けれど(Credo)

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Credo

2006年05月01日 | Weblog
Credo in unum Deum、factorem caeli et terrae, visibilium omnium, et invisibilium.

  われわれが信じなければならないのは唯一の神である。「天主の十戒」の第一はこう述べている。「われはなんじの主なり。われを唯一の天主として礼拝すべし。」神の実体、本質は一である。したがって、多神教は退けられなければならない。なぜなら。神は至高の善であり、無限の完全性を具えた御者だから、当然御一体でなければならないからである。

 Credo は in unum Deum のすぐ次に Patrem omnipotentem と述べる。一なる神は全能の父なる神としてまず述べられる。さらに、factorem caeli et terrae, visibilium omnium, et invisibilium 天と地、見ゆるものと見えざるものすべての造り主を、 と続く。これが「ひいですのあるちご」の第一条である。全能永遠にして天地の創造主なる唯一の神をわれわれは信じなければならないのである。存在するすべ てのものはその存在をこの唯一の神に負っているということである。ホレブの山で神がモーセに仰せになった「われは在りて在るものなり」とは、神がまさに存 在そのものであり、神以外のあらゆるものがその存在を神から得た、つまり神によって造られたということである。宗教を神に対する人間の道と言うならば、真 の宗教は真の神を信じるものでなければならない。偽りの神あるいは神々を信じることが神によって禁じられているのである。神の命令、神の掟を守らないで自 らを宗教と称しているいかに多くの派があることだろう。

 人はこのようなことを聞くと、そのように述べる者を「傲慢、排他的、僭越、独善的」だと言うであろう。しかし、人間がそう主張しているのではなくて、神御自身が啓示を通して人間にそのことを信じ、公言することを命じておられるのである。



 

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