けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

ファチマの聖母御出現90周年

2007年08月02日 | Weblog

今年は1917年にファチマで聖母の御出現があってから90年であり、ロシアで革命が起こってから90年である。聖母マリアがファチマで預言なさったことが実現し始めてもはや90年が経ったということである。この90年間はロシアの諸々の誤謬が世界中に広まり、そして現在もなお世界を毒し続けている90年間である。

このように言うと、「えっ、ソ連はもう崩壊してしまい、ロシアは民主主義の国になったではないか!」と言い返す人がいるだろう。ロシアの諸誤謬は完全に世界から無くなったのであろうか?ロシアの諸誤謬はロシアはもちろん中国・北朝鮮などの共産主義独裁国家で今なお生き続けているだけではない。西欧諸国やアメリカなど自由主義諸国においてもまた生き続けている。もちろん日本もその例外ではない。

聖母マリアはファチマで「ロシアを聖母マリアの汚れなき御心に奉献するために教皇が世界の司教たちと一致して荘厳かつ公的な儀式を行う」ことを命じられたが、この命令はまだ果たされていない。

このことをカトリック信徒のうちのどれほどの人が知っているだろうか。あるいは知っていてもどれほどの人がそのことを真剣に考えているだろうか。このことはカトリック教徒だけに関わることではなくて、世界のすべての人々に関わること、世界の平和に(本当の意味での平和に)関わることである。私のHP「みこころネット」にはこのことに関する記事をファチマ・センターの許可を得て載せているので見ていただきたい。これは真面目な話であって、興味本位の問題ではない。

これは霊魂の救いを求める人は避けて通ることのできない問題である、と私は思っている。人間はこの世の生だけで終わるのではなく、永遠の生がこの世の生の後にある。信じる人にだけ永遠の生があるのではなく、信じなくても永遠の生がある。その永遠の生は簡単に言えば救いか、滅びか、その二者択一で、その中間ということはない。これは恐ろしいことではないか。決してどうでもよい問題ではない。

ファチマの聖母御出現90周年にあたってファチマとロシアと現代世界の諸問題を考えていきたい。真の意味での平和が日本国憲法9条を守っていれば自動的に達成できるなどというのはまったくのナンセンスであるとこのごろつくづく思う。

 


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