ポッターと謎のプリンス」(静山社)
「新・古代史謎解き紀行継体天皇の謎 信越東海編」(ポプラ社)
「科学の謎」未解決ファイル (PHP)
「鉄道地図の謎から歴史を読む方法」(河出書房新社)
「知らなかった! 驚いた! 日本全国「県境」の謎」(実業之日本社)
「名探偵コナン推理ファイル 日本史の謎〈2〉 (小学館)
「巨大高層建築の謎 古代から現代まで技術の粋を集めた建造物のおもしろさ」(ソフトバンククリエイティブ)
「人工呼吸療法における30の謎」(克誠堂出版)
「えっ?本当?!地図に隠れた日本の謎」(実業之日本社)
「「9.11」の謎 続」(金曜日)
「韓国時代劇66の謎」(TOKIMEKIパブリッシング)
「謎を解く人びと - 数学への旅」(シュプリンガー・ジャパン株式会社)

<二点のもの>
「謎001」(講談社)
「謎手本忠臣蔵」(新潮社)
「謎の会社、世界を変える。―エニグモの挑戦」(ミシマ社)
「ビートルズの謎」 (講談社)
「哲学の謎」 (講談社)
「視覚世界の謎に迫る―脳と視覚の実験心理学」(講談社)
「法隆寺の謎を解く」 (筑摩書房)
「日本文明の謎を解く―21世紀を考えるヒント」(清流出版)
「知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦」(講談社)
「謎の大王継体天皇」(文藝春秋)
「フランス7つの謎」(文藝春秋)
「謎とき日本近現代史」(講談社)
「謎解き 広重「江戸百」」 (集英社)
「童謡の謎―案外、知らずに歌ってた」(祥伝社)
「謎解き フェルメール」(新潮社)

必ずしも、二点ばかりが優勢というわけではないようだ。

面白いのは、講談社で、アフタヌーンKC(コッミク)の「謎の彼女」が一点なのに対し、他は二点である。小学館では、名探偵コナンの関連書籍が一点であるが、別途調べてみると、「逆説の日本史〈4〉中世鳴動編―ケガレ思想と差別の謎」などは二点である。小学館や講談社は、一点と二点を使い分けているのかもしれない。

書籍の場合、写植を使うと二点、DTP を使うと一点になりやすいなどという事情があるかもしれない。

それにしても、どうして漢字の字形・字体の話になるとすぐケンカになるのかなあ。

私の浅い認識によれば、活字の字形・字体というのは、

1 唐の時代までに漢字は手書きしやすいような形に整えられた(易しく)       「曽」がその例
2 活字は伝統的な手書き文字でなく、清の時代の「康煕字典」に範をとった。(難しく)「曾」
3 戦後の活字の簡易化の方向は、手書き文字を範として進められてきた。(易しく)  「曽」
4 最近、活字の簡易化が行き過ぎたと考える人たちが多くなってきた。(再び難しく) 「曾」

という順序で推移していた、これだけ見ると活字デザインの流行にすぎない。
ネクタイの幅が広くなったり狭くなったりするのと同じで、易しくなったり難しくなったりするだけだ。
真剣にケンカをするほどのこともない。

ところが、だんだん活字が権威を持ってきて、これをただのデザインの流行では済ませられぬと考える人が増えてきたのである。

その結果、伝統的手書き文字を範にすべきだという単純文字派と、康煕字典を範にすべきだという複雑文字派が、この権威の取りっくらをはじめた。これに、一般の人も愛着だのノスタルジーだのをかかえて参戦したものだから、もう手がつけられない。徳川家康と西郷隆盛のどちらが偉いかでケンカをはじめたみたいなものだ。

私としては、活字など読めれば良い。そもそも活字の権威なんぞ認めないから、どちらでもいいのである。そのかわり、自分が手書きする文字は勝手にやらせてもらおうと考えている。

『和英語林集成』で aho を引くと

2008年11月14日 | 言葉
デジタル『和英語林集成』なるものを明治大学が公開していて、なかなか愉快。
http://www.meijigakuin.ac.jp/mgda/index.html

ためしに aho(阿呆)を引いてみると、最初の語釈に dunce とある。

dunce なんて知らない単語なので、調べてみると、この人のことらしい。



(画像は パブリックドメインだったので、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:JohnDunsScotus.jpg からかっぱらってきました)

13~14世紀の神学者で、16世紀のヒューマニストが、その後継者たちをからかって、dunce をアホの代名詞として使ったそうだ(ちゃんと調べてないけどCODにそう書いてあったよ)。神学のことなど、まるでわからないが、Doctor subtilis (細かい先生) とあだ名されていたというから(http://en.wikipedia.org/wiki/Duns_Scotus) まあ、そういう人だったんでしょう。

