けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

ファチマ・クルーセイダー

2012年12月03日 | Weblog
今なお隠されている秘密のローマにおける公式紹介

教会の司牧者たちへ:「恐れてはならない」

The Fatima Crusader Issue 90, Winter 2008 より

ポール・クレイマー神父

アレッサンドロ・フーリニ博士による紹介:『悪魔の最後の戦い』という書物の編集者、そして『典礼における信仰を変えることは自殺的行為である』の著者、ポール・クレイマー神父を『今なお隠されている秘密』というこの新しい書物に関する彼の論評のために歓迎しましょう。

ファチマのメッセージおよびファチマの第三の秘密の重大性を完全に理解するためには、われわれはまず第一に教会によって何が教えられているかを理解しなければなりません。

霊魂たちの救い

教会法典の中にわれわれは次のことを読みます:salus animarum suprema lex est これは霊魂たちの救いは至高の法であるということを意味します。神の御母は上智の座(the Seat of Wisdom)です。そしてそれゆえに、聖母がファチマで御出現になり、世界に秘密を持って来られたことは霊魂たちの救いのためなのです。われわれに秘密をお与えになる聖母の主要な目的は実際、霊魂たちの救いです。

世界にこの秘密を与えることは神の御母の意志です。そしてそれゆえに、第三の秘密全体を明らかにすることはこの目標:すなわち、霊魂たちの救いを達成する手助けとなるでしょう。

秘密を隠しておくことは霊魂たちの救いのために非常に有害なことでしょう。それゆえ、もはや数年も待つことなく、恐れることなく、最終的にその秘密を公表し明らかにすることは霊魂たちの救いにとって、(そして霊魂たちの救いのために、教会の至高の法に従うために)明白であり絶対的に必要です。

教皇ヨハネ・パウロ二世はたびたび「恐れてはならない」と言われました。それゆえ、秘密を隠しておこうと望む人々はこれらの言葉:「恐れてはならない」について考えるべきです。なぜなら、ファチマの聖母はこう言われたからです:「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう」と。イエズス・キリストは福音の中でこう言ったおられます:「恐れてはならない、私は世界を征服した」と。

バチカンの高官たちはなぜ秘密を明らかにしないことを選んだのか?

それはまったく明白であると私は思います:神の御母はファチマには御出現にはならなかった。聖母はわれわれに秘密をお与えにならなかったし、また一人の教皇の生命に対する一つの失敗した試み[ヨハネ・パウロ二世暗殺未遂事件のこと=訳者注]を告知する一つのメッセージをただ証明するために、途方もない太陽の奇跡によってその確証をもお与えにならなかった、と。

過去には血なまぐさい仕方で殺された多くの教皇たちがいました。それゆえ、ファチマの第三の秘密がヨハネ・パウロ二世の生命を奪おうとする失敗した試みを予告していると言うことはばかげたことであるのは、尊敬の欠如(私は事柄を私が見たままに報告しています)ではありません。そしてそのようなことを言うことは恐れによって動機づけられています。

第三の秘密への鍵

ラッツィンガー枢機卿は1984年11月の彼のインタビューの中で第三の秘密を知り、理解することへの鍵をわれわれに与えました。

当時、彼は信仰教義聖省の長官でした。そして今日彼はわれらの教皇ベネディクト十六世です。

ラッツィンガー枢機卿はファチマの第三の秘密を、ファチマの第三の秘密と他の諸々のマリア御出現との間の関連をつけた仕方で、説明しました。もしわれわれが聖母の他の諸々の御出現を検討するならば、われわれは常に一つの世界大戦、大きな破壊と生命の大きな喪失の一つの恐るべき戦争について読みます。シスター・エレナ・アイエロ(二十世紀半ばに)への聖母の御出現、1634年エクアドルにおけるキトの好結果の聖母の御出現;それらはすべて一つの恐るべきそして普遍的な戦争、世界が以前には決して見たことがないような一つの恐るべき迫害に言及しています。

第二次世界大戦が終わった直後、教皇ピオ十二世は、人類が数年のうちに人間の歴史において以前にはかつて経験したことのないような恐るべき苦しみに屈服しなければならないであろうと宣言されました。次のように言う多くの人々がいます:「われわれはそのような秘密を明らかにしてはならない、なぜなら、彼らは余りにも大きなパニックがあるだろうからと言うからだ」と。このように話すことは愚かなことです。

しかし人々を、これらのすさまじい諸悪が完全に思いがけなく彼らの上に突然落ちかかってくるそのような仕方で、準備なしに置き去りにすること、そのようなことをすることは最大限のパニックを引き起こすでしょう。それゆえに、私は、慎重さ、単純な人間的分別は最も早い可能な時期に、彼らが第三の秘密全体を公表することを要求している - 実際それは有無を言わさず要求している - と言うでしょう。

これは、われわれが第三の秘密の公表は何らかの仕方あるいは他の仕方で、今や人類を脅かしている諸悪、諸民族全体を破滅させようと脅かしている諸悪、そしてイエズス・キリストの御血によって贖われた非常に多くの霊魂を脅かしている諸悪、に対して人類に自ら準備させる手助けとなるであろうということを知っているからです。

司牧者たち:「恐れてはならない」

それゆえに、私は教会の司牧者たちに、秘密を明らかにし公表することを恐れている人々に、教皇ヨハネ・パウロ二世が教皇に選ばれる前に言われたように、それは福音と反福音の間の戦い、教会と反教会の間の戦い、そしてキリストと反キリストの間の戦いに関係している、と言うでしょう。注)

注:「われわれは今や教会と反教会の間の対決、福音と反福音の間の対決に直面している。この対決は神の摂理の諸計画の内部に存している。それは全教会が引き受けなければならない一つの試練である。」1978年11月9日の Wall Street Journal において公表された。話は1976年になされた。

しかし彼は、彼の教皇在位の間に何度も「恐れてはならない」と言われました。それゆえ、私は今この機会に教会の司牧者たちに恐れてはならない、神の恩寵と神の摂理に信頼しなさい、なぜなら、時は来たからだ、われわれはファチマの第三の秘密全体を公表し、知らせる必要がある、と言います。

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