S.T.E.P.22's BLOG

もっともっと多くの人に、S.T.E.P.22のこと、そこに関わるメンバーのことを知ってもらえますように…。

2006年03月03日 | Weblog
2月27日(月)午前11時15分、最愛の母方の祖母が他界しました。
勤務中に携帯電話が鳴るのは日常茶飯事。
でも、携帯のウィンドウには母の名前が。

普段携帯電話を使い慣れない母からの電話。
嫌な予感。

そしてそれは、悲しいことに的中してしまいました。

慌てて新幹線に飛び乗り、急いでも結果が変わることはないのに、気持ちは焦り、呆然としたまま気づいたら広島駅に到着。あっという間の4時間。必死で我慢していたのに、改札の向こうに立つ父親の顔を見たら、涙が止まらなくなってしまいました。

いつも温かく、優しく、孫の幸せ、娘(母)の幸せを願い続けてきた祖母は、これまでと変わらず穏やかな顔で、眠り続けていました。どうしても信じられない現実。朝まで普通に会話をしていたというのに、なぜこの日だったのか。

いつもそこにいてくれるのが当たり前で、帰省したら笑顔で迎えてくれるのが当たり前で、だからこそ敬老の日と、誕生日くらいしか電話をすることもなかった私。

でも2006年は、新年早々、家族5人で祖母の家を訪問。
広島を離れて生活している妹達も帰省し、家族5人が揃うのもめずらしいのに、今年は3姉妹で着物を着て、祖母と一緒に写真撮影。

これも必然だったように思います。

そして今回もまた、家族全員が揃い、お通夜から告別式と、ずっと祖母の側にいることができたのも感謝しなければならないこと。

お通夜の時、「悲しみの量は、どれだけ故人が皆さんに愛情を注ぎ、想いを伝えてきたかの現われです」と言われ、本当にそうだなと実感しました。

東京と広島。
物理的な距離があっても、私と祖母の心はつながっていました。
祖母から語り継がれた想い。
祖母が万全な健康状態ではなかったために、母にしてあげられなかった事の数々。

これから私がしっかりと受け止めて、祖母に代わって実現させていこうと思っています。

出棺間際、祖父が祖母に言ったこと。
「本当に幸せだったよ。ありがとう」

これまで一度も見ることのなかった祖父の涙。

心臓が悪かった祖母は、20年間、祖父の介護なくしては暮らせませんでした。
それでも、いつも一緒に散歩をし、食事をし、テレビを見て笑う…そんな毎日が祖父にとってはかけがえのないものだったんだなぁと実感しました。

「一人で家に帰るのは嫌だなぁ」

そんな祖父の心を癒すために、私たちは告別式からの帰り道、ペットショップへと向かいました。そこで出会ったのが、祖母にそっくりなシーズー犬(写真)。


名前は祖母と同じKEIKO。

とっても元気な子で、ぴょんぴょん跳ね回る様子を見て、祖父も少しずつ元気を取り戻すはず。これから私も頻繁に電話をして、祖父とKEIKOの様子を確認しながら、帰省する際にも、可能な限り長い時間、一緒にいられるようにしたいなと思っています。

今回初めて経験した身内の死。
人間誰にでも訪れるものだと頭でわかっていながらも、実際に心でそれを感じることはなかったので、しばらくショック状態から立ち直れませんでしたが、苦しむことなくこの世を去った祖母の顔を思い出すと、なんだか元気が出てきたし、むしろ「死」に対する不安や抵抗がなくなって、何事にも精一杯がんばっていけそうな気がしています。

祖母が見守ってくれているという安心感。
本当にこれまでありがとう。
これからもよろしくね。