そういえば、和英語林集成を書いたヘボンは、米国の宣教師であるから、阿呆の語釈の最初に dunce を書いたのは、何か考えるところがあったのかなあと思ったりする。

ちなみに用例として「あほなこと」というのがある。この辞書の初版は1867年であるから、その頃にも、そんな言い方をしていたんだね。

ラテン語の辞書プログラム

2008年11月02日 | 言葉
ラテン語の辞書を引くためには、活用表が頭に入っていなくてはならぬ。
すべての変化形で引ける紙媒体の辞書というものは、今のところ聞いたことがない。
動詞の変化など、

(直説法 or 接続法)
(受動相 or 能動相)
(現在、未完了過去、未来、完了、過去完了 or 未来完了)
(1人称、2人称、or 3人称)
(単数 or 複数)

接続法は未来と未来完了がないことを考えても、
2*6*3*2+2*4*3*2 で、すごい数である。
このほか、不定詞やら分詞やら動名詞やらがある。

で、いかなる変化形でも引くことができる紙媒体の辞書はない。

そうなると、電子辞書ということになるが、

http://users.erols.com/whitaker/words.htm

にあるアプリケーションが、非常に重宝なものである。

いかなる変化形でも引ける.
39000 の見出しがあるといい、初級文法書の練習問題などやるのには、十分に使える。
DOS, Windows 95/98/NT/ME/2000/XP, OS/2, LINUX - and Mac OS X
に対応している。
ありがたいことに、無料である。

シャレか?

2008年09月25日 | 言葉
何か無用なことをしようと思って、ラテン語の文法書を読んでいる。すぐに放り出しては一年くらいしてまた取り上げるという具合だから、なかなか進まぬ。

たいがいの文法書には練習問題があるが、ほとんどの場合解答がついていない。教室で使うことを考えているからなのだろう。

昨日、羅文和訳をやっていて、「うっわー、わからん!」とつぶやいた(心の中で叫んだ)。そこまでの問題に比べて急に難しくなったように思われた。解答もなく、解説もほとんどないから、泣く泣く一語一語活用を確かめ、辞書を引き、文法事項を確かめて、なんとか意味を理解した。こんなような意味だった。

「もしあなたにとってこの本のいくらかの部分があまりに曖昧なものとして見えるならば、あなたは、どんな技術も修練なくして会得できるということはないということを考えなければならない」

はは、シャレだったか……

(和訳間違ってたら乞う御指摘
問題文:
Si tibi nonnulla in hoc libro videbuntur valde obscuriora, cogitare debebis nullam artem sine ulla exercitatione percipi posse. 泉井久之助『ラテン広文典(新装復刊)』p.l96)

カンタムロボ

2008年09月17日 | 言葉
カンタムロボ(カンタム・ロボかもしれない)といえば、いわずと知れた(?)「クレヨンしんちゃん」中に出てくるロボット・アニメ番組で、そこに登場する巨大ロボットの名前である。

で、これをアルファベットでどう表記するべきか、という下らぬことを考えてみた。
作品中に綴りが出てきているかもしれないが、見ぬふり :-)

the Quantum Robot (英)

これで決まりであろう。これは、英語で、「画期的なロボット」くらいの意味だ。

でも、

Quantum Robotum (羅)

というのも捨てがたい。

robotum(ロボトゥム) は、ロボットのことで、quantum(クゥアントゥム)というのは、「いかに大きい」という形容詞(の中性主格)だ。英語の quantum と綴りは同じで、もちろんその語源。

ちなみに、「機動戦士ガンダム」は Gundam という綴りである。
その語源は、
http://smartass.blog10.fc2.com/blog-entry-985.html
に諸説がまとめてあるのを発見いたしました。

myself

2008年09月13日 | 言葉
I do it myself. なる文を子供が持ってきて、by myself でなくていいのかなどと言う。myself は代名詞であるからということである。

たしかに辞書を引いてみると、私がそう信じていたのと違い、myself に副詞としての用法はない(余は英語で100点満点中3点を取った記録の持ち主なり)。

辞書をよく読んでみると、この場合、myself は I と同格に置かれた代名詞で、I (myself) do it. = I myself do it. = I do it myself. ということらしい。なるほど。そう考えると、この一文はなかなか趣深い。

Do it yourself. などというのは、してみると、明示されない you という主語と同格の myself をつけているということになって、これも趣深い。かかるところにも「言語の息吹」があるやうである。

人文科学

2008年09月13日 | 言葉
以前から「人文科学」という言葉が気になっていた。文学や歴史や宗教に「科学」の名が冠されているのはいかがなものかということである。

取っ掛かりとして、日本語版 Wikipedia を見てみる。「もともとhumanitiesの訳語でありscienceという言葉は含まない。」とあり、英語版の humanities にリンクが貼ってある。

英語の Wikipedia には、humanities のほかに、human science という項目があり、これには、science というのは、ラテン語で知識を意味する scientia からきたものではあるが、science という言葉を広義に使うとまぎらわしいので、自然科学と社会科学は一般に科学と分類され、これに対して古典、言語、文学、音楽、哲学、歴史、宗教、美術、演劇は humanities と呼ばれる、というような意味のことが書いてある。[例によって、出典も用例も書いてなかったけどね]

手元にある The New Shorter Oxford English Dictionary(名前に反して2冊組で6Kgもある。OED 持ってないから、これが一番我が家で重い辞書)を引いてみると、human science なんて項目はない。humanity ならあって、何番目かの意味として、「人間の文化(human culture)にかんして学んだり(learning)研究したりする(literature)ことで、特に、(現在この意味では複数形が普通なり)ラテン語とギリシア語の古典をあつかう学問分野(branch of knowledge)」とある。意味狭っ。

ま、とりあえず、人文は普通に言うところの科学なんかではないということにしておこう。

でも、なんで人文科学という言い方が普及しているのかな。科学という言葉がつくと予算がもらえそうだらかだろうか。そう疑いはじめると、人文科学の「科学」というのが、文化包丁の「文化」や、電子レンジの「電子」、ホルモン焼きの「ホルモン」みたいなもののように思えてくる。

Thunderbird の複数アカウント設定がわかりにくいというメモ

2008年09月06日 | 言葉
Thunderbird で複数のメールサーバを利用せむとするときに、いくらか悩んでしまったのでメモしとこう。

ようするに、プライベートで使っているメールサーバーからダウンロードしたメールと、仕事で使うメールを、完全に分けて保存したいのである。つまり、それぞれ別の「受信トレイ」を持ち、それぞれが別のゴミ箱を持ち、別の送信済みフォルダを持つやうにしたいのである。

こんな簡単なことで、どこをいじったらよいのか、しばらく考えこんでしまった。ユーザー・インターフェイスというやつは、どうしてこうアプリケーションによって考え方が違うのかなあ。で、手続的なことはさておき、概念的な方面からメモしてみむ。

Thunderbird において、各メール・アカウントは、原則として(あくまでも原則でありデフォルトではない)
(a)「サーバーのアドレス、ログイン名やパスワードといった情報の集合体」
であり、基本的には
(b)「各アカウントは、それぞれに独自に、受信トレイやゴミ箱のセットを持つ」
ものらしい。

ところが、この簡単な原則は、霞がかかったように見えにくくなっている。

最初から特別なアカウントが存在し、これが「ローカルフォルダ」と呼ばれている(フォルダという名前であるが、あくまでもアカウントである)。その名前から推測できるとおり、このアカウントは、(a) の情報を持たずに、(b) の構造だけ持つという変わり種である(だから、これをフォルダと名付けているのだろうが、あくまでもアカウントである)。

何も考えないで、アカウントを追加すると、そのアカウントについて、(a) の設定だけがなされ、(b) はあらたに作成されない(デフォルトが「原則」に則っていないのである)。そして、そのアカウントでダウンロードされたメールや、そのアカウントでの送信済メールは、先ほど述べたローカルフォルダというアカウントに保存されるよう変則的に設定される。

これを、一つの(a)に一つの(b)という原則に戻すためには(それこそが私のやりたかったことだ)、そのアカウントの設定において「サーバ設定」の「詳細」を選択し、「新着メール」を「このサーバアカウントの受信トレイ」に保存するよう設定しなおす必要がある。なお、送信済みメールの保管場所なども、別途「コピーと特別なフォルダ」というところで設定してやらなくてはならぬ。

ユーザインターフェイスの設計の難しいところは、「だれでもあれこれ試しているうちに、とりあえずはなんとか使えるようになる」という可能性を大きくしようとすると、デフォルトの設定が原則から離れて、また、設定のときに出会う用語が実体とかけはなれてくる(ローカルフォルダという名前のアカウントなんて変だ)ところにあるんじゃないかなあ。

Salve munde!

2008年09月01日 | 言葉
Hello world! というのは、プログラミング言語の入門書に必ずといってもいいほど出てくる、表示用の例文なり。

これは、ラテン語で Salve munde! というらしい。たまにはラテン語の辞書でも引いてみむ。

salve は直説法能動相現在一人称単数が salvo。辞書の見出しは salvo,ere といふところを見る。動詞で「健康である」の意味。この命令法が salve で、もし相手が複数なら salvite。

munde というのは、辞書の見出しでいうと、mundus,i であり、男性名詞。世界という意味。munde は、この呼格であり「世界よ」と呼びかけているのである。

したがって、Salve munde! は、直訳すると「健康なれ世界よ」。salve は「こんにちは」くらいの意味があるので、Salve munde! が Hello world! の意味になるってわけか。

屈折語は辞書引くのが楽じゃないね